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ロマンチックでもなんでもない

知り合ったのはちょうど二年前。お互いにマッチングアプリで会話している大勢の中の一人だった。当時、彼は長く付き合っていた彼女に振られ、ボロッボロに傷心中だった。つい最近まで結婚したいだとか、あなたじゃないとだめだとか言っていた相手が実は浮気していて、しかも浮気相手は自分も面識のある大学の後輩で、さらにはそっちを好きになってしまったから別れたいと告げられた、なんてことが起きたらそりゃあ誰かと話してないと気が狂いそうにもなる。いかに猫を被って自分をよく見せるかが鍵となる世界で、格好つけるでもなく、見栄を張るでもなく、ただただ空虚の中で身動きが取れずにいて、寂しくて辛くてどうしようもない弱さが垣間見えたとき、かわいそうで、かわいくて、放っておけなかった。

同棲していた元彼に振られ、人生ドン底の生活を何とかやり過ごし、やっと仕事に復帰して体調も安定してきた頃だった私は、彼にものすごく感情移入というか、同情していた。どうにか救えないかといつも考えていた。でもそれは決して彼のためというわけではなく、エゴに近いものだったように思う。彼に優しくすることで、あの頃の辛くて苦しくて悲しくてどうしようもなかった自分を救えるような気がして、勝手に同情して、勝手に自分を重ねていた。つくづく私はどこまでも自己愛に満ちた人間だなあと思う。

元々は恋愛しようなんて気はなく、さみしくてどうしようもない人間と他人のさみしさをどうにかすることで自分を救いたい人間が、たまたま出会い、気が合っただけ。そのときお互いにとって都合が良かっただけ。ロマンチックでもなんでもない、ものすごく打算的な始まり方だった。それでも私たちは瞬く間に距離を縮めていったし、きっかけとかタイミングとかはっきりとは分からないけれど、少しずつ恋になっていった。

眠れない日は朝まで電話した。眠い日もうとうとしながら好きなだけ話をした。声や話し方、会話のリズム感や空気感がものすごく好みだった。(声が好みであるというのは個人的にかなり重要)文面だけでは分からなかった相手の癖や仕草みたいなものまで電話越しに伝わってきて、ドキドキもした。こちらの都合もお構いなしにいきなり電話を掛けてくる自分勝手さにムッとすることもあったが、私に対しては良くも悪くも甘えているのだと思ったら、悪い気はしなかった。

初めて会ったのは五月の終わりで、メッセージのやりとりを始めてから一ヶ月ほど経った頃だった。早く会ってみたい気持ちと、会ったらどうなるんだろうという少しの不安が日々脳内で葛藤する中で、なんとなく、ビビッと、今日かもしれないという日があった。休日にわざわざ予定を立てて会うのは変に緊張しそうで、仕事終わりに乗り込んだ電車で「今日行ってもいい?」と連絡をした。いざというときに、最後はノリと勢いに身を任せる自分の大雑把で楽観的な性格は嫌いではない。それに、いつも相手の情緒と気分に振り回されるばかりなのは癪だったので、こちらから勝負を仕掛けてみたかったというのもある。負けず嫌いの天邪鬼な性格がこういうところでついつい出てしまう。

電話で話しているときと変わらない空気感に安心したことと、沈黙の時間も妙に心地良かったことをよく覚えている。もっと捻くれていて卑屈っぽい感じが節々から滲み出ている様子を想像していたから、全然そうじゃなくて、思っていたよりサラッとした良い感じの人だなあと思った。家が離れているわけでもないし、これからまた会おうと思えばいつでも会えるのに、終電をわざと逃して、朝まで一緒にいることにした。もっと知りたくて、触れてみたくて、キスもセックスもした。

もう二度と会えなくなったらどうしようという不安は、あったのか無かったのか分からないほどすぐに消えて、週に二日、三日はお互いの家を行き来する仲になった。会わない日も電話やラインで連絡をよく取り合っていた。

恋愛は、時に矛盾だらけで、好きと嫌いが行ったり来たりする。愛しいと憎しいが裏返ったりもする。一つ一つの出来事や感情が、まっすぐと誠実に純粋に積み重なっていくとは限らない。特に私たちの始まり方はふつうのそれではなかっただろうから、余計にややこしかったのかもしれない。

最低限の好意はそれなりに感じていた。会いたいと言ったら「おれも」と返ってくることとか、飲み会の帰り道に酔っ払って電話を掛けてくることとか、二、三日返信を放置していたら「連絡ないね」と相手からラインが来ることとか。私のために辛味を抑えたスパイスカレーをわざわざ作ってくれたこともあったし、誕生日には前日の夜にお祝いもかねて会いに来てくれた。身体の関係はあったけれど、手を繋いで寝るだけの日もあった。

一方で、傷付くこともたくさんあった。会う約束をした日にドタキャンされたり、核心的な部分に踏み込もうとすると避けられたり、どうして大事にしてくれないんだろうと落ち込んだ。直接的に言葉で傷付けられることも時々あった。「体型が好みじゃない」とか「甘えた声や仕草が無理」とか「付き合うつもりは全くない」とか「すぐ泣くところが鬱陶しい」とか、数え切れないほど嫌なことを言われた。前の恋愛のこともあったし、今思えば一種の牽制だったのかもしれないが、そんなことわざわざ言わなくて良いのにと思うようなことをあまりにもまっすぐにぶつけてくるので、この人からは離れた方が良いかもしれないと何度も悩んだ。一度終わりにしようとしたこともある。それでも、私は彼を嫌いにはなれなかった。

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