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名前を呼んでもらえないと、死ぬ

名前を口にすると、存在を確かに認めることができる。いつの間にか愛情が湧く。そう、名前をつけると情が出る。だから私の名前を呼ばない人を信用することができない節がある。そんなわけあって私は、出来るだけ相手の名前を口にすることから話に入り、コミュニケーションをとるようになった。

こんなことを気にするきっかけになったのは、イギリスでダブステップというジャンルの音楽が生まれ、流行していた頃。そこにゆかりがありそうなDJに話を聞いた時、あっけらかんと「そういう名前がついたんだなと思った」と言った。聞けば「いままでも確かにあったものに名前がついて、きちんとした存在になったんだなって感じ」と。妙に、なるほどなあと思った。不確かなものに名前がつくと、新しい何かになる。

曖昧な関係にも名前がつけば、チープなものに変わる。思い出すのは、漫画『失恋ショコラティエ』の一場面。「ごめんね。僕が彼女のことをセフレなんて言葉にしたから、そういう関係になっちゃったんだよね。本当はもっと違ったかもしれないのに」的なセリフがあって、そこにもなるほどなと思った。何事も一括りに決めつけてはいけないんだなと。時に、その名前が悪い方向に働くこともあるんだなと。白黒だけじゃなく、グレーが必要なこともあるんだなと。

冨樫さんの漫画『ハンターハンター』のキメラアント編でも、王が自分の名前は何なのか?にこだわったよな。人間は生まれてくると、自分を個として認めるために、名前が欲しいものなんだろうか。そうすると相手の名前を呼ばないのって失礼だよな。思えば「この人、私の扱いが雑だな」って人は、私の名前を口にしたことは数えるほどしかなかった。大好きな人の名前は、誰とも違う呼び方で呼びたがる節がある。生まれてきた人間は、自分にしかない〝たった一つのもの〟を本能的に探してて、その一番始まりの部分が名前なんだろうな。思えばこの世に生まれ、一番最初に得る両親からの贈り物が、名前なんだもんな。誰の名前にも、時間と思考と経緯が詰まっている。この名前で生きてる今を大切にしなきゃですね。今日も一日、頑張りましょう!

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