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他者の自己性について考える。

誰々の考えに共感する、というのはどういうことだろう。

相手がこれこれこういう思いをしているときに、そのときの気持ちがなんとなくわかるだけではなく自分もそのような気持ちになるというのが共感である。

他者限らず自己が経験している感情は、その本性からいって絶対的なものである。それにもかかわらず相手の気持ちが分かる、分かったような気がするのは、その他者の中に自分がいるからである。これを他者の自己性と私は呼んでいる。

自分と似たような社会属性を持っている他者、気の合う友人が典型なのだが、まあ相手の気持ちが手に取るように分かる。

1週間に一度、早朝に集まってジムでランニングマシン、あのベルトコンベアに乗って有酸素トレーニングをしようというくだりがある。

朝に電話して、集まったときに今日やめとく?と聞くのだが、やめたいよ、と返ってくる。分かる。でもやるよ、とコーヒーを飲んで煙草を吸ってジムに行く。

お互いに夜行性の妖怪人間なので、すこぶる朝に弱い。だから朝起きる練習を一緒にしている。早く人間になりたい、という標語を掲げて、借金返済、大学卒業、新卒社会人になれるように、できるように、進捗を確認したり、銭湯行ったり、飯食ったりしている。

お前は俺で俺はお前だ、と言えるぐらい行動様式が似ているから、腹立つことはいくらでもある。自分に怒る代わりに彼を怒り、別れた後投げたブーメランが返ってくるように、自分にもそういうところがあるなと、言った言葉の棘が刺さってくる。

他者は自己を写す鏡である。自分を見ることはできないから、他者を媒介にして自分を見て、自己を形成していく。

借金も留年も形成した自己が起こした事故のようなものだ。保険適応外であるから頑張らねばならない。

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