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自分の中で、拘りたいことはある。しかし他人にとってはどうでもいいことのようである。

オンライン講義を余儀なくされた大1大2の時期、こんなもんで単位が取れてたまるかと学問を放棄することに拘った結果,留年している。

そういう謎の拘りのせいで人生設計を自ら廃棄しては作り直す日々だ。大4なのに、うら若き下級生らの授業に紛れ込むのは、生き恥以外のなにものでもない。

私より早く社会に羽ばたいた高校の同級生、浪人したために年齢的には一つ下の大学の同回生達は、オンライン講義は単位のバーゲンセールよろしく、単位を大漁大漁と旬の時期の鰯のように、乱獲していた。

一方私は、初めてできた彼女についてのあれこれ思索を巡らせているうちに振られ、また振られたことについてあれこれと思索を巡らせてるうちにあっという間に大学に入学してからの2年をドブに捨てた。

ワンピースの最大の謎が空白の100年であれば、私の大学生活の謎は、空白の2年である。

出席、課題、試験、それさえやれば単位は取れるということは実証された。手を抜いたレポートでも手を尽くしたレポートでも貰えるのはSか Cかの違いだけで同じ単位である。

浪人留年合わせて2年遅れそうだが、現役組が院進して修士課程を修了したのと、時間的には同じである。少し考えれば実質修士である。実際学士になれるように、人生設計を練っている。

2年後にシャボンディ諸島に集結した麦わらの一味と同じように、2年後、社会という名のシャボンディ諸島でまた会えるように力をつけなければならない。

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