見出し画像

20世紀最後のボンボン 第一部 東京篇 第十八章 すくすく




ちょうど帰宅した日は皇太子ご成婚のパレードの日でした。

写真拝借しました。


窓の遠くのほうで、音楽が演奏されていて、あたかも
カンクン君の誕生を祝っているようで、うれしかった。

ご先祖様に報告に行き、おはらいで、靖国神社に行き、
トラヤの特別のお祝いのお饅頭を配り、近所の薬局や
いきつけの店にあいさつに行った。
アルバムを振り返ると、私は白い服を着ている。
芦田淳のデザインだったと思う。よく考えてみると
ボンボンは非常によく服のことがわかっている人だった。
だてに商社で、外回りなどしてきたわけではなかったのだ。

生徒はまたうちに来るようになり、
そのころは全員女生徒だったこともあり、
私はときにはおっぱいをあげながら、
指導をしていたこともあった。
古文の解釈などをしていると、ボンボンは
そんな男女の恋の話などを赤ちゃんの頃から
聞かせていいのかなあとか、いろいろ文句をつけていた。
仲間に入ろうとしていたのだと思う。

生まれてから一年くらいは赤ちゃんはだいたい眠っている。
カンクン君もたいていは眠っていた。
起きて、フミフミ言い出すとすかさず隣に寝て、
おっぱいをあげた。そしておっぱいをあげているうちに
私も赤ちゃんも眠ってしまう日がよくあった。
しつけも何もなかった。
泣きそうになったら、おっぱい。違ったら、
おむつを替える。その繰り返しで毎日が流れていった。
そんなに長く眠り続けていたのはその時が初めてだった。
出産で、いい休息を得ることができてうれしかった。

季節は夏に向かっていたので、カンクン君はほとんどおむつに
肌着だけの毎日で、靴下も履かなかった。
お風呂も洗うというよりも、湯船で泳がせて、汗を流すくらいで
ほとんどボンボンが一緒に遊んでいた。
ボンボンは生まれてすぐに泣かなかったそうで、
そのくらい弱い赤ちゃんで、それに比べて、今、目の前にいる
カンクン君は生まれたときから宮澤喜一前首相のような顔で、
いつでもにこにこ笑っていて、おっぱいもよく飲んで、
ぐっすり眠る丈夫な赤ちゃんだった。

秋になったので、箱根に紅葉を見に出かけた。
久しぶりにロマンスカーに乗ったら、ずいぶん改良されて
景色を存分に楽しむことができた。
ホテルにプールがあって、試しに入ってみたが、
カンクン君がいつもになく泣くので、
すぐに出てきた。
食事も普通にホテルのレストランで、フレンチにトライしてみた。
私が何か食べているとカンクン君もお腹がすいてきて、
すぐにおっぱいの時間になった。
けれども、泣くこともなく、食事を済ますことができた。
お母さんが食べるものは全部赤ちゃんに行くので、
食事をどんなに素敵なレストランでしていても、
落ち着いて楽しむという感じとは程遠く、
いつも、せわしないものだった。
それでも、一人きりの部屋で、お月さまを見上げながら、
このままずっと一人なのかと寂しくお団子を
食べていた二年前(30才の頃)を思えば、
極上の天国のようなところでした。

そしてつかまり立ちをし、歩行器で家中を
駆け抜け、歯が生え、人見知りをし、
片言を発し始め、おもちゃを選ぶようになり、
リズムに合わせてダンスして、その年は暮れていった。

そのころには翌年のサンフランシスコ移住の件が
かなり詰めてあって、今度は日本の不動産屋ではなく、
現地に住んでいた私の友達に、不動産屋の連絡先を
送ってもらい、国際電話をかけて、だいたいの
住宅事情を聴きだし、ボンボンは目星をつけていたようでした。
私が育児と指導に明け暮れていた間、ボンボンは
ちゃくちゃくと移住の準備を進めていました。
もともとボンボンはサンフランシスコに留学したことが
ありました。20代前半の頃でしたが、イタリア系アメリカ人の
家に、住みながら、留学していました。
ちょうどヒッピー全盛のころでしたが、ボンボンはフラワーチルドレン

写真を拝借しました。


のことも知らなかったので、本当にまじめにクラスに出て、
集会やコンサートなどには目もくれなかったものと思います。


第十九章 ドキュメンタリーをつくる
に続く

What an amazing choice you made! Thank you very much. Let's fly over the rainbow together!