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砂かけができない猫をめぐる考察

最近遭遇する保護猫のうち、半数くらいはトイレの砂かけができない。
正確には、トイレが終わるとカキカキはしてみせるけど、的外れなところを掻いていて、肝心の💩とかは全く砂を被っていない、なんてことが当たり前にある。
これは何故なのか?
わたしは、ペットシーツの普及によるものだと考えている。

昔、というか、正確には私が子供の頃の猫トイレは、本物の砂か、新聞紙か、放し飼いで外、途中から粗悪な人工のペレット、みたいな選択肢しかなかったし、幼少期には野良猫の💩が砂場に埋まっていることもたまさかあった。猫といえば、御不浄の後始末がキチンとできる生き物、それは常識だった。たとえそれが公共の砂場であっても、猫からは遊具ではなく豪勢なトイレに見えている、自身の痕跡を残さないのが猫という生物の原則、そう、ものの本には書いてあった。

ところがである。15年前にうちに来た譲渡子猫の月(ツキ)は、トイレに入って用を足すと周囲の壁を掻くばかりで、後始末のはずの行為が完全に的を外していた。本能なのか、掻く動作はするものの、その必要のあり方を理解している様子はまったくなかった。たまに暇で彼女のトイレが終わるのを待っている時、私は「いわゆる様式美」という言葉をしばしば思い浮かべていたくらいだ。むしろ先住猫がトイレに入って砂をかぶせることもあった。別に彼がいい奴なわけではなく、トイレが臭いのが嫌だったんだと思う。肉食獣の排泄物は、扉が開いていれば別の部屋にいても気がつくくらいにはにおいを放つので、それはそれで世話がしやすいが、同居する上で、あまりありがたくはない。
そのあと実家で貰ってきた保護猫Kも同じく、トイレが下手だった。今うちにいる保護猫M嬢、そしてこの秋うっかり拾った子猫4匹のうちの1匹もやはり、初めは我が家の木の砂のトイレに戸惑っていた。

彼らの共通点はズバリ、保護猫である事だ。
そして、それぞれ、引き取られる前の保護宅で子猫の頃にペットシーツを使っていた。最後の4匹は知る由もないが、試しにペットシーツを与えたら普通に排泄したので、おそらくそちらに慣れていたのだろうと推察している。

ここでお座敷動物を飼ったことがない方のために説明すると、ペットシーツというのは、いわゆる紙おむつの平たい版みたいなもので、要するにビニールの裏面と吸収パットの表面で構成される安い量産工業製品だ。オムツ産業の発展のおかげで、水分を吸収するパッドは飛躍的な進歩を遂げ、20年くらい前にペット産業にまで進出してきた。常時大量の犬猫を養うような環境では、掃除の手間を省き清潔を保つという意味で、ペットシーツが非常に重宝される。

しかしこれは従来、犬向きに作られているというか、猫の「排泄後に砂などを被せて痕跡を消す」という習性には対応していない。
現に昔、家族で飼っていた成猫にペットシーツのトイレを使わせようとしたところ、後処理できない事実に苛立ったのか、爪をたててちぎりまくった結果汚物も巻き込んで大惨事になったり、掻いても掻いても匂いが消えないことに困惑しトイレスペースから出てこなくなるケースが発生し、慌てて砂に戻したことがあった。

つまり、長く習性どおりの埋められるトイレを使っている猫にとっては(当然個体差はあるものの)ペットシーツは馴染みにくく、そして、物心ついた頃からペットシーツを使う猫にとっては、「砂かけ」という習性自体が形骸化する場合がある、そういうことではないだろうかと私は考えている。

猫という生物のQOLを考慮した場合、おそらく原理主義的には、砂かけ行動自体が本猫の中で形骸化するのはいかがなものか、と考えるのは自明のことだろう。
とはいえ住宅事情や人間の手間も考慮するならば、某社が提案し大変な人気を博している「ペットシーツ+砂」というようなコンビネーションが最適解となるのかもしれない。
また逆に、ペットシーツという文明に徐々に猫たちが適応し、用を足したら背後は一顧だにせず立ち去る、そんな姿が「さすが猫様スタイリッシュ」と賛美される時代が来るのかも知れない。

いずれにせよ、たかが「愛玩動物」といえども、人の日常と密接に関わる生き物は人間の技術と消費経済の変化に影響されずにはいられないのだ、と愚考する次第である。

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