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我が家の…シリーズ7

 『生一杯は、大切だ!』


今回は、私のお話しを。


私は、夫と結婚をする前に
十年近く付き合っていた彼がいた。

出逢いは、ミスド。

彼は浪人一年目の同い年。

県立図書館で勉強をし
その帰り安いコーヒーを飲みに
友人がバイトをしているミスドに
ほぼ毎日来ていた。

私と言えば『カントリー娘』でも書いたよに
写真の為のお銭を稼ぐ為に毎日バイトの
十八歳。

とは言え、楽しいことが大好きな私は
彼の友達や彼からビリヤードや
ドライブに誘われたりすると
ほいほい着いて行く女でもあった。

だが、私は鈍感な女だったのだ。
今もあまり変わらないが。
遊んでいる事がただただ楽しく。
それしかなく、男心を全く理解していない
カントリー娘だった。
そのお陰で随分ヤキモキさせられたと
後になって聞かされた。

時々
男女に友情は成立するのか・しないのか?
みたいなことを語る彼を
変な奴だと思ったことはあったのだが。

出逢って一年後の春
彼は、めでたく隣県の国立大学に合格した。

旅立ちの前日に
告られた。

ふへっ⁈
人として彼のことは好きだった。
話しも合うし芯のある奴だとも思っていた。
だから遊んでいたのだ。
いきなりの告白は想定外。
だが悪い気はしないのも事実。

そして二人は彼・彼女の関係となった。

今でも覚えいる。
旅立って一週間後、手紙が届く。
大学の入学式で拾った桜の花びらが
同封されていた。

な〜んてロマンティックなんだろう。
カントリー娘は舞い上がってしまった。

信じられるかい?
文通だよ文通。
勿論、電話という手もあったが
お決まりのように
電話は一家に一台の時代。
親が
特に父親(大鬼)かうるさいのだ。
彼とて下宿屋のピンク電話からかけるとなると
金銭的な問題があった。
なので落ち着く先が
文通となったのだ。

彼の祖父は、地元では有名な書家だった。
そして彼の父は、美術の先生だった。
そのせいか彼の文字は美しかった。

まあ、私とて
書道初段で
それほど下手くそな文字ではなかったが
彼の文字は美しかった。

ちなみに
夫の文字は達筆というのがピッタリだ。
婚姻届を出す際に市役所のおじさんが
ほぉ〜と、唸ったぐらいだ。
ボールペンで書いても濃淡が出る。 
そんな人を,私は夫以外見た事が無い。

まぁ夫のことは、置いといて。

そんなこんなで始まった文通だか
恋に恋してなんとやら
若い二人の文通の量が
半端ないことになって行った。

そして二人は考えた。
切手代もバカにならない。
どうすればいいかと。
そして考えた挙句の策が
な・な・な・んと、交換日記だったのだ。

これまた、想像できるかい?
交換日記だよ⁈
十九歳の男女が。
二週間ごとに、茶封筒に
書き溜めたnoteを入れて送り合うのた。
ふふっ。
今では笑ってしまうが
二人にとっては最善だと思われたのだ。

しかし私にとって
最善ではなかった。
最悪だった。

初めてニ往復の便は
問題は無かった。

三回目の封筒が届き
ウキウキしながら開封。
ドキドキしながらnoteを開く。

ん?
何、この赤ペン?

そう
添削だ。

彼の親族は教師ばかり
彼は国語の先生になるべく
教育学部に籍を置いていた。
そして私の誤字・脱字があまりに多く
已む無く添削の運びとなった。

こんな近くに
赤ペン先生が居たとは…。
うぐっ。

なんたる不覚。
おーい!何処かに穴ないですか〜ぁ?
そこ掘っていいですかぁ?
カントリー娘のハートは
チェッカーズを歌っていた。

今はいい。
漢字変換がある。
当時は、そんなものは無い。
真面目で几帳面な人ならば
辞書などを引く慎重さを持ち合わせていただろう。
だが、雑な私は愚かだった。
攻めが甘かっのだ。

なかでも
飛び抜けて印象に残っている言葉がある。

いや、漢字かある。

なかなか会えない互いを
励ます意味を込めて書いた。

『生一杯』を連発していた。

そう
もうお気付きだろうが
私は『精一杯』と
書いたつもりでいたのだ。

気持ちは通じたよ。
と、腹を抱えて笑う彼を
優しいのかヒデェ奴なのか
秤にかけた事もしばしば。

散々笑われた。
ビールを飲む度に、この話しが出て
勘弁しておくんなさいと
何度も赤面した。

彼は一浪と二度の留年をし
最後は親からの仕送りが止まり
自力で学費と生活費を作り
念願の国語の教師となった。

二度の留年の原因は
二年続けてインフルエンザになり
後期の試験を落としたことだった。
なんて運のない奴なんだ。

結婚話しも見え隠れしたが
結局二人は別れることになった。
忘れもしない昭和六十四年一月七日
昭和最後の日だ。

あの日は、雨が降っていた。
別れた直後
空を見上げて
ふぅ〜と息をはいたのをおぼえている。

だが嫌いで別れた訳ではなく
何かが少しズレ
気が付いた時には
二人の隔たりは修復不可能となっていた。

それでもどこか不思議と
互いにリスペクトし合う
関係だったと思う。

あの日から二度と会うことはないが
今でも年賀状のやり取りだけは
続いている。

彼らしく
『お元気ですか?』と一行添えられて。
相変わらず美しい文字で。

私は、いい恋をしたと思っている。
別れた時は、最悪だったが
残った記憶は
今も焦る事が無い。

ああB男よ!A男よ!
母のように素晴らしい恋しなさい。
生一杯の恋を。

いやいや
精一杯の恋をして
破れ
また精一杯頑張って
素敵な人を見つけておくれ。

母が父に出逢ったように。








ほほほほ…。
何も言えねぇ〜!
書いてみて 恥ずかしい。(笑)
だか昨夜は次から次に
蘇る思い出。
しっかり寝不足な品でした。












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