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男らしくなくていい

3月11日に「ザ・バットマン」というヒーロー映画が公開予定だ。
予告編がダークでスタイリッシュでカッコよく、とても楽しみにしている。

そんなザ・バットマンの記事で、以前印象に残るものを見た。

「トキシック・マスキュリ二ティ」という言葉を知ったのはこの時が初めてだったのではないかと思う。

「トキシック・マスキュリニティ(Toxic Masculinity)」という言葉が、ここ数年で注目度が急上昇している。日本でも「有害な男らしさ」という言葉で話されるようになってきているこの問題は、社会が男性に対して“男らしさ”を設定し、その“らしさ”に沿わない行動や思想を罵ったり、バカにしたりして排斥することや、またはその概念のことを言う。

男は泣いてはいけない。男は強くなければいけない。男は男らしくなければいけない。
昭和かよと言われそうな固定観念だが、確かに少年時代が昭和だった僕はこのような教育を家でも、学校でも(もっと詳しくいうと部活だ)言われてきた。
それが男の長所だと、美点だと思い生きてきたけれど、それは何も僕だけではないだろうし、ある年代特有のものでもないだろう。だからこそ今だって、ムキムキのヒーロー映画が流行っているし、これほどジムや自宅での筋トレが流行っているのではないだろうか。つまりはその先の理想の姿が、逞しい=男らしい体をしているからではないだろうか。

それの何が悪いと言われると反論のしようがないけれど、自分の「男らしくない」部分にコンプレックスを持ったり、「男らしくない」趣味に引け目を感じたりと、誰かが勝手に決めただけであるはずの価値観に、ストレスを受けている事も多いと思う。

もし、「男らしさ」がざっくりしすぎだと思うのなら、もっと狭めて、「体育会系」という単語に置き換えると欠点も見えやすい。
肉体的な競技の面でいうと、確かに自分の本当の限界は、意識のちょっと先にあるわけで、体育会系特有の根性論も当てはまる部分がないわけではないが、行き過ぎた根性論に迷惑を被った人も多いだろう。

そういうものの根本にある価値観が「男らしさ」というものにあるなら、男らしさに対してカッコいいものと単純に捉えるのに躊躇いを覚えてしまう。しかし困ったことに、僕の中の「カッコいい」を紐解くと、結構な割合を「男らしさ」が占めている。
では「男らしさ」以外の「カッコいい」は、何があるだろう。あの記事を読んでから、たまに思い出しては考えているのだけど、いまだにうまく言語化できていない。

でも、いつかはそれを見つけてみたい、きっとすごく素敵なものだと思うからだ。


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