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体が心を支えている

土曜日に奥多摩へトレッキングに行き、長時間山を歩いて、日曜日にKアリーナ(横浜の新設ライブ施設)で飛び跳ねた結果、土曜時点では内外側広筋と僧帽筋だけだった筋肉痛が、月曜時点では腹筋にまで広がって、立ち上がるたびに「うぎゅ」って言ってる。😂

Kアリーナ、音響良いって謳い文句だったしみんなそう言ってるけど、舞台近くの音の戻りがまたエグくて、扇状に広がる上の方から拍手の音が物理で重さ感じるくらい、森の葉づれの音のように、または細かな泡沫が弾ける岩浜の波濤のように聴こえるの、すっごい、すっごい、すごかった。(←語彙!)
軽い音が大量に落ちてくるの、ちょっと気持ちいい。
後、戻りの音響なのか歌い出しがずれて聴こえることもあって、なんて素直に音が聴こえる施設だろうとちょっと感動した。舞台の上はもっと大変なんだろうなあ…その一端を味わわせてもらえたのかもしれない。

しかし思いの外、体を資本にメンタルケアが万全に成った週末だったので、生きてて良かったと思いました。
わたしは割とMind先行で色んなことを判断してしまうけれど、歳を重ねるにつれて、身体の下支えがあって初めてしれっと頭だけで生きてるみたいなつもりになれるんだ、ってことに気がついてきた。
子どもの頃に運動部とか入ってると、体が動くことの重要さはphysicalに感じるけれど、その事とintelligenceや mentalの関係ってあまりピンときてなかったというか。
雑魚キャラであることに膝を屈することなく勇敢に前を向く。そういう勇気を内的に支えてくれるのは、わたしにとってはスピッツだけど、身体があって初めて、関係性というものが発生するニンゲンの社会性の仕組みというか。存在するからこそ、周りや遠くの誰かの助けを得られている。つまり、誰かの助けにもなりたいなら、自分を保たなくてはならないねということ。そんなことを感じた。

柔軟もしないとー。

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