広島のサカスタ問題に見る〝行政エゴ〟
昨日、広島国際会議場で「第1回 まちSTA! シンポジュウム」が開催された。
会場は500人定員だったらしいが、ほぼ満員。しかもサンフレユニはほとんどいなくて、一般市民の関心の高さをうかがわせた。
都合があって途中からの参加だったが、なごやかな会場には時折りほど良い笑いがあって、「陸上競技場」というフレーズが出るたびにそれは湧いていた。
今ワールドカップの中継で、ロシア各地の素晴らしいスタジアムが映し出されている。
サッカーがサッカーにふさわしい場で行なわれている。それを目にすれば「陸上競技場でサッカーをしている」なんていうのは、ナンセンスな笑いのタネにしかなからないのだ。
それはともかく、シンポジュウム。
もちろん、これからの広島のサッカースタジアム問題を語ろうというのがコンセプトなのだが、何とも言えない違和感を覚えたのも事実だった。
それはピントのぼけた既視感とでもいうのか、〝逆既視感〟とでもいうのか、そんな感覚としか言いようのないものだった。
この日、この会場で開催されるイベントは本来、これからのことを語る場ではなく、決まったことの報告会、あるいは感謝のセレモニーであっても不思議ではなかったからだ。
広島でサッカースタジアム問題が俎上に上がってから、もう何年になるのだろうか。
その間、スタンスを様々に変えにがら議論がなされてきた。にもかかわらず一向に進まない。今流行りの言葉でいえば「1ミリも進んでいない」のだ。
「候補地をどこにするか?」
そんなことすら未だに決まっていないのだから。
すぐ横には旧広島市民球場跡地という最適な候補地がありながら、地元の強行な反対があらかじめ予想されていた中央公園を、「今から説得します」というありさま。
1ミリどころか、後退してしまっている印象だ。
しかもここは、議論に議論を重ねてきた過程ですでに、前記の理由で候補地からは外された場所だ。
それを受けて松井市長だったかが「候補地は宇品みなと公園と旧広島市民球場跡地の二か所」と明言もしていた。
一度は自ら外した候補地を広島市は、またぞろ復活させて、できもしない「説得」を試みている。(もちろんこれは「説得に当たりました」のポーズで、広島市はその結果には期待していないはずだ。最後に強制執行する時のそのアリバイ作り。それは広島市民球場が解体された経緯を見れば明らかだ)
それは彼らが暗愚であるからではない。それも多少はあるかもしれないが、何としても旧広島市民球場跡地にサッカースタジアムは作れない事情(もちろん市民には言えない理由)があるからだ。
それは昨日きょう、湧いて出てきた事情ではない。
カープが去った後の広島市民球場をどうするかという議論がはじまったときから、この何としても旧広島市民球場跡地にサッカースタジアムは作れない事情は発動していた。(ここは留意しておくべきだろう)
それは拙著「誰が、市民球場を壊したのか?」をお読みになれば理解していただけると思う。
否、賢明な方であれば冷静にコトの経緯を今一度振り返ってみてもらうだけで、「あるある」と納得いただけるはずだ。
その事情を広島市は隠したまま(もちろん言えるわけもないのだが)、候補地から跡地を外そう外そうと姑息な手段を講じているから、この問題はいつまでも迷走している。
そんな事情も知らない市民県民、また部外者が、中央公園の周辺にお住まいの基町住民の方々が反対していることについて「住民エゴだ」と非難しているようだが、それはオカド違いというもの。
それをいうなら、このサカスタ問題は広島市の行政エゴが端的にあらわれた例と捉えるべきだろう。
「住民エゴだ」
そんな声をあげ、意見をしたり顔で語っている向きには、もしかして広島市からリークされる情報及び地元メディアの洗脳、世論誘導にまんまと乗せられているんじゃないか、今一度ことの経緯を冷静に振り返っていただきたいものだ。