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「鬼が来るよ」と息子に言わない




先日、友達の店に息子たちを連れて行ったら少し騒いでしまった。状況を落ち着かせようとしてくれたその友達が「うるさくすると、そのドアから鬼が出るんだよ〜」とおどかしたら、ふたりとも黙って硬直してしまった。

それに対し友人が「え?ごめん!言い過ぎたかな」と心配していて、そのとき「ごめんこの子たち、鬼が来るとか言われた事なくて耐性がないんだわ!」と私が笑って返したら、帰り道、謝罪のメールが来た。

「騒いではいけない理由をちゃんと伝えるべきだったのに、鬼のせいにして楽してしまった結果、怖がらせてしまってごめん」というあまりに真面目な謝罪で笑いそうになってしまったのだが、次のメールで泣きそうになった。
「怖がらせて言う事を聞かせるんじゃなく、ちゃんと理由を伝えようとするのは素晴らしいね。わたし、あやかちゃん(私)の子供になりたいよ」という一文だった。

子育てをして6年半。不器用で雑で自分のことすらままならない34歳な私は方針などもなく行き当たりばったりでここまで来た。自分の子育てを褒められたことも勿論なく「事故がないように」と最低限のことだけをしてるつもりだったから文章にしようとしたこともなかった。

だけど。この友人の言葉で私は、ここ数年自分が「ある信念」を持って息子達と接していることを改めて自分に認められた。全然適当じゃなかった。試行錯誤しながらも、意識的に続けてきたことがある。私のやり方が全正解なんてもちろん思わないけど「鬼がくるよ」を使わない理由は書き残しておきたいと思った。これだけは大事にしてきたのだ。


筋の通らない「ダメ」は存在しない

「鬼が来るよ」の帰り道、私は子供達に「鬼なんて来ないし、鬼のために静かにするわけじゃないよ。あの場所は私たちの家ではなく他の人も一緒に使う空間だから、その人たちにとって嫌な気持ちを生まないために静かにするんだよ」と解説した。

すこし前に夫が子供たちに「意地悪すると悪い人が来るよ」などと言ったときも横から遮り「意地悪したからって悪い人なんてこないよ。意地悪しちゃいけない理由は、相手が嫌な気持ちになるからで、相手を嫌な気持ちにさせるということは相手の心を包丁で刺して血を出させるのと同じで、相手が痛いからだよ」と訂正した。(夫にはあとで真意を説明した)

別のとき夫が「ママのいうことちゃんと聞かなきゃダメだよ」と言った時は「ママのいうことだからって全部聞く必要ないよ。間違ってると思うことは聞く必要ないから。先生の言うこともパパの言うこともそうだよ」と否定した。

つまり私は息子たちに、
理不尽な「ダメ」をそのまま受け入れさせないように徹底している。それがたとえ先生の言ったことでも他の大人が言ったことでも、納得できない「ダメ」に従う必要はないと。


「理不尽」に支配されないために


そうなったのは数年前。
息子の幼稚園での出来事がきっかけだった。

担任の先生が歌の練習の際、大きな声で歌っている子に対し「きれいな声で歌わないとダメです」と注意したらしい。それに対し、当時から宮本浩次を崇拝していた息子が私に「キレイな声で歌わなきゃいけないってどういうこと?」と納得できない様子で言ってきた。数日後には先生と意見交換をしたりもしたけど、その件で私に残った気持ちは「先生達は間違ってる!」「なんとか先生達の意識を変えよう!」とかではなく「社会と接するということは、こういうことの連続なんだよなあ」だった。

私が小学校3年の秋。
幼い頃からの超英才教育によりその時点で中3の学力を習得していた私は、授業で出た算数問題をこっそり因数分解で解こうとしていた。だいぶ腹の立つ生徒だとは思うが、それに気づいた担任から「頭でっかち!」と大声で罵られ「校長室に連れて行くぞ」と引っ張られた。意味不明だったけどめちゃくちゃ怖くて「そうやって先の勉強をしているやつは頭でっかちという悪い性格で、将来損をする」と散々ぶつぶつ言われながら廊下を歩かされ、とうとう校長室の目の前についたとき「今謝れば校長室には連れていかないぞ」と小声で言われた。子供ながらにワケわからん理論だと思ったがそう考えている脳が入った私の身体は涙を流し頭をさげて「ごめんなさい」と口に出していた。

この出来事についてあまり考えないようにしてきたけど、久々に隅まで思い出して気づいた。

あの悔しさがあったから、それから私は頑なに「理不尽」に対抗しようとしてきたのかもしれない。高校で教師に言われたことが納得できず即日部活を辞めたり、校則で禁止されていない扇風機を学校に持ち込んで取り上げられた時は全力で論理的に抵抗したりした。社会に出てからも、根拠のない指示や説教を振りかざしてくる先輩の言うことは一切聞かなかったし、独立してからも筋の通らない無理なやり方を押し付けてくるクライアントとは縁を切った。

子供達の社会から「理不尽」を排除するのは不可能だし、理不尽な相手の価値観を変えようとするのも難しい。言うまでもなく私が常に付いてまわり理不尽を成敗することもできない。だからこそ、私は子供達自身に【じぶんで「ただしさ」を判断できる人】になって欲しいのだ。何が正しいか何を守りたいか自分で考え判断してほしい。もし私が明日死んでも、その感覚だけは根本に持ち続けていてほしいと思ってる。


制約じゃない


と、ここまで読むと私が常に厳しく口うるさいタイプの親に見えるかもしれないけど、真逆だと思う。幼稚園の先生や子供達の同級生のママなどによる私の印象って多分「めちゃくちゃユルすぎるタイプの親」なのだ。

というのも。そもそも私が「雑な言葉」や「理不尽なダメ」に厳しいのは、子供達に制約をかけるためじゃなく自発性や自由を広げるため。

たとえば数年前の冬、鼻水が出ているのに鼻をかまずにいる長男に私は「鼻をかまないと鼻水が鼻の奥に溜まって耳が痛くなって耳から血が出るよ」と中耳炎に発展するリスクを図を用いて説明した。それ以来長男は「それだけは避けたい」と自発的に、どれだけ眠い夜でも自分で起き上がって鼻をかみにいくようになった。(そのティッシュも必ずゴミ箱に捨てる。もし捨てずにどこかに置きっぱなしにしたらその汚い成分にダニや虫があつまり寝ている間にそのダニに刺されて痒くなったり痛い思いをするリスクがあるから)

彼にとって鼻をかむという行為は、まちがっても「ママに怒られるから」仕方なくするものではなく「自分が痛い思いをしないために自発的にする」行為なのだ。というかそもそも、このnoteでは分かりやすいように「ダメ」という言葉を連呼してきたが普段は「ダメ」をあまり使わず「鼻をかまないのは勝手だけど、最終的にこういう可能性があるから」と最悪の事態だけを示してあとは自分で決めてくれというスタンスでいる。

さらに、私が「怒るとき」というのは理由が明確な「ダメ」を子供がしてるときのみなので、逆に言えば他はなにも怒らない。

幼稚園のお迎えのとき次男から「だっこ」と言われれば、荷物が多くて物理的に無理なとき以外は速攻抱っこする。幼稚園の目の前の自販機で「カルピス買って」と言われれば、お金を持ってない時と家にカルピスがめちゃくちゃあるとき以外は速攻買う。現在小学生になっている長男が去年ファミマでツアーポスターを見つけ「幼稚園休んでヒロジ(宮本浩次)のライブ行きたい」と行った時も「当然だが」と速攻チケットを押さえた。

そんな感じなので長男は、左右別々の靴を履いて幼稚園に登園していた時期も数ヶ月あった。私はできるだけ、世界や社会を「広い」と感じて欲しい。その足かせになる呪いをかけたくない。ここでいきなり最も重要なことをいうけど冒頭私が書いた【子育てで唯一掲げている「ある信念」】とは……【子供達を「呪わない」】なのだ。

私の呪いもとけてきた


それは、自分の呪いも解くきっかけになった。
我が子に毎日「呪わない」を徹底していると、自分にかかっていた呪いにも敏感になれた。

今思えば、私は母に呪われてきた。教師や上司の理不尽には真正面から対抗してきた私だけど、母のいうことはずっと絶対だった。地元を離れてから今までの13年はその呪いと戦い続けた歴史であり、力づくで自由の幅を広げやりたいことを叶えてきた。そうして時間をかけて少しづつ、親の言うことも「絶対ではない」と思えるようになってきた。

それでも今だに、子供達と比べると自分こそ「いま私、理由もなくダメって思ってる…」と発見することが多々ある。でも今はそれをちゃんと「こんな呪い無視しよ」と早めに成敗できるようになった。

本当に些細なことだ。たとえば今年の春から通ってる幼稚園には専用駐車場がなく、通園バスか自転車か徒歩で通園しないといけない。家から幼稚園までは徒歩10分で相当近く、私の母も「幼稚園は歩いて送るもの」という謎の理念を持っている。が、私は極端に自転車や歩くことがストレスなのだ。「とうとうママチャリ買うべきなのかな……」と悩んでいたら、長男が「ママ自転車無理じゃん!嫌いじゃん!車でいいじゃん!」と当然のように答えてくれて「だ…よね!」と目が覚めた。結局毎日コインパーキングに停めて送迎してる。他のママにはあからさまに戸惑った態度を取られることもあるけど、気にしなくなった。

親のことが関係なくても、世間体を気にしてしまったり会社や教室などコミュニティでの空気をきにしてしまったり「呪い」はどうしてもたまに、心に湧いてくると思う。

だけど大人こそ、その呪いに毎度正面から立ち向かい「これは守るべきものか?筋が通るか?」といちいち疑って成敗していくことって大事だ。私は完璧じゃなさすぎるし、間違うし、だからこそ自分を信じきらず、子供達と共に「ただしさ」を見極めていきたい。だから私は今日も手を抜かず胸を張って目を光らせたいと思う。



あれ。なんか私もっと、子育てエッセイ書けるのかもな。書こうかな。


(「子育てエッセイとは、子育てで何かしら分かりやすい特殊な成果を上げた親しか書いてはならない」という呪いがいま成敗された模様)




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