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都市に残る渡し(大阪市の渡船場)

渡し船といえば今となっては大昔の話。今でも昔を懐かしむという目的でほそぼそと運営する渡し船もある。葛飾柴又と千葉県松戸市を結ぶ「矢切の渡し」は、有名だ。エンジン音のない手漕ぎ船に乗ってのどかな江戸川を対岸へ渡る。

大陸へ行くと、広い台地に対岸が見えないほどに大きな川が流れている。田舎へ行くと大きな橋など架けられないから、船が重要な渡河手段である場所もたくさんある。

そんな生活に密着した渡河方法として、日本の中にも渡し船が現存するなんて最近になるまで全く知らなかった。ところが、大阪の都市部で渡河のための渡し船が残っているよと知人が教えてくれ、すごく驚いた。調べてみると大阪の臨海部に8つもの渡船場が現存しているのである。

この情報を得てずっと行きたいと思っていた矢先、10月に2つの渡船場を訪れ乗船する機会を得た。最初に訪れたのは「千本松渡船場」。木津川を渡河する、西成区と大正区を結ぶ航路だ。

大正区側からの乗船である。渡船場へ行ってみると、まず川がでかい、深い。江戸川放水路ののどかな光景とは比べ物にならない。まさしく都市の臨海部である。はるか高い頭上を大きな橋が対岸へ向けて架かっている。俗称めがね橋というらしい。車道用であり、2回もループし、あそこまで高い位置に上るらしい。もはや歩行者や自転車は、あの橋では渡る気力もでないだろう。

ちょうど船が対岸からやってきた。コンパクトな可愛らしい小型船である。意外とあっさり渡河し、こちら岸へ着岸する。あっというまに着岸し、手早く歩行者・自転車が下船し、代わりにこちらの待合場から乗船が始まる。その間、たったの1~2分。2名の職員さんによる船の着岸ワザと誘導スキルが素晴らしい。

乗り遅れないよう私も乗船した。船内は椅子も何もない。単なるスペースである。だからこそ徒歩も自転車も簡単に乗下船できるのであろう。あっという間に出発。女子中学生と思われる数名のグループが自転車で乗り込んでいる。生活感が感じられる。対岸にはショッピングセンターでもあるのか買い物にでも行くのだろうか。この渡船場は大阪市によって運営されており、乗船料は徒歩であろうと自転車であろうと、無料である。あっという間に対岸に大正区側へ着岸し下船した。

その後、徒歩でもう一つの渡船場「落合下渡船場」まで行き、同じくコンパクトな船で大正区側へ戻った。どちらの渡船場も1時間に4往復している。自転車で向こう岸へ渡りたいときに、15分待てば、わずか数分で渡河できてしまうという、よく考えるとなかなか便利な交通手段だと思った。

話は渡船前にさかのぼるが、何を隠そう関東からの旅行者であった私は、渡船場へ行くためにタクシーに乗る羽目になった。鉄道駅から渡船場へ行くには公共の交通機関がないのである。でもこれは不思議なことではなく、この船は旅行者のためのものではなく、あくまで地元地域民の生活のためであることを示しているのだと思う。タクシーの運ちゃんが渡船場の場所を知らず、スムーズにたどり着けなかったことも頷ける。

大阪市のホームページによると、大阪市内に8つの渡船場が現存するとのこと。なぜ大阪にこれだけの渡船場が残ったのだろうか?

今昔マップで大阪の臨海部の明治の地図を調べてみた。大正区のほとんどの地域は埋め立て地ではないようだ。明治においては畑だったようである。おそらく昭和にかけて宅地化が行われたのであろう。

人が住めば橋を架ければよい話だと思う。現に東京の隅田川沿いは昔から人も住んでいたし多数の橋が架けられている。大阪のこの地域では、なぜあんな高い橋が架けられたのか?船舶の航行のため?などと考えつつも、また今度ゆっくり調べようということで、今回は終わりにしたい。

なんにせよ、この地域では渡船場がないと、おそらく対岸地域とは完全に分断してしまうだろう。行徳でも江戸川区とは川を挟んで隣接しているが、気軽に渡れる場所は篠崎水門の橋だけである。行徳の旧江戸川沿いに住む住人は対岸の江戸川区に行ったこともない人は多数だろう。行徳と江戸川区を結ぶ渡船があるとよいのではないか。大阪市住民ではないが、貴重な渡船場、やはり地域同士をつなぐ意味で、今後も残していただきたいと思う。

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