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2月21日(月)

ネット禁止。映画も断って、どれだけデスクワークに専念できるか、脳体力の現状を測ってみることにした。

きょうも朝7時起き。トイレの曇りガラスの窓からも白い世界がのぞけた。窓を開けると、風花が舞っていた。
山稜越しに日がのぞくとき折良く雲が晴れたので、久々に日拝する。

いつからか2時間も目覚めが遅くなっている。たるんどる証拠だろう。
7時半から「スピリチャル万葉集」の原稿をnoteの投稿欄に転載して読み直してみる。書き足りないところを捕捉し粗書きを整える。
9時半に片づけして朝食。

10半からは「追憶のドリームフィールド」のバーベキュー編の写真を投稿欄に転載してキャプションの粗書きする。

昼前に畑に出て、ポットの大豆に水やり。きのうの時点で新芽の頭が少し覗いているのが2、3確認できた。スーパーで買った食材の大豆だが、なんとか育ちそうだ。

12時から「8月6日のバット」ゲラ校正。9.11の場面まで来たが、激突を見届ける連中のキャラクターをしっかり整理しないまま書き進んでしまったので、状況が流れる。あらためて整理し直すことにして、この部分は後回しにした。

2時間ほどやってから「追憶のドリームフィールド」のキャプションを書き上げて3時にアップする。

ジャガイモの種芋移植

3時半から畑に出て、ジャガイモの種芋を植える。
作業を終えてから枯れ草を焼却炉で燃やす。湿気ていて捗らず。

夕食、風呂のあと「8月6日のバット」校正のつづき。
日拝が効いたか、淡々と集中して農作業も脳作業もできた。わかりきったことだが、ネットと映画はほどほどにすべしが結論だ。

きょうの訃報は西郷輝彦だった。橋幸夫、舟木一夫とともに御三家ともて囃されていたころ、橋はおじん臭く、舟木については、なぜか「そっくり!」というだけで好意もたれて旅先の一夜だけ小娘と懇ろになれた恩義はあったが、ネクラな印象は拭えず、誰かといわれればスマートな西郷に一番好感を持っていた。
といってもとくにファンだった訳でもなく、その後の俳優への転身、その成功もピンとこなかった。そしてテレビを見なくなってからは、その他おおぜいのひとりとして芸能人に埋没してしまっていた。

それでも、かれの訃報に意識がとまったのは、がんでの闘病ぶりを発信していたと知ったからだろう。
知り合いの何人かは、西郷と同じくがんとの闘いを公開し勝利を周囲に宣言していた。しかし残念ながら、がんに勝利し帰還した知人はいない。

自分なら闘病ぶりを公開することはしない。いや、がんであることすら秘匿しておくだろう。ずっとそう思ってきた。
しかし、はたして現実にがんになったとき、その信念を貫けるだろうか。

「死に直面すると、だれもが生きることを考える」という終末期医療現場の医師のことばが蘇る。
「生きることを考える」それがすなわち闘病への意思となり、生還への祈りが勝利宣言となるのだろう。
尊厳ある死と同じく、尊厳ある生への渇望を否定することはできない。



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