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行徳・浦安33ヶ所観音霊場巡りと浦安の町

行徳・浦安33ヶ所観音霊場巡りに参加しました。4度目の参加で、今回はスタッフとして先頭を歩く役で参加させていただきました。

このイベントは、3日間に分けて、旧行徳領内にあった33ヶ所のお寺を巡るというものです西は浦安、東は船橋の方まで及んでいて、3日間とはいえ、なかなかハードなお寺めぐりです。

私は2日目の浦安方面の回の先頭を歩きました。今回歩いて、浦安の町の面白さに気づかされたので、紹介しようと思います。

(1)行徳・浦安33ヶ所観音霊場巡りとは

始まりは、江戸時代、1690年代と言われており、江戸から近いこの行徳地域で観光を兼ねたお寺巡りが発案されたのだそうだ。それが行徳・浦安33ヶ所観音霊場巡りとして定着したらしい。

1984年、行徳郷土文化懇話会によってこのイベントが復活され、今年も継続されています。

このイベントのすごいところは、33ヶ所のお寺全てが1690年にはすでに存在していたという点なのです。古いお寺は創立500年というものもあり、改めてこの地域の歴史の凄さに気付かされます。

古い石造の裏側には江戸時代とわかる年号の刻印も見られる。

(2)巡るお寺と第2日目の工程

33ヶ所巡りのお寺を紹介しているサイトはいくつかありますので、そちらを紹介します。

お寺の紹介と御朱印の紹介(外部リンク)

さすがに古いというのもあり、一部住職さんがいらっしゃらないお寺なども存在していたりしますが、多くが今もなお立派な本堂を構えてらっしゃるお寺であり、驚きです。

そして、第2日目は、行徳駅から3分のところにある弁天公園がスタート地点です。弁天公園を出発し、行徳街道に入り、浦安方面に向けて歩き、12ヶ所のお寺を巡ります。浦安の大蓮寺がゴール地点です。

(3)歩いていて気付いたこと

今回初めて気づいたわけでもなく、前から思っていたことだったのですが、途中、行徳街道を抜け、浦安に向けて歩くとき、お寺とお寺の間隔が長くなります。

行徳街道沿いに歩いていたときは、次のお寺までは、まあまあ5分10分ってところだったのですが、延命寺を過ぎると、次の善福寺まで20分歩くことになります。さらに善福寺から次の花蔵院までは30分くらい歩きます。

google mapでお寺の場所をプロットすると以下のようになります。ライトグリーンのピンマークが巡るお寺の位置です。

(4)明治時代の行徳・浦安地域

こういう疑問を抱きながら、明治の古地図を眺めていると、答えは簡単なことでした。以下に明治の古地図を今昔マップon the webで調べて見ました。以下明治時代の地図を引用します。

パッと目につくのは畑の多さです。一方、市街地は黒っぽくなっているので市街地の位置がわかりやすく表示されています。

江戸川を東西に流れているところでは、川沿いに住宅地が密集していますが、相ノ川あたりで途切れており、そこから南へ向けて飛び地のように住宅地が点在しています。

相ノ川から南下すると、「新井」があり、さらに南下すると「当代島」があり、そして最後に「猫実」「堀江」があります。そして点在する町の間は畑になっており、住宅はありません。

お寺の位置と完全に対応することがわかりました。延命寺は「新井」にあり、善福寺は「当代島」にあり、そして、花蔵院は「猫実」にあります。

つまり、寺から寺の距離は、昔の市街地から市街地の距離だったんですね。現代のこの地域で、家がない場所を歩くことはないですが、江戸時代の33ヶ所巡りでは、次の民家を目指して歩いていたんでしょうね。そんな風景をイメージしながら歩けば良かったと今更ながら後悔です。

(5)浦安の町

この明治の地図を見ると、浦安地域(猫実・堀江)が真黒なことに気付きます。浦安は民家が密集するすごい場所だったんですね。下の地図は東京の東側も含めた明治の古地図です。東京から東側に行くと市街地は稀ですが、浦安は真黒で目立ちます。昔から人が集まる要衝だったんでしょう。

下の地図は、1960年代の浦安の地図です。東西線が開通する前ですね。

この時代も、市街地はさほど広がっておらず、やはり猫実・堀江に集中しています。浦安の特徴はなんと言っても境川ですね。猫実と堀江が境川を挟む格好になっているのが特徴です。

浦安は漁師町だったことで有名ですが、この川がもたらす飲用水と漁のための船溜まりを形成し、さらに都心まで水運でモノを運べたことが、地図から見えてくる浦安の要衝たる所以でしょうか。

下の写真は漁師町だった頃の境川の写真です。境川に沿って船が密集してます。海を避けかつ、船溜りが、安全な陸地である家のそばにあったならそりゃあ良いですよね。遠浅な東京湾につながる川だからこその風景なんでしょうか。

もしかしたら、この写真は江戸時代の江戸の町の縮図なのかもしれません。

(6)終わりに

今回、すぐ近くの町である浦安の歴史の深さ、面白さに気付かされました。明治から昭和にかけて活躍した鳥瞰図作家で有名な松井天山も、浦安の鳥瞰図を描いています。

また、「男はつらいよ」のシリーズ第5作目で浦安でロケをやったそうです。1970年の作品であり、以下のサイトでは作品の映像が一部紹介されています。まだ漁師町の名残が残った風景が見れるようです。

もう少し、浦安のことを調べてみようと思いました。

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