好きなものは最後に食べるし、夏休みの宿題は最後まで残る
なんでもかんでも後回しにしちゃう。
そういう人です。はい。
その結果、今という瞬間よりも、先を見続けることになる。
未来は不確定。
だから不安になる。
もったいないね。
未来は永遠に来なくて「今」がずーっと続くのに。
時間も自分も大切にできていない気がする。
栗ご飯の、栗だけを残してご飯を食べる。
カレーライスの、お肉だけを残してニンジンジャガイモたちを食べる。
アーモンドチョコの、アーモンドを残しながらチョコを食べる。
全部無意識にやってます。
もはや器用としか言いようのない状態。
本当は、栗ご飯もカレーライスもアーモンドチョコも、全部一度に味わったらいいのに。
それぞれの風味が混ざって、より美味しいはずなのに。
なぜか後回しにしてしまって、料理としての美味しさレベルを下げてしまう。
夏休みの宿題。
ずーっとずっと苦手な読書感想文。
原稿用紙を見るだけで涙が出るほど追い詰められても、手がつけられなかった。
「最終日に書き上げればいい」と割り切ることもできず、
毎日毎日「書かなくちゃ、書かなくちゃ」と焦るばかり。
長期休暇がなんにも楽しくなくて、最後の最後でやっと書き上げた感想文にとてつもなく疲弊したあの頃。
思い出はすべて灰色で上書きされました。
後回しにするには、この先も自分が生きていられるという前提が必要になる。
「後でも食べられるから」
「後の自分がなんとかしてくれる」
そういう甘えのような考え方が根本にある。
私はすごく恵まれているな、と思う。
未来が来ると信じきっているからこその後回し。
いいや、未来は来ない。
今がずーっと続くだけ。
どうやったら今を大切にできる?
自分に問いかけ続けている。
「どうしたら今の私は最も幸福か」
「本当は何をしたいと思っているのか」
「やりたいことがあるのではないか」
「面倒がって見ぬふりで後回しにしていることはないか」
無意識の行動は気がつけられないから、
他の人の行動を見て問いかけの糸口にしている。
「あの人は楽しそう」
「嬉しそう」
「憧れる」
「それよりもやることがあるのに」
「なんでそればかりやるのかな」
人への指摘はすべて自分への指摘。
耳に入る言葉はすべて自分へのメッセージ。
何度も同じフレーズが耳につくのは、実は内心気にしているから。
ひとまず、好物を何よりも先に食べてみようと思う。
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