虹の写真を撮って「いいことありそ。」ってインスタにあげる人間にだけはならないと思ってた。

さすがにもう虹みただけでいいことありそうとも思わないし
虹をみるよりいいことを起こせるツールはたくさんある。

だけど急にさっき思い出した。
高校二年生のある日、わたしはある日涙で滲んだ視界に写る虹をみて、「よし、これから、いいことがおこるぞ」と思ったのだった。


つまらない理由で、つまらない部活の顧問と、つまらない言い分同士で、つまらない喧嘩をして、つまらない顔をしてつまらない捨て台詞でわたしはその部活を辞めた。

その頃、なんでそんなにつまらなかったのかというと、なにがおもしろくて何がおもしろくないことなのか、自分でもよくわからないまま、ただ投げられた球をひたすら返す様に、ただ目の前に現れた道をなんの道かわからず今どこにいるかもわからず走る様にすべての行動は闇雲でぜんぶに手応えがなかったからだ。

カラフルなボールプールのなかの、1つのボールだったわたしは、ただ偶然落とされた場所で、子供の笑い声を自分の声と勘違いして、ああたのしい!と思い込んでいた。でもぜんぜん楽しくなかった。


そんななか、つまらないすべてにより、また、意志もなくなんらかのはずみで弾き飛ばされただけで、わたしは部活をやめた。

だけとわたしはそのとき、大きな決断をしたと思っていた。なんなら、急に顧問と喧嘩をして部活を辞めるなんて格好いいとさえ思っていた。その帰り道、空に虹をみたのだ。



おおきな虹だった。
雨があがった、田舎の空におおきく映えた虹だった。
わたしはそれをみて、「よし、これから、いいことがおこるぞ」
と思ったのだった。そう思うしかなかった。自分にとって、いいことがなんなのか、わるいことがなんなのか、この退部はいいことなのか、わるいことなのか、それもわからなかった。不安だったから、虹のせいにするしかなかった。


これはいい指標かもしれない。
わたしは最近、よつばのクローバーをみても、虹をみても、茶柱がたとえ立っていたのをみたとしても、「いいことがおこりそう」なんて微塵もおもわない。


なぜなら、いいことがおこるときは、その「いいこと」が何なのかを具体的に知ってそれが起こるように自身で行動しているときだけだ。わたしはそれを知っている。



虹の手柄になんかさせない。



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