2/16

全ての生命がただ私だけでは不可能なように、1人で生きていく事はできない。

1人で生きていくことができないので、私が私達になったのである。

それがやがて村を作ったり国を作ったりなどした。

それによる弊害は数多くあれど、全体としては、或いは組織としては、なんとなくうまくやっているよね、というような軽いノリで、日々私というものが削られていくのである。

私が日頃やっている事は、私による私主義によるものである。

私という最も小さく、弱く、脆い、私というものにある自我が望む事を、ただ叶えているだけである。

それならば、紙束かなにかに1人で虚しくやっておれ、などという私による反論が聞こえてきたというより、思ってしまった。私というのは中々に一筋縄でいかないものであるのだ。

私が読むためだけの文章を、殊更、仰々しく、他人に見られる、見せつけているのは、別の世界線の私のためである。

私のような、阿呆が否、賢者が、スーパースターが、大統領が、ノーベル賞受賞者が、どこかで見て、面白がって欲しいという願いを込めて、日々記すのである。

今日から私は、生まれ変わった。自分を満足させつつ、他人を少し満足させる、そう思って生きるのである。

最も守るべき、自我、すなわち私を社会やら学校やら親、友達、バイトやらなんやら、集団による絶え間ない暴力から身を守りながら、奪われつつある穏やかな心を取り戻す、保つ、そのような心で生きていきたいのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?