スタオケキャラ雑感:鷹峯高校(御門浮葉&鷲上源一郎&堂本大我)
スマートフォンアプリ「金色のコルダ スターライトオーケストラ」(通称:スタオケ)の鷹峯高校のキャラクター3名と、彼らがフィーチャーされるメインストーリー7章および期間限定イベントについて所感をまとめる。
現在スタオケでは1.5周年企画の一環でメインストーリー解放応援キャンペーンを行なっている(~2022年9月24日まで)。記事内で紹介するキャラクターの中でお気に召した子がいたらぜひアプリをダウンロードしてゲームを楽しんでいただきたいという気持ちを込め、未プレイの方に向けて書……
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……いていたつもりだったが、筆者が個人的にメインストーリーで最も気に入っている章であるため、ネタバレ部分を含め書きたいことを書きすぎてしまった。
本末転倒の感が強いが、未プレイの方には序盤のキャラクター所感の部分のみお読みいただければ十分だ。万一皆さんが7章をプレイしてから後半のストーリー所感を読みに戻ってきていただけたなら、この上ない幸いである。
御門浮葉(鷹峯高校3年 / クラリネット)
公式プロフィールの文章ですでに異世界感が凄まじい。“絶対的な主”ってなんだ。年号を三つばかしすっ飛ばしてないか。ふとしたときに古歌を口ずさむ高校3年生男子がおるか……?(ぐるぐる目)
京都の名門の生まれで、著名な作曲家の一粒種というサラブレッドで、美貌の貴公子。そのため幼少期からすでに音楽方面での才幹を示してきた。主人公が彼の邸に足を運ぶと、立派なお邸で使用人に傅かれて静かに暮らしている様子を垣間見ることができる。邸の庭で花を愛でるのが趣味というが、季節に応じて咲き誇っては散っていく花に己を重ねて見るあたり、もともとの自尊心自体はかなり高い。
7章で語られる通り、父が醜聞にまみれ汚名を雪げぬまま没したことを端緒に、名誉や財産など様々なものを失って苦境に立たされている。彼自身はそのこと自体はなんでもないかのように、京都に来た主人公を手厚くもてなすが、主人公と接触した7章時点ですでに邸も楽器も手放す直前まで来ている。
CLAMP作品に登場しそうな、いかにも「桜にさらわれそう」なイメージがある一方、そのたをやめぶりを逆手に取って相手を思い通りに誘導する様は実にしたたか。若くして重責を負わされた経緯を鑑みると、様々な面倒事をやり過ごしてきた結果身につけた処世術と見るべきだろう。
南乙音役の熊谷氏と同じく、担当声優(前野智昭氏)の地声や普段演じるキャラクターとはかけ離れたウィスパーボイスも特徴のひとつ。御門の声を一度聴いて前野氏だと当てられる人はそう多くないだろう。
これまでの登場キャラクターと同様、京都にいる間は源一郎とともにスタオケに加わることを約束した御門。彼がよりよい未来をつかむための一歩を踏み出すために、主人公とスタオケができることとは――?
鷲上源一郎(鷹峯高校2年 / オーボエ)
公式プロフィールですでに“書生”“従者”など、これほんとに2020年代の話か?と時代設定の確認をしてしまいそうになる。シリーズ歴代キャラクターの中でも最高の193cmの長身の持ち主で、ティザービジュアルを見ると頭ひとつ飛び抜けているのがよくわかるだろう。スタオケに加わると、かわいい美少年チーム(ポラリス・乙音)だった木管組にデカい男が加わった格好になるのが逆に微笑ましい。
強面・無口・武人らしい佇まいのためモブ女子に怖がられるシーンもあるが、そんな源一郎が貴族的なふるまいをする御門に静かに付き従う様子は、時代錯誤ではあるが様になる。
見た目に違わず剣道を嗜み、特技は居合、趣味は乾布摩擦という古風さは御門といい勝負(乾布摩擦ってことはそのうち脱ぐシーンがあるんだろうな!?)。その一方、書道は毛筆も硬筆も達者で、御門家の庭の花を世話していたことから花にも詳しい。いかにも文系と思いきや、実家の診療所を継ぐために医者を志望している。……こう書くと要素モリモリキャラだな!?
もともと京都の産ではなく、御門衣純(浮葉の父)の楽曲とオーケストラに魅了され、中学1年生だった4年前に御門家に入門するために単身で京都にやってきた東北男児。このエピソードだけでも、思い立ったときの行動力が凄まじいことが知れる。当の衣純には「若すぎる」という理由でいったん入門を断られたが、一人息子の浮葉がとりなしたことで入門を許され、御門家に居候することになった。しかしその後は当の衣純の死没などにより、音楽を学ぶどころではなくなってしまう。
自分の体格が人一倍優れていることを自覚しているためか、あるいは医者志望ということもあってか、「人の役に立ちたい、頼られたい」という気持ちが強く、弱い者や困っている者を放っておけないタイプ。御門家から離れなかったのは御門個人に恩義を感じているからというのが最大の理由だが、御門を“お父上に先立たれ、多くの人に裏切られ、かわいそうで守らなければならない人”と認識していた部分も少なからずあるからだろう。
堂本大我(鷹峯高校2年 / ファゴット)
こちらはグランツ交響楽団のメンバーで、ゲームシステム上は編成できるカードが実装されてはいるが、ストーリー上はスタオケに加入しないキャラクター。上述の主従ほど時代錯誤ではないが、いかにも悪人らしい外見と他人の理想を嘲笑う態度は、7章の空気が混沌とする主要因となる。3章でも登場し、“悪の巨魁グランツ交響楽団”のイメージを醸成するのに一役買った。
いかにも“捕食者”“賢い肉食獣”を連想させるワイルド&セクシー担当。治安の悪さを漂わせているにも関わらず、語彙が豊富でやたらと教養があるところはポイントが高い。コンマスを下ろされた月城慧を指して「イギリスの幽霊」と表現するのはセンスがありすぎる。
一応御門・源一郎と同じ鷹峯の学ランを着ているわけだが、ここまで着崩すと一見して同じ学校の生徒とは思えない。日本で暮らすなら胸元に見える黒いソレは隠した方がいいぞ……!と言いたくなる(大我は海外育ちである)。
スタオケで世界一を目指す!と息巻く主人公に対し「ご大層な夢」と鼻で笑う大我。彼自身はといえば、「金稼ぎのために音楽をやっている」と嘯く。ここで、4章のリーガルレコード関連で提示された“商業主義としてのクラシック音楽”というテーマが再び色濃く滲み出ることになる。
スタオケに所属しないキャラクターということもあり、メインストーリーを追うだけでは彼についてわかることは少ない。キャラクターストーリーや期間限定イベントのストーリーで、ただただ“露悪的で危険”というイメージ以外の彼の本質が見えてくる。
メインストーリー7章「紅に染まる古都」
京都芸術ホールのこけら落とし公演での演奏を依頼されたスタオケ。秋の京都を散策していた主人公は、一人でクラリネットを奏でていた御門浮葉と出会い、やがて彼とその書生の鷲上源一郎と知遇を得る。スタオケが京都で公演することを伝えると、二人はスタオケが京都にいる間は演奏に参加することを約束する。
一方、御門邸には堂本大我が頻繁に訪れ、「リーガルレコードと契約し演奏家になるように」と御門に迫っていた。御門の父・御門衣純は著名な作曲家だったが、あるとき盗作疑惑をかけられて楽壇に大騒動を巻き起こし、失意のうちに亡くなった。それ以来御門家は経済的に苦境に陥っているが、リーガルレコードと契約して大金を手にすれば邸も楽器も手放さずに済む――というのが大我の弁である。
しかし、リーガルレコードはこれまでも多数の演奏家を使い潰し闇に葬ってきた過去があり、リーガル社長の弟にあたる成宮は懸念を呈する。そもそも困窮して自らの悲劇性を売るというそのこと自体が、矜持の強い御門にとっては耐え難く、大我の勧誘に首を縦に振ろうとしない。
源一郎は御門家の危難につけ込む大我とリーガルレコードを忌々しく思いながらも、主のために何もすることができない。そんな己の不甲斐なさを主人公に吐露する。
重大な事情を抱える一方、御門と源一郎はスタオケでの演奏や交流を大いに楽しんでいる。御門衣純の死後、おそらく腫れ物扱いされることを恐れてのことだろうが、二人は人前で演奏活動を長らく避けていたのだ。
スタオケに参加したのは源一郎の希望に沿ったものだったという御門は、源一郎が合奏を楽しむ様子に安堵した風を見せつつ、自らは今回のスタオケ京都公演を終えたら楽器を手放す(音楽をやめる)つもりだと主人公に明かす。
公演の日がしだいに近づくある日、「これが最後」と御門邸を訪れた大我。音楽をやめる決意を固めている御門は、やはり大我の勧誘を突っぱねる。しかし大我が御門の選択を「単なる、逃げだな」と一蹴すると、御門の表情に変化が現れる。
練習の合間、主人公に語りかける御門。「誰かを悲しませるとしてもわがままに生きていいものか」と問われて主人公が賛意を示すと、彼は満足そうに微笑を湛える。
迎えたコンサート当日、スタオケの一員として会心のハーモニーを奏でた御門と源一郎。仲間とともに音楽を奏でる喜びと楽しさを教えてくれた主人公に謝意を述べた御門は、源一郎を宝ヶ池のほとりに連れ出すのだった。
期間限定イベント「組曲 彼方を染めゆくリチェルカーレ」
御門&大我のSSRカードを初実装した期間限定イベント「組曲 彼方を染めゆくリチェルカーレ」のイベントストーリーでは、9章の後の二人を中心としたグランツ交響楽団の様子が描かれる(7章の補完の役割も果たしている)。出会いの経緯からして相性が最悪だった御門と大我の二人は、生活スタイルから音楽の趣味まで共通点が何ひとつない。だが成宮社長の指揮の下でユニットを組まされることになり、反発し合いながらも自分たちの奏でるべき新しい音楽を模索していく。
誰に対しても穏やかで楚々とした態度だった御門が、大我に対してだけはいわゆる京都人らしい嫌味を連発。常に人を食ったような態度の大我の方も、御門に対してだけは感情をむき出しにさせられるのは面白い。
やがて二人はユニット名の「黒橡」(喪服の色)の名の通り、弔いの音楽という方向性を見出す。大我と新たなハーモニーを生み出した御門に対し、月城が「泥中の蓮」と表現したのは、商業音楽の世界において自らの悲劇を切り売りさせられる“地獄”で開花させた、彼の新しい生き方に対する賛辞であろう。
「紅の主従」と「黒橡」
御門と源一郎のリンクスキル名は「紅の主従」で、7章のタイトル「紅に染まる古都」の“紅”はここから来ており、主従が主軸に描かれるストーリーであることを明示している。
一方で、御門と大我のリンクスキル名は「黒橡」。“紅”と“(黒)橡”は鷹峯の制服のカラーにそのまま当たるのが興味深いが、万葉集巻18に「紅はうつろふものぞ橡のなれにし衣になほしかめやも」という大伴家持の古歌がある。歌意は「紅で染めた高級な衣は美しいだろうが、色褪せやすい。橡で染めた地味な衣は、慣れ親しんで着やすくてよいものだな」くらいか。もとは浮気男を戒める内容(紅の衣は若く美しい浮気相手の女、橡の衣は古女房)だ。7章の内容と照らし合わせるに、“紅の主従”の関係は美しく価値あるものだが互いに依存し縛り合うものだったと言える。一方で“黒橡”は、零落はしたが泥臭くしたたかに生きる御門と大我が、本音をぶつけ合える関係を得たことを示している。
スタオケにやってきた源一郎は、追い立てられるような別離を経た後、いつか主に認められる演奏者になることを目標に、仲間とオケ活動に励んでいる。スターライトオーケストラに加入した源一郎と主人公は、地獄の釜の底にいる御門にとって遙か天空に輝く星明りであり、「人の世界に私をつなぎ留める、くびき」(SSR御門浮葉「忘れえぬ光」)である。源一郎と主人公とともにスターライトオーケストラで過ごした夢のようなひとときは、彼の大切な経験として心の中にしまわれているのだ。
一方で、期間限定イベント「Music and the Fatal Ring」のストーリーを読むに、“紅の主従”の関係が断ち切られたままということはありえない。離れ離れになった彼らの間にいま介在するのはただ音楽だけであるが、スタオケを含む「金色のコルダ」シリーズでは、音楽によって結ばれる関係こそ「絆(corda)」と呼ぶ。二人が主従ではなくステージの上で対等に並び立てる演奏者となったとき、初めてお互いを傷つけ合わない関係に昇華されるのではないか。
長期にわたって少しずつ描写を重ねてゆくことで、一度離別はしたがいつか音楽によって道が交わる可能性をうっすらと示している“紅の主従”の関係性は、おそらくこれまでと同じネオロマンス作品の売り切りコンシューマーゲームとして発売されていたら描けなかったのではないかと思った。この描写の積み重ねは、週刊か月刊の連載漫画を追いかけるのに似ている。もちろんストーリーを逆算して進行させる必要はあるが、個人的には、そうした展開をソーシャルゲームアプリという媒体が可能にするということに目を開かされたような気がした。
御門浮葉の可能性と選択
6章までの間、スタオケはメンバー募集においても実績面でも順調な成長を続けていた。7章末の御門浮葉のスタオケ離脱とグランツ参入は、単純に「味方になるはずだった有用な人材が敵に回った(闇墜ちした)」構図であるとも言え、スタオケと主人公にとって初めてにして最大の挫折体験となる。
ここで、スタオケのストーリーにおける主人公(朝日奈唯)の役割がさらに明確化する。“主人公は出会う人々すべてを救う女神”や“運命の女”ではなく、“その人に眠る可能性を目覚めさせる少女”であるということ。出会いはきっかけに過ぎず、その後にどういう道を選び取るかは相手次第なのである。これはメインストーリーのHARDステージをクリアして解放されるエピソードで示唆される。
無抵抗のまま死ぬ寸前だった演奏家としての御門が、主人公との交流と大我の挑発によって息を吹き返す。しかし経済的な苦境に直面している彼が音楽を続けるには、リーガルレコードの支援が不可欠だった。御門はグランツへ加入すればよいが、ただそうしただけでは源一郎が音楽をやる場を完全に失う。
将来家業を継ぐことになっている源一郎が音楽を存分にやれる時間は、限りがある。その短い時間を空費させていたことに、御門は後ろめたさがあっただろう。この状況は6章で登場した乙音のおばあにも共通しており、すなわち呪縛から解き放つのが最適解ということになる。おばあの場合は乙音の背を押して温かく送り出し、御門の場合は源一郎を冷たく突き放した――もちろん「めでたしめでたし」とはいかないわけだが。
なんの犠牲も払わずに円満解決させることが難しい問題について、覚悟を持って選択することは、苦しいが尊いことだと筆者は思う。自分自身や、あるいは自分にとって大切な物事を見つめ直して、熟考に熟考を重ねる必要があるからだ。今回、御門が選び取ったのは決して安寧の道ではない。お涙頂戴的なプロモーションとともに世に出されることで、「御門家の恥を晒」しながら生きる修羅の道だ。尽くしてくれた源一郎に報いることもできずに別れることになる。それでも、主人公とスタオケが音楽の喜びと楽しさを思い起こさせたことで、彼には矜持以上に譲れないものができてしまった。
泥臭く生き抜いてやろうという強い意志に、筆者は敬意を払いたいと思う。主人公の手の届かないところで、覚悟通りにあがいて本懐を遂げてほしい。幸い、グランツ交響楽団は御門にとって居心地の悪くない場所になったし、成宮社長とわたり合うだけの政治力を彼は持っている。相方となった大我を時にはうまく“利用”し、少しでも彼の心が傷ついたり摩耗したりするのを避ける工夫をしながら戦い抜いてくれたらよい。そして、辛苦におぼれそうになったときに主人公のことをちらと思い、7章末のコンサートで奏でた音楽の喜びを思い出してくれたら、それでよいと思うのだ。
メインストーリー7章を経て、スタオケは横浜へ戻る。その後、不安と焦りを胸に札幌へ向かい、次の記事で紹介する「ネオンフィッシュ」の笹塚と仁科に出会うことになる。
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