吹けば翔びそうな名誉

ポンキッキーズBW

先の記事で触れた安芸高田市の児玉市長。本日付けで辞職されたとか。

丸刈りになって反省を表明するという「誠意」が裏目に出てしまい、すっかり「丸刈り市長」として名を馳せることになってしまった児玉氏。残念ながら、おのが名誉と引き換えに安芸高田市の知名度アップに貢献することになってしまった。

安芸高田市は2004年に広島県北の吉田町、八千代町、美土里町、高宮町、甲田町、向原町が合併して誕生している。
その10年ほど前、十数人のメンバーとともに高宮町に土地を借りてつくりはじめたのがドリームフィールドと名付けた野球場だった。

野球場を手づくりする。そういわれてもピンとこない人がほとんどだろうう。
グラウンド部分を平らにして、マウンドを設けて、ベースを配置する。これで最低限の野球場にはなる。

ただ、ぼくたちは映画の「フィールド・オブ・ドリームス」に影響されて、というか真似をして野球場をつくりはじめたので、スクリーンに登場した球場のようにしたかった。
つまり内外野は天然芝。小さいとはいえスタンドもあり、できればナイター照明も付けたかった。もちろんスコアボードは欠かせない。

そのひとつひとつの作業に道具はいるし、資材も必要。つまりそれなりの資金を調達しなければならなかった。
その資金を工面するために、イベントをしようということになり、そのPRのためにテレビの番組で取り上げてもらったのが露出初め。

そして、どこから聞きつけたのか朝日新聞大阪版の社会面で取り上げてもらったことから、メディアでバズることになった。(笑)
朝日新聞の天声人語や文藝春秋のグラビアのほか、ラジオ・テレビ、硬軟大小さまざまな媒体に露出することになったのだ。

野球場が完成した際はワシントン・ポスト紙にデカデカと掲載されたこともあって、なんとフィールド・オブ・ドリームスの舞台となったアイオワ州のフィールド・オブ・ドリームス球場から「ゴースト・プレイヤーズ」が来場することになった。その日の親善ゲームの模様は全国の主要新聞、テレビ各社によって大々的に報道された。

それからは、なんの連絡もないまま突然に観光バスがやってきたり、グラウンドの奥を走っている中国自動車道の路側に車を停めて見学する猛者も出現したりと、「高宮町のドリームフィールド」はそれなりに有名になっていた。

もちろんそんなことを企図して野球場づくりをはじめたわけではなかったが、結果として町の知名度アップに貢献したわけで、そのへんの功労もあって「丸刈り市長」の父君は、高宮町長時代にぼくたちによくしてくれたのにちがいない。

そんな縁ある安芸高田市が、また安芸高田市長が前期のような理由で知名度を上げてしまったことは残念で仕方がない。と思いつつも「お前も似たようなもんだろ」という声がいま、頭のなかをこだましてもいるのです。

野球場遊びをはじめた1993年は不惑で、2006年に「辞職」した時はすでに53歳。いい年こいて野球場なんかつくって遊び惚けていた私も、心もとない名誉を削るがごとくアホ面晒していたわけで。



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