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我が家の…シリーズ9 『冬休み 子どものお手伝い事上は?』

「掟が重けりゃ役に立つ」



我が家のB男と A男の双子の兄弟が手伝いもどきを初めて垣間見たのは小学一年生のときだった。

私は買い置きのお菓子やジュースをしないたちでオヤツは毎日用意し仕事に出ていた。
時間が許す限りは子ども達の帰宅時には家にいるようにしたが、どうしてもぬけられない仕事のときは置手紙と帰宅時間を書いたメモを残していた。
彼らは帰宅すると必ずそれぞれに私の携帯に電話をよこしその日の予定を伝える習慣もついていた。

仕事が詰んで少し帰りが遅くなった日、家に戻るとB男が椅子の上にたちラップを片手に炊飯ジャーから米飯を取り出そうしA男はB男に従うかのように皿を持ち傍らに立っているのだ。
よく見ると、おにぎりを作っていた。
オヤツは食べたが空腹で他に食べる物も無く、普段おにぎりを私が作る方法を試みていたのだ。

お~~~やるではないか!
感激したのを覚えている。
塩気もないただのライスボールだったが良い握りっぷりだった。

これを機会に私は家事にB男・A男を参入さすことにした。
こんなチャンスを逃す手は無いと考えたのだった。
そして、これ以降次々と「我が家の掟」が決まる事となった。
ふふふふふ。

一番初めの「我が家の掟」は米を炊くことだった。

我が家は幸いにも「無洗米」を使っていた。
少々お高いが水を入れてすぐ出来る代物だ。おまけに環境にも優しく米糠の油分で流しの詰まりも少し軽減される優れもの。
子どもにとっても簡単な作業で炊飯の用意ができた。

土日以外の毎日がB男とA男の交代作業となった。
忘れた日には、ご飯が無い。
そんな事も何回かはあったが、責任を負わすことは決して悪い事ではないと思えた。
おまけに私の手間も一つ減る。
こんな良いことはなかった。

二つ目の「我が家の掟」は、自分の洗濯物は自分で片づけることだった。

洗濯は干すまでは流れ的に一直線だか取り込み・畳み・片づけるとなると三つ角を曲がることになる。
私は、この取り込むことと畳んで片づける作業が苦手だった。
そこで小学校中学年になっていたB男とA男に全てとは言わないが、せめて自分の物くらいは何とか成らないものかと愚痴を言い手伝わすことにした。

この作戦は思っていた以上に難航した。
B男もA男も不器用だったのだ。
上手く洗濯物が畳めないし、タンスに入れる際には無造作に入れシワシワのシャツやズボンを着る事になってしまったからだ。

だが、私は諦めなかった。
私は母親だが自分が楽が出来ると思うことに執着した。
ふふふふ。

考えれば解決方法は見つかるもので、私は大量のハンガーと衣装掛けポールを買い込んできた。
下着・タオル・靴下以外は全てハンガーに干し乾いた洗濯物は各自ハンガーごと自室の衣装掛けポールに持って行かすのだ。
なんて素晴らしいアイデアだ!
また一つ仕事が減った。
ふふふふ。

三っ目の「我が家の掟」は、自分が食べた食器は自分で洗うことだった。

そんなこんなでB男もA男も高校生になり「我が家の二つの掟」はスムーズに守られ、掟とは別にB男もA男も自分の食べたい物は、うまい具合に作って食べたりしてくれるように育ち随分助かっていた私。

しかし、ここで問題が発生する。
料理はいいのだが、洗い物が流しにテンコ盛りになってきたのだ。
私は洗い物をするのも嫌いだった。

そう、私は料理と物を作る以外の家事は好きではなかったのだ。
責任感はある方なので、やらねばならない事はするし、そこそこ上手にこなすのだが・・・好きではなかった。

そこで、B男とA男に訴えた!
「ねぇ、家族って何?」
久し振りの名演技。
「家族って、協力し合うものじゃないの?!」
「毎日、仕事して、ご飯作って、洗い物して。」
「B男やA男がゲームしたり、パソコンしているのに」
「母さんだけ、ず~~~~~っと立ちっぱなし!」
「ふん!」
「なんかおかしくない?」(夫は家族だが、こんなときは部外者)

そして、第三の「我が家の掟」が決まることとなった。
母のごり押しの末の勝利。

ただ、思春期を迎えたB男やA男は今までのようには行かなかった。
手強かった。
「やれバイトが遅くなって、疲れた。」B男談。
「もおすぐ模試で、忙しい。」A男談。
屁理屈や理由を並び立てなんとか洗い物から逃れようとする彼ら。

ふっん!
愚か者め!
この母が、そんな言い訳に負けないことぐらい見抜けぬとは、お前達もまだまだじゃのう。
と、思った私。

「一度かわした約束は必ず守らす。」
「出来ない約束は初めからしない。」
「子どもだろうが親だろうが、しゃぁないわねぇ。」は、無し。

これが我が家の鉄則だった。
やらない洗い物の茶碗や皿をスーパーのビニール袋に入れて部屋に持って行ったこともある。
あちらが・・・こうなら。こちらは・・・こう。
そうして「三つの我が家の掟」は、彼らが家を出るまで遂行された。

一見、身勝手な親の強制お手伝いにも思えるだろうが実際に私は随分と助けられB男やA男に感謝していたし。
イライラしないでもよい状態でいられたことは、いい親子関係を築いてくれたと思っている。
片やB男やA男は一人暮らしを始めて家事に関しては一切戸惑うことが無かったと後に話してくれた。

A男は一人暮らしを始める際に鍋を一つと深めのホットプレート・電気ポットだけを持って家を出た。
米は鍋で炊き、ホットプレートの上でトーストやウインナー・目玉焼きの朝食を作り器用に暮らしていた。
B男は二年前の夏、親の介護で松山に出向いていた時に草ボウボウだった我が家の庭を一人で草刈りをし帰って来た私を驚かせた。

子どもにとってのお手伝いは一過性のものではなく続けさすことに意義があるのではないかと思う。

それは子どもに与えられた仕事であり役割だからだ。

私は常々、提出物が出せない中学生や自宅学習の習慣が定着しない子どもの親御さんに

「一つでいいのでお家の用事を任せてあげてみて下さい。」
「但し、言い訳は無し。」
そして「絶対に手を出さないで下さい。」

「そうすれば、きっと何かがかわりますよ。」
と、言っている。

我が家の掟は、ボケかましの双子にとって初めは重たい掟だっただろうが、結局なんとか役に立つ経験として残ったみたいであった。


B男とA男については『我が家のシリーズ4』をお読み下さると詳しくご理解いただけると思います。

また、「我が家の・・・シリーズ」も今回で9作目。

ご興味のある方は、どうかこちらも宜しくお願い致します。

お読みいただき
ありがとうございます。

素乾 品

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