シロ後ろ姿

社会の窓

シロ散歩から帰ってズボンを履き替えようとファスナーに手をやると、すでにそれは下りていて満開状態。
どうやら「社会の窓」を思いっきり開けて世間を闊歩していたようだ。

以前なら、それを知るや否やコメカミから冷や汗が噴き出たものだが、今は平然としたもの。

「あーあ、社会の窓が開いとったーや」

そんな感じ。

シロじゃありませんが、人間も歳を拾うと少々のことでは驚きません。
「泰然と」とでもいいましょうか。

それにしても加齢とともに「社会の窓」がだらしなくなっている。
小さい頃、若い頃は「社会の窓を開けている」というのは、とんでもなく恥ずかしいことで、チャックのありように細心の注意を払っていたものだったが、それがいつからか「早く開けたい!」そんな思いと転換してしまってからなのか、開放の頻度は加齢とともに高くなってきたようだ。

それにしてもいいネーミングですね、「社会の窓」。
いまはもう死語に近いようですが、誰が考案したのかセンスが光ります。

「もしもし、股間のファスナーが開いてますよ」
これでは身もフタもありません。

「もしもし、社会の窓が開いているようですが…」
この粋この気配りは、どうでしう。

気になったので、今さらながら調べてみました。
一生の損、になってしまってはもったいないので。

ネットでググると、すぐに判明いたしました。

かつてNHKのラジオで同名の番組があったそうです。
その番組のコンセプトが「普段は見ることができない社会の裏を見せる」というもので、そこからきているんだとか。

「普段は見ることができないものを開陳する窓」というわけです。

そこいくと犬なんか立派なものです、もともと裏も表もありませんから。
オスならばフグリを天下国家にさらしてユッサユッサ揺らしてますし、メスのシロなんかは惜しげも無くナニを晒して歩いてます。

浅ましい人間とは違って、公明正大、隠し事のない連中ですから。




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