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111アクセスのお祝い (2)

11月3日に111アクセスのお祝いのギフトについて書き始めました。今日までにスキが4人。そのすべての人がカウンセリングを望んでいると仮定しても、当たる確率はかなり高いですね。爆笑。

あれから3日。私もどうやってやったらいいのか考えました。

まず、感想を言っていただける方がいいかなと思います。それはもしかしたらこのやり方で、困難を突破できる人が他に見つかる可能性も秘めています。ですので、経験をシェアしていただける方、ということでお願いしたいと思います。ある意味、今のところ4人なので、この方たちは遅かれ速かれ、希望すれば、無料で、カウンセリングはできます。今回はお一人でも、しばらくすれば、他の111回でお祝いになりますから。爆笑。

それで本日は、前回でもちょっと話が出ました。私の最初の結婚が私の統計プログラムとどういう風にリンクしていたかを示す、4年前に発表した、小説のはじめをご紹介したいと思います。今日はこのあともずっとNOTEに続きの記事を載せますので、そこで、どういう風にカウンセリングを実現させるか、それとそのサイトは次の記事でご紹介しますね。

では「20世紀最後のボンボン」第一部、第一章をお楽しみ下さい。おそらく第3章くらいまで読まないとわかりにくいので、第二章も次に載せます。

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20世紀最後のボンボン

第一部 東京篇

第一章 兆し

それは私が30歳の7月のことです。

その年は年初から奇妙なことが続いていました。

その年はというより、その年から、と言ったほうが

正確かもしれません。

それを少しずつお話しいたします。

ある夜、新宿の地下の西口交番あたりを

いつものように速足で、歩いていると

突然、不思議な女性に話しかけられました。

「あなたは今、岐路に立っている。

これから人生が大きく変わる。」

私は立ち止まらずにはいられませんでした。

その女性をよく見ると、小柄で色が白くて、

昔、私が知っていた青森の女性に

よく似ていました。その女性は名を名乗り、

名刺をくれましたが、今では覚えてませんし、

それからも一度会ったくらいで、それ以来、

見たことがありません。

「結婚するということ?」

と私は自分には似合わない質問を

していました。それはその女性が独特の雰囲気があって、

初めて会ったにもかかわらず、単刀直入に質問をしていい人

だと感じたからです。

占いの人かなと感じました。

「結婚じゃないかもしれないが、とにかくあなたの運命が

大きく動いているから、注意深く行動することだ。」

「それはいいこと?」と私が重ねて質問すると

「いい悪いはわからないが大きな変化が起きる。」

と彼女は即答しました。

5月にもやはり同じ地下道を歩いていた時、

偶然、表札を作る職人が店を出していて、

私は自分の名前で表札を作りました。

それは自分はずっと独身で行くのだ、

仕事を頑張っていくのだという決意のようなものでした。

その話をその彼女にすると、それは自分の名前を

この世に出したから、名前が浮かび上がって注目を

集めだしたのだと答えました。

そしてその日は私の誕生日と連絡先を教えて、

そのまま帰りました。

私はその話を誰にもしませんでした。

それは秘密にしようとしていたのではなく、

毎日忙しく働いているし、そんな些細なことに気を

取られなかったというほうが近いです。

ただ変化が来る、というのは私にはうれしいことでした。

数日後、彼女から連絡が来て、

やはり新宿西口地下の喫茶店で話をしました。

すると彼女は私の誕生日から、私のことを

少し分析したようでした。

そして、私の祖母がとても不幸だという話になりました。

それで恨んでいるから、

数珠を作ってお祈りをして強めないといけないといいました。

私は父の母は戦時中に餓死をしたと聞いていると答えました。

それだ、とその人は言いました。

「どういう風にお祈りするの?」

ときくと、先祖の名前をできる限り、調べて、

それを毎晩10回書いて、

水を供えて高いところに祀るのだといいました。

「ふーん」と私がつぶやいたとき、私たちは新宿西口の

NSビルのそばの横断歩道を歩いていました。

「どうもありがとう。じゃ。」

といって、私は帰りました。

それ以来、その人から連絡はありませんでしたし、

一度も姿を見かけたことは

ありませんでした。

けれども毎日、調べたご先祖様のお名前を

10回ずつ書いて、お水を供えてお祈りをすると

いうのは続けていました。

それは祖母が怒りを感じているなら、

素直に、鎮めるくらいお祈りをするのは

私としては当然のことでしたし、一度もあったことはない

祖母でしたが、近くにいるのかなと思いました。

そのころの私は明けても暮れてもプロ家庭教師業

まっしぐらで土曜日も日曜日も関係なく夏休みも

お正月もなくただただ働いてました。

それは私には何というか過去への罪悪感があって、

その罪悪感を消すために巡礼のように、

働き続けないといけないのだと自分に

課してきたようなところがあったので。

夜遅くに仕事から帰るときにも、電車の中から、

いろいろな家の灯りを見て、

私以外の人は家庭があっていいなあと思い、

と同時に、

私には縁のない話だと思い、

また働く毎日が続いていました。

それでも私は実家から出て、

西新宿の永谷マンションの705号室に

引っ越して、一人で住み始めました。

7月に新宿を歩いていたのはその下見や周りの状況を

確かめるためもありました。705という数字には意味があります。

3で割り切れます。これはとても重要なことなのです。

その部屋からは熊野神社が見えました。ビル群の中に

緑の森が見えるその景色が気に入って、どうしようもなく惹かれて

住むことにしたのです。

その部屋は1LDKで特別広い部屋でもありませんでした。

家賃は高かったのですが、どうしても一人になって、考えないといけないと思っていました。

8月に入り、信濃町で、私は長いこと私淑していた、

四柱推命の師匠のセミナー会場に

偶然居合わせました。残念ながら、

師匠には会えなかったのですが、

師匠の研究所の名刺をいただきました。

それは六本木にあるビルで、705号室でした。

六本木はそのころはアマンドがあるくらいで、

不良外人がいる程度の、ただガラの悪いイメージしか

私にはありませんでした。

それでも師匠に会いたい一心で、まずはがきを書いて、

お会いしたい旨を伝え、

電話をし、会っていただける日を決めました。

確か9月だったと思います。

西新宿の705号室を出発し、六本木の705号室に着きました。

思った通り、私とは非常に気が合って、

そのまま、師匠の車(そのころの私は車の種類など全くわかりませんでした

が今思い出してみると、BMWだったような気がします。)

で、家のある下北沢まで行き、二人で飲みました。

四柱推命の話は話しても話しても

尽きないほどあったので、あっという間に11時を過ぎていました。

師匠はもちろん、私の誕生日を調べてくださって、

今月は不倫をするかもしれないと

出ているが、それは自分かもしれないから

自分は家に帰るといいました。

私は師匠のことは尊敬していましたし、

魅力も感じていましたが、異性とさほど深く

付き合ったこともなく、もちろん不倫などもってのほかで

とにかくそこはお開きにして、私は自分の家に一人で戻りました。

その時も師匠の事務所で、働かないかという話が

持ち上がっていたので、10月に入ってから、

もう一度、会うことになりました。

それが運命の10月8日です。

事務所にまた伺い、少し話をしていた時、

突然師匠の電話が鳴って

師匠がこれから誰かと会うことになったようでした。

そこに私も連れていくと約束していました。

第二章 出逢い

次回に続きます。

SUJI ATHERTON


What an amazing choice you made! Thank you very much. Let's fly over the rainbow together!