とある怪盗夫婦の日常
「もしもし、俺だけど。ばあちゃん?」
ガチャリ。
小林はまた電話を切られていた。これで五百回目。振り込め詐欺対策の成果だろうか。最近はこんな詐欺に引っかかる人なんてほとんどいなくなった。
三百万円欲しいだけなのに、誰もくれやしない。
小林が静まり返った携帯電話を眺める。煙草に火をつけ、ため息を隠すように大きく息を吸い込んだ。
どっしりとソファーに腰かけ、仕方なく天井を見つめる。
「まあ、なるようにしかならねぇからな」
小林が俺の方を見て、困ったように笑った。俺はリストの番号にチェックをいれながら、「そうっすね」と頷く。
かけ子役の小林と受け子役の俺は最近ボスに組まされたペア。こんな採算の取れない詐欺に人数なんて当てられないと言われ、たった二人で老人から金を引き出している。
ただこれまでの成果は、ボスに声すらかけてもらえなくなるほど最悪だ。
室内の隅にある小さなテレビは、連日銀行強盗のニュースで持ちきり。白昼堂々と銀行に押し入り、覆面を被った黒ずくめの男女二人組が三千万円を盗んでいったというのだ。
俺たちが必死に三百万円を求めて電話をかけている間に、こいつらは十倍の金を手にしている。
テレビを見てブツブツ文句を言いながら、小林はまた電話をかけた。
「もしもし、俺だけど」
また今回もダメなんだろうなと思った矢先、小林が目をかっぴらいて俺を見た。
「まさきかい?」
電話から漏れた声に思わず息を飲んだ。喜びで尻が豆粒ほど浮いた。
「まさきだよ。ばあちゃん久しぶりだね」
「久しぶり。仕事は順調かい?」
「うん……それがさ、ちょっとヘマしちゃって」
小林の口元は緩みっぱなしだ。それでも真面目な声を作り続ける。
「それでね、ばあちゃんにしか頼めないんだけど、お金が必要になっちゃったんだ……」
電話を切るなり駆け足でジャケットを羽織った。こんなに飛び跳ねたくなったのはいつぶりだろうか。にやける口元をそのままに、小さな部屋を飛び出した。
三十分後、俺たちは電話で案内された家の前に車を停めていた。
平成から時間が進んでいないような、懐かしさを感じる静かな街並み。小さな公園では、子供たちが無邪気に走り回っている。「実家に帰りたくなってくるニオイだ」と、小林がボソッと呟いた。
小林を車で待機させ、俺はインターホンを押す。すぐに、さっき電話で聞いたのと同じ声がした。
表札には「田中」と書かれてある。玄関はすりガラスの引き戸。
視線を横にやると、小さな庭で盆栽の手入れをしている爺さんがいた。背筋がシャンと伸びていて、老人にしてはガタイがいい。着ているポロシャツの上からでも、鍛え上げられた肉体のたくましさがわかるほどだ。こちらに気づいて会釈をしてくる。
庭の奥には、綺麗に手入れされた大型バイクが一台。
「はい、まさきの職場の方ですか。どうぞどうぞ」
引き戸が開いて出てきたのは、背が小さくかわいらしい風貌の老女だった。想像よりもうんと若い。真っ白なショートヘアーはキレイにセットされている。
「あの、悪いのでここで大丈夫ですよ」
家には入りたくない。さっさと金だけ渡してくれ。
しかし老女は半ば強引に俺の腕を引っ張って、「お茶でも飲んでって」と部屋の中へ入れる。さらに庭にいたはずの爺さんがやってきて、ドアをぴしゃりと閉めてしまった。
仕方なく、玄関前の部屋に通される。
入ってすぐの棚に電話が置いてあり、「まさき」と書かれたメモが見えた。
ダイニングテーブルの椅子に座ると、目の前にはラップで蓋をしたほうれんそうのお浸しと、沢庵が置かれている。お腹がすく光景だ。
「ごめんなさいね。ちょうど夕飯の支度をしていたところなの」
テーブルの横にすぐあるキッチンには大きな鍋。さっきまで火にかけていたのだろう。煮物の香りと白い湯気が、ふたの隙間からふわふわと出ていた。
エプロンを外しながら、老女が奥の和室に向かう。リビングに大きく鎮座するテレビからは、ニュース番組が聞こえていた。
「はい、これね」
老女は黒のボストンバッグを持ってきた。なんだかすごく重たい。くったりとしたレザーのバッグがじっと俺を見つめる。
「すみません、まさきがご迷惑をおかけして」
俺は頭を下げる。
「一応中身、確認してもいいっすか?」
「ええ、もちろんよ」
俺は「失礼します」とバッグのファスナーを開ける。
すると大量の札束が目に飛び込んできた。しかもほとんど帯付き。三百万どころではない、ざっと十束以上はある。
目を丸くして、札束と老女を交互に見つめた。すると老女が、ふふふと優しく微笑んだ。
「足りないって言われても困るし、迷惑料ってことで受け取ってちょうだい」
にしてもこれは多すぎる。三百万だけ取って、残りは返そう。無駄な危険は背負いたくない。
「あの」と声をかけようと顔をあげると、ふと奥の和室にある真っ黒な服が目に入った。黒いトレーナーに黒いズボン、まるでなりきり強盗セットみたいな服が二着ハンガーにかけてある。さらに奥にある仏壇のすぐ横には、黒い靴に黒い覆面、黒い手袋が置いてあった。どこかで見たような。
「えっと、こんなにたくさんは……まさきも驚くと思うんで」
なんとか意識を戻しつつ、バッグのファスナーを閉める。
「いいのよ、持っていってちょうだい」
ニコニコと笑う老女。その様子に一種の恐怖を感じてしまう。しかし大金を前にして、欲望が抑えられないのも事実だ。
こんなに大金があれば何ができるだろうかと考える。欲しかった車が買えるかもしれない、小林と逃走しても良いだろうか。
想像を膨らませていると、テレビが銀行強盗のニュースに切り替わった。
覆面で素性のわからなかった犯人を、ついに指名手配したそうだ。顔がデカデカと画面に映し出される。
俺は一瞬で、画面から目が離せなくなった。開いた口が塞がらない。
指名手配犯の顔は、目の前に座っている老女と、さっき庭で見た爺さんにそっくりな顔だったのだ。
「え?」
驚いて顔をあげる。それと同時に老女が一言、「あらあら」と呟いた。
じんわりと、俺の中で点と点が繋がっていく。
騙されていたのは、もしかして。
「ちょっとごめんなさいね」
老女が急に席を立った。リビングには、アナウンサーの声だけが響いている。そこで急に、事の重大さを理解した。
面倒なことになる前に帰ろう。小林が家の前で待っている。もし強盗の隠れ家を警察がすでに見抜いていたら、俺たちにプラスになることなんて何もない。
俺は勢いよく立ち上がり、玄関に向かった。
「もう帰るんですか」
突然、立ちふさがるように爺さんがぬるりと出てきた。
「お金、忘れてますよ」
口角は上がっているが目が全然笑っていない。
「あ、ちょっと急用を思い出したんで、大丈夫っす」
お辞儀して立ち去ろうと思ったのもつかの間、爺さんの後ろからジャージに着替えた老女が出てきた。
「もらえるものはもらっていきなさいよ。まさきが、困ってるんでしょう」
老女は、ジャージのポケットに左手を突っ込んでニヤリと笑う。
「車で来たのよね。運転手が一人。状況がわかってるなら、私たちも乗せてくれない?」
老女は玄関に座り込み、スニーカーの靴紐を結び始めた。それに続いて爺さんも、庭仕事をしていた姿のままで、スニーカーを履き始める。遠くでパトカーのサイレンが聞こえた気がした。
「老人の頼み、聞けないのかい」
その場から動けず黙っている俺を見かねて、爺さんが地面を揺らすような低い声で言った。
「は、犯罪者の手伝いはしたくねぇよ!」
声を震わせ本音を絞り出す。胃がかすかに痙攣し始めた。ここから逃げたい。
「それを言ったらあんたも犯罪者だろう。強盗と何が違うってんだ」
爺さんは鼻で笑いながら俺に言う。喉がギュッと閉まってしまって、何も喋れない。パクパクと、口を動かすだけ。
「もし本当にまさきが存在するなら……勘違いだったと謝ってやってもいいけどな」
まるで馬鹿にするように、爺さんはゲラゲラと声をあげる。
まさきなんて、いるわけないだろ。わかってるくせになんなんだよ。
「ここにはじきに警察が来る。困るのはそっちも一緒よね。もしあなたが今ここで逃げたら、私たちは警察に行って詐欺のことも話すわよ」
老女はそう言い、自分のスマホを見せてくる。画面には俺の顔写真、さらに車のナンバー。サッと血の気が引いていく。
「手を組みましょ。そっちは私たちを駅まで送る。あの金は欲しい分だけ取っていけばいいわ、まさに迷惑料としてあげるから。お互いに詐欺のことも、強盗のことも、一生誰にも喋らない約束ね」
今ここから逃げるためには、もうその提案に乗るしかなかった。
「わかった」
外にいる小林はまだ何も知らないはずだ。絞り出すように返事をする。「よし」という爺さんの声。俺は急いで靴を履いて玄関の戸を開けた。
時すでに遅し。
家の外にはたくさんの警察が集まっていた。
困惑した表情で警察に話を聞かれている小林。慌てて後ろを振り向くと、爺さんも老女も、ボストンバッグもなかった。キョロキョロしているうちに、バイクのエンジン音が勢い良く聞こえ、あっという間に遠くへ消えていく。
ああ騙された、自分らだけ逃げやがった。
頭の中に作り上げていたまさきが、爺さんそっくりな顔でほくそ笑む。お前、バカだなぁって。
「君は、どうしてここに?」
警察が迫ってくる。
小林が、もうおしまいだという顔を向けている。
言い訳を考えているうちに、自宅の中に入った警察官が電話の横に置いてあったメモを読みあげた。
「まさきの会社、ミスした、三百万必要、今から家に来る」
警察が口がニヤリと動いた。
「あんた、あの女に騙されたな」
パトカーの中で警官が教えてくれた。あの老夫婦は令和のルパンと峰不二子、と呼ばれているらしい。
頭の中に、老女の高笑いがこだました。
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