平山智さんの手のひら

平山さんと

逝ってほしくなかったひとが、またひとり旅立ってしまいました。
元カープの外野手で、熱血プレイで草創期のカープファンを沸かせた平山智さんが亡くなられていたとか。享年91歳。

訃報にせっして涙するのは、ひさしぶりのことです。
何年前のことになるのかカープの初代エース長谷川良平さんが鬼籍に入られる前のことでしたから、2000年の前後だったはずです。元カープの剛腕投手・外木場義郎さんの偉業を顕彰するような会があって、ナマの平山智さんをはじめてお見かけしたのはその席でのことでした。

それが平山さんだとわかったのは、ひととおりのセレモニーがすんだ歓談中のこと。貴賓席にいた大御所・長谷川良平さんのところに安仁屋宗八さんが誰かを連れていかれるのをみんなが注視しはじめたからで、その様子からそれが平山さんだと直感したのです。

長谷川さんと平山さんとが長く仲たがいしているらしいことは、どこからともなく耳にしていました。
長谷川さんの現役時代の信念と、聞きおよんでいた平山さんの人間性とを思えば、そうなるのは必然だったはずで、ぼくの中でその反目は確たる事実として認識されていたのです。

そして、その平山さんを長谷川さんのところに案内しているのが安仁屋さんということで、これはもうピンときました。
「ああ、安仁屋さんがふたりを手打ちさせようとしているんだ」と。
安仁屋さんが尋常ならざる配慮のひとであることを知っているからこそ、そこにいた連中もそれを察してその経緯に注目していたのです。

長谷川さんはその頃すでに車椅子がないと移動もままならないからだになっていました。それでもなんとか身を起こして平山さんを迎えようとしているのが、遠い宴席からも見てとれました。
平山さんは平山さんで、何のわだかまりもなかったかのように素直に両手をさしだされていました。
おふたりの表情までは、はっきりと認めることはできませんでした。しかしまちがいなく、熱いものが溢れでていたことでしょう。

それはそれは、いい光景でした。
信念と人間性とをかけて衝突したまま、日本とアメリカという距離をおいてシコリを解くチャンスがなかったおふたりが、握手に握手を重ねて和解した瞬間…。
長谷川さんにとっては永遠の旅立ちの前に未練をひとつ解消できたことでしょうし、平山さんにとっては逝ってしまわれる前にわだかまりを解くことができたのです。

安仁屋さんのクリーンヒット。いや、完全試合でした。
外木場さんの偉業を称えるにやぶさかではありませんが、なぜあの日だったのか? 
呼びかけ人が安仁屋さんでしたから、きっとこのセレモニーを仕込むために企画されたのでしょう。

この会がハネたあと、安仁屋さんの行きつけの焼き鳥屋さんで二次会がありました。ここでナマ平山さんと酒席をご一緒できるチャンスを得たのは忘れがたい思い出です。
前世の縁まで引っ張り出すつもりはありませんが、以前から識っていたような、そんな気がして遠慮なく戯れさせてもらいました。
〝ひとタラシ〟といえば失礼でしょうか、平山さんのにじみでる人間性、温かさに一発でファンになってしまいました。
お会いしたのは、この日の一度だけ。でもぼくにとっては、忘れ得ぬカープのレジェンドのひとりでした。

平山さん、あの日ぼくの肩に手をまわしたときのあなたの掌の暖かさ、いまでもはっきりと覚えています。
遠からず、あの掌で長谷川さんとあらためて握手されるのでしょう、「ぼくも、来たよ」と、アメリカ訛りの日本語で挨拶しながら。

涙しながらも、悲しくはないのはなぜなんでしょう。
喪失感もありません。
もしかしたら、あのときの掌の温かさの記憶が、まだはっきりと残っているからでしょうか。

でもご挨拶だけはしておきませんとね、礼儀ですから。
「黄泉の旅路、くれぐれもお気をつけて」

かつての韋駄天ぶりを発揮して、直行で天国までスタールしてしまわれんことを。



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