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首に蛇を巻いた

※以前、投稿サイトに掲載していたものを加筆&再掲しています。


新しい人間関係を構築する時はいつも震える。もともと人付き合いもそれほどうまくないし、できれば一人で過ごしていたい。だけどそれじゃあこの先の学校生活をうまく過ごしていけないのをわかっているから、私は精一杯の笑顔で「コミュニケーション上手な女子」を演じる。

おかげでもうこんなに友達ができた。このクラスが今、入学式とは思えないような緊張感のなさを纏っているのは私のおかげであろう。

教室に入る人全てに挨拶をし、誰一人として仲間外れにされることのない、このクラスの雰囲気。誰にも褒められないのは知っている。それが私だけの努力じゃないのも知っている。だけど「自分がきっかけになった」という事実を自分で認識できていればそれでいいのだ。

私の隣の席の男子の名前は「高橋」というらしい。まだ来ていない。もうあと5分で始業のベルがなるのだが、どうやらギリギリに来るタイプの男子らしい。ギリギリに来たとしても、彼はクラスにすぐ溶け込める。なぜなら今このクラスの雰囲気は凄まじく良いからだ。

「はい、みなさんおはようございます」

そうこうしているうちに担任であろう教師が教室に入ってきた。茶色いボブヘアの若い女性である。

私の隣の席を見て名簿を確認する。「えーと、高橋くんは…まだ来ていないんですね」時計を見る、残り1分。入学式に遅刻とはいい度胸である。やんちゃなタイプの男子であろうか。うーん、時間を守らない男子はあまり好きじゃない。

「すみません、遅くなりました!」

時間を守らない男は好きじゃないと言ったが少し訂正しよう。きちんと反省ができるのなら好感が持てる。そう、高橋はチャイムと同時に入ってきて、息をゼーゼー切らしながら深々とお辞儀した。その姿があまりにも礼儀正しくて丁寧なもんだから、クラス中から「どんまい!」なんて歓声が上がる。

高橋は初めて会う生徒と先生にペコペコとお辞儀をしながら席を探し始めた。

「高橋くんの席はここだよ」

気づいたら手を上げて高橋を呼んでいた。

「白石さん、ありがとう!…すみません、バタバタしてしまって…」
「ううん、大丈夫だよ」
「よかった…怒られるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたんです」
「あはは、入学式に遅刻って漫画みたいだよね」


高橋は本当に礼儀正しい男だった。清潔感のある短髪で、制服も着崩さず、爽やかな笑顔。鼻が高くて、一般的に言うところのイケメンである。

入学式に向かうために廊下に並ぶ途中で担任に改めて謝罪をしていた。クラスメイトからの株も急上昇だろう。ルックスもそこそこ、さらにこれほど優しく低姿勢な男ならすぐにモテるに違いない。現にクラスの女子何人かが言っている。「高橋くんって、素敵だよね」

入学式初日からこれほどクラスの雰囲気が良くて、もう恋の話をするほどの仲になれているのは私のお陰。

ちょっとした優越感を感じながら列に並ぶ。もちろん口にはしない。私は当たり障りのないポジションで、なんとなく小さな優越感に自分一人で浸れていればそれでいい。もう今日でこの先1年間の土台ができたようなものだから、あとは楽に気負わず過ごそう。

多分入学式が終わった後か、明日か、あの女子たちは高橋に連絡先を聞くのだろう。うんうん、恋路を応援する女も悪くないな。キューピッドとして活躍するのはどうだろう、だって隣の席だし。あ〜でも、複数人で取り合いになってるところには首突っ込みたくないな。

入学式はあっという間に終わった。

想像通り、終わったら高橋は女子たちに囲まれていた。それを羨ましそうに眺める男子たち。

「なあ、あいつらもう高橋に連絡先聞いてんの?」

ワックスで髪の毛を精いっぱい立てた男子が私に声をかけてくる。

「そうみたいだね…」
「くそ〜、あの子可愛いなって思ってたのにさぁ」

悔しそうにする男子たちだったが、高橋に対してあからさまな敵対心を抱いているわけではないらしい。帰り仕度をしながら、自分たちも高橋に連絡先を聞こうとしていた。高橋と仲良くなれば、自分たちにも女子の注目が向けられるからだろう。こうしてグループが出来上がっていく。どんどん仲間が集まって、派閥が出来上がる。

私はまだどこにも属していない。ここでようやく気づく。当たり障りのない振る舞いをしすぎたせいで、特に仲良しな女子を作れなかったと。高校生活で大事なのは、この先過ごすグループを早めに決めておくことだ。もちろん群れる必要なんてどこにもないのだが、安心感が違う。

しまったな、もうグループ作れる感じじゃないかも。

明日なんとかしてあの子に声をかけてみよう…今日一番話してくれたあの子。ああ、連絡先を交換するのも忘れた。誰とも連絡先を交換していない、聞き忘れた。これも明日、明日しよう。まだ大丈夫。1週間は大丈夫。それを過ぎたらもう、タイミングがなくなってしまう。

クラスメイトは続々と帰って行った。私もひとりで玄関に向かう。みんな玄関先で待つ親の車に乗り込んでいくのが見えた。

「あの」

突然背後から声をかけられて振り向くと高橋が立っていた。

「白石さん、今日はありがとうございました」
「…何かしたかな?」
「席、教えてくれたじゃないですか。助かりました」
「そっか、大したことしてないのに」
「ううん、心細かったんで嬉しかったです」

高橋はニコニコと笑ってみせる。そんな些細なこと、お礼言われるほどでもないのにな。


玄関を出ると高橋は横にぴったり付いてきた。

「…高橋君、お迎えとか来てないの?」
「ええ。両親仕事で、入学式自体来てなくて」
「奇遇だね。私も親が仕事で今日来てないの」
「そうですか。じゃあ駅まで一緒に行きませんか?」
「うん、いいよ。…なんで私が駅まで行くって知ってるの」
「あはは、なんとなく」

クラスメイトが一通り帰った後でよかった。女子に注目されている高橋と一緒に帰ってるってバレたら早速目の敵にされそう。女子はこういう時怖いしめんどくさい。


「俺たちのクラス、すごい雰囲気いいですよね。みんなもう仲良くなっちゃったじゃないですか」
「うん、そうだよね。どのクラスよりも賑やかだった」
「ああいう雰囲気っていいですよね、和気あいあいとしてて馴染みやすい」
「そうだね」
「まあ結局、みんな群れるの好きなんだなって感じだけど」
「…え?」

高橋はこちらを見ながらにっこり笑う。

「俺、群れるの好きじゃなくて。ああやって仲良くしてるクラスの雰囲気って正直苦手なんです」
「…そう」
「できれば一人でいたくて。グループができると派閥とか、スクールカーストとか、めっちゃ面倒じゃないですか」
「まあ、確かに」
「グループに入らなきゃ、クラスに馴染めない感じ。どことなく一人だと阻害されているような、孤独を感じる雰囲気」
「…」
「白石さんも嫌いですよね、そういうの」

ちょっと彼、想像していたタイプと違うかも。こんなにズバズバ言うタイプ?
っていうか、あのクラスの雰囲気作ったの私なんですけど。

「嫌いっていうか…私は別にみんなが仲よければいいかなって」
「嘘でしょ」
「え?」
「嘘でしょ。この一年を平和に乗り切るために、みんなと仲良くやらなきゃって顔してる」
「同じクラスメイトなんだから、仲良くしたいと思うのは当然じゃない?」
「でも義務ではないでしょ」
「まあそうだけど」

何この雰囲気。結構最悪なんですけど。

「なんかすみません、いきなり」
「…」
「無理してるなって思ったんで、つい言っちゃいました。顔に出てますよ、めんどくさいなあって」
「え?顔に?嘘だ」
「クラスメイトと関わるのも面倒だし、今俺と話すのも面倒だなって思ってるでしょ」
「…思ってないけど…」
「嘘だ〜、絶対思ってるよ」
「…じゃあなんでわざわざ面倒に思われるようなこと話すの?」
「なんでって」

高橋は急に立ち止まった。私の腕を掴む。

「俺、白石さんにとって『ただのクラスメイト』になりたくないんすよ」
「は?」
「めんどくさいなって思ってもらえたら、俺、ただのクラスメイトじゃないですよね」
「何言ってるの?」
「好きなんですよ、白石さんのこと」

何この男、急にどうしたの?いつ私のことを好きになるタイミングがあった?

「白石さん、休みの日はいっつも図書館で勉強してるでしょう?友達と遊んだりしないて、結構一人が好きなんですね」
「何…?」
「一人で本を読んでる白石さん、いつもすごい綺麗だなって思って見てたんです」

心臓の近くがドクドクと波を打つ。沸騰しているような、ぼこぼことした感情の膨らみが、喉の奥からぎゅう、と込み上げてくる。首の両側がギリギリと締め付けられているような。そう、蛇が私の首に巻きついているような。

「あとあと、1ヶ月前の土曜日は映画も見てましたよね、一人で。中学の同級生に会わないようにちょっと変装してました?でも俺は気づきましたよ」
「ねえ、何言ってるの…?」
「それからこの間は一人で電車乗って海まで行ってましたよね。一人で小旅行、いいな〜楽しそう」
「…あなた…私のことずっと見てたの…?」
「いつも一人だと思ってました?残念、実は俺、いつも隣にいたんですよ」

高橋は私の頬をそっと撫でた。寒気が走る。蛇のような鋭い眼差しでギラリと私を捉える。唇をぺろりと舐めながら、そのまま両手で私の首を捕らえた。蛇に絞められているような圧迫感がますます強くなる。冷たい手のひらが、ジワリ、首を撫でた。

「この男はやばい」って、私の心が叫んでる。

「俺ね、ずっと白石さんのこと好きなんです。もう10年くらい。小学1年生の頃、あなたを見かけてからずっとずっと思い続けてた。そしてようやく今、一緒になれる。ただのクラスメイトのままなんて嫌だ。俺は白石さんにとって特別な存在になりたいんです。あなたのめんどくさそうな顔もすべて愛おしい。あなたが今俺を見ている、軽蔑した視線もすべて愛おしい。あなたが愛おしくて愛おしくて愛おしくてたまらないんですよ、白石さん」

思い返せば、最初に高橋に席を教えた時。こいつは名乗ってもいないのに私の名前を知っていた。駅から電車に乗って帰るのも知っていた。

これは防犯ブザーでも鳴らしたほうがいいんだろうか?大声を出す?考えても体が動かない、喉が閉じたまま、蓋が開かない。

恐怖で体温が下がっていくようだ。ひやり。太ももにじわりと冷や汗をかいた。恐怖が足元を捕まえている。

「白石さん、俺、別に白石さんにひどいことしてやろうとか思ってないですよ。普通に恋愛がしたいんです。そして好きになってもらいたい。そのまま永遠の愛を誓いたい」

一方的にわけのわからないこと言われると、人間は思考が止まるのだろうか。なんとか絞り出した単語は「ストーカー」だった。

「あ、今ストーカーのくせに何言ってるんだって思いました?やだなあ、見守ってただけですよ」

やっと浮かんできた言葉も、ふわりふわりと空へ飛んでいく。首からするりと手が抜けて、風が私の喉元を掠めた。やっと解放されたのに、内臓全てを鎖で締め付けられているような気分だった。

「白石さん、明日から覚悟しておいてくださいね。俺のこと絶対好きになってもらいますから。大丈夫、安心してください。ひどいことはしません」

はっ、と意識が現実に戻る。恐怖が怒りへと変わった。

「今あなたがやってることが十分ひどいことだと思うんだけど?」
「ああ、ごめんなさい。白石さんと話せたのが嬉しくて…もっと慎重に近づけばよかったですね」
「もうやめて。気持ち悪い。もう2度とこんなことしないで」
「…そうですか」

怒りが腹から言葉を次々に押し出した。

「わかりました。じゃあもう、やめます」
「え」

あまりにも理解が良すぎて、一瞬言葉を失った。しかし

「明日から、こんな気持ち悪いことしなければいいんですよね。じゃあ、今日からまっすぐ追いかけますね」
「…は?」

「好きです、俺と付き合ってください」

深々とお辞儀をして手を出してきた高橋は、一番最初に彼を見た時と同じように礼儀正しかった。
だけど1つ違うことがある。それは、10割恐怖で埋め尽くされていることだ。

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