日向ぼっこシロ

人生の一大事

毎度まいどウンチの話で失礼いたします。

今朝のシロは二度ウンどころか、ウンチの2連発でした。
ご立派なウンチをヒリ出してご満足のテイだったのが、こちらがそのウンチをつかんでウンチ袋にしまう前に、またすぐに思い出したようにオモムロにはじめたのでございました。
それも下痢とかではなく、まったき健康そうなウンチを、しこたま。

総量どれくらいでしょうか、ビニールのウンチ袋にパンパンになるほどでございました。
よほどすっきりしたのでしょうか、くいっと腰を入れてお尻を地面にスリスリするご機嫌ポーズもしてましたね。

それしてもウンチ、ウンチとうるさい。
われながらそうは思いながらも、やはりウンチは避けて通れない。
シロにとってウンチは一大事ではないのか、そんなことをふと思うからです。

「ウンチ大事。」
だから偉いわけでも低級というのでもなく、犬は人間のように生きることの根幹の周辺にくだらない雑事を抱えているわけでもなく、食べて出して寝てという基本的な欲求が色濃く人生というか犬生を彩っているのではないか、ということです。

人間にとってのウンチとは、もよおしたらトイレに行って出すもの。
ただそれだけのものでしょう。
ことさら関心を持つようなことでもない。

“一大事”になるのは、急にもよおしたときに身近にトイレがない時くらいでしょうか。

「もう漏れそう!」

なのにどこにもトイレがない。
ようやく見つけたのに、先客がいていつまでも出てきてくれない。

さすがにこんなとき、ウンチは“人生の一大事”にはなりますが。

思うに人間には本来一大事でもないのに、一大事と思い込んで振り回されているようなフシがある。
冷静に考えてみればなんともないようなことに、半分パニクって右往左往させられているという…。

日向でのんびり寝転がって、ぼんやりこちらを見つめているシロに、無言でそんなことを諭されているように想うことがよくあります。


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