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ムズカシイ

 誰かに寄り添いたいとか、この瞬間にも心地よくあってほしいという願いから自身の想いを伝える時、自らの体験から言葉を選ぶことが多い
だけれど、そういう時にどうしても自分語りな物言いになってしまうことが、とても悔しい

 「私はこうだった」とか「そういう時はこうだよね」とか、相手の気持ちに配慮しようとしたつもりの私の言葉も、気付かない内に、いつしか自分主体の ""お話"" にすり替わってしまうことがある
 
 相手の気持ちに寄り添おうと努力する時、その気持ちを最大限に想像するが、これは近道のように思えても、実際に相手が求めているものとはすれ違いやすいような気がする
 

 想像することしかできない中で、それでも相手が私の中に助けを求めてきた時、どのように接して何を感じてもらうことがその人にとって優しいものになるか、その困難さについてずっと考えている

#悩み

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