見出し画像

日常が、既にSF。

たいへん素晴らしかったので分析note を残す。
劇団ノーミーツによる話題急上昇中のリモート演劇/Zoom演劇の「門外不出モラトリアム」を初日初回に鑑賞した。

【簡単な技術的背景】
そもそも、Zoomというのは、いわゆるグローバル企業界隈で便利な会議ツールとしてひたひたと浸透してきていたものが、このCOVID-19の外出自粛の波によって一気に広がった、という経緯のあるオンラインサービスだ。
Ciscoとかさぞや悔しかろうと思うのだが、とにかく切れない&安い&使いやすい点(大会社には持ち得ないフットワーク)が時代のニーズに合致したため、エッジ効いてるグローバルベンチャーほどZoomを使っていたこともあって、一気に主流に躍り出た。
ただし、優秀な「会議ツール」である分、受信送信両面においてちょっとでも負荷が高いとガツッと画面クオリティを落としてくる。

今回、ノーミーツさんの判断の素晴らしかったところは、トラフィック激増でサーバ障害やら容量制限やらが厳しいZoom直を早々に見切り、最小限(演者のみ)Zoomにして、配信ではVimeoを選択したところだと思う。
Vimeoは、日本ではそれほどポピュラーではないものの、権利コントロールが容易で圧縮が綺麗なプラットフォームとして海外企業では重宝されている、いうならばYouTubeのライバル。
今回の利用方法を見るにつけ、二番手をいく企業のカジュアルな機能性を十二分に生かしていたその知見と手腕は素直に称賛に値する。

でも声を大にして言いたいのは(何故なら自分も同じ立場だから)、これ、裏方が毎回マジで死ぬほど重圧感じてる公演だからね。ということ。
自分ではコントロールできない上にクオリティに直結するインフラ要素が多すぎるインターネットで、このレベルを保って4公演の配信を乗り切った配信担当には心からのスタンディングオベーションと大きい花束を贈りたい。むしろ送り先を教えてほしい。

【イマココの物語】
多分この演劇を2年後の私たちも2年前の私たちも楽しむことはなかっただろうと思う。それくらい「イマココ」の物語だった。
現実にはコンビニくらい行ってもいいし、どうしてもなら一対一で会ってもいいし、だから大学の周りに下宿していたら意外と会えちゃうんじゃないかな。それを敢えて極端な…小松左京的70年代的に極端な設定に置くこと自体が、今まさに特に若い人たちの感じている重圧の強度の現れではないかとわたしは感じた。つまりCOVID-19は人類史において、それほど強力なウィルス疾患でもないというのに、その性質の厄介さで冷戦後初の全世界的脅威として現実生活に影を落としているということ。冷戦を知らない世代には初めての、という体験格差はオトナ世代が真摯に受け止めるべき点ではないだろうか。
また同時に、ラノベ仕様の(細かい科学的観点は追求しない)SFに仕立てることが可能なくらいには「今」は人々にとってシュールでSF的現在であるということに対する強い感慨がわたしの中には残った。正直、職業柄ネット馴染みが良すぎて自分では全然そういう感覚がないのだけれど、経済格差その他でネットが社会インフラとしては機能していないことを露呈した日本において、この感覚は無視してはいけないと思う。

【イマとカコの分岐】
物語中でも使われていた、「リアル」と「バーチャル」という対義語は「クリックとモルタル」以後、既に長らく違和感と共に使い続けられている。
だがおそらく、「バーチャルでもこの瞬間は一期一会」という劇中のセリフが示す通り、その垣根が打破されていくのがイマなのだ。
何故ならZoomミーティングというクローズドのコミュニケーションは、ただの公開セミナーやチャットと比べて親近感(繋がってる感)が強く、遊びが多く、双方向性と対人感覚が強化されるからだ。
この辺は今後心理学界隈が実証していくオンラインミーティングの効用だろうが、このZoomを代表するオンライン会議ツールを使った演劇のすごいところは、現実に自分も一参加者である会合の場合と同じ画面を共有することで、各観客に「参加している錯覚」を起こさせることが可能であることだ。
これによって観客は、物語に生きる彼らの「現実のオンラインさ」を垣間見という形で体感する。その共有の錯覚は、自分たちの現状の追体験であることも作用して、非常に強烈であり、舞台という板の上の俳優と観客席にはあり得ない「ディスタンス・リープ」を起こす。これは「同時性体験の成立」とも言える。

それと同時に、観客には見ている自分たちの「オンラインの現実」を共有する最強のツール「チャット」が用意されている。実はZoom直でない事が奏功した大きな点がここで、Vimeoのインターフェイスはリアタイのチャットフローと動画を同時に見ることを可能にするがゆえに、観客はたとえスマホでも今同時に見ている人たちと共感を深めかつ演者と通信する自在性を持った場を与えられているのだ。YとZのスマホアプリではこうはいかなかった。

この「感情増幅器」の存在は非常にでかい。リアルタイムでコンテンツを享受しながらわーきゃー騒ぐ楽しさが「バーチャル」でも有効なのはもともとテレビとTwitterの組み合わせなどで実証済みである。
むしろこのチャットツールは「ディスタンス・リープ」と同時並行で観客を意図的に誘導可能であるという意味において、メフィスト的位置づけにもあるのだが、これについては今後の活用を観察したい。

【ユーティリティ】
今回この公演が非常に舞台的であった要素の一つとして、アナウンスの親切さが挙げられる。
ストリーミング動画ではあり得ないきめ細かな演出によって事前に共有される機能説明、幕間に用意される(仕込まれる)相互コミュニケーション。
この辺りはまさに演劇人にしか成し得ないサービスではないかと思う。しかもこの公演においては非常にアイコニックなキャラクターを配してコミカルに「シーン」として成立させていたのがまた絶妙だった。日本の芸能でいうところの「狂言回し」だがどちらかというとシェイクスピアを彷彿した。
可能であればこの「舞台感」を持ったまま、今後も上演してもらいたい。これも一つの「リアルとバーチャル」の越え方だとわたしは感じた。

【批判とかないわけ?】
褒めてばっかりいると胡散くせーなと思わないこともないので粗探ししたいのだけれど…
そうだな。
わたしは夏のケンジで一番最初に泣いたのだけれど、彼を引き止めるに足る理由が薄かったのが、世界観の作り込みとしてちょっと残念だったかもしれない。その後の流れがタイムライン一同納得の悲鳴だったから気にならなくなってしまうのだが、この辺が「SF」というよりは「ラノベ」なポイントの一つだ(ただ、広く受け入れられる為には&時間制約面でもラノベ仕様の方が正解だとは思う)。
あとはメグルにサキが電話するシーンで、最後から二回目は、純粋に気遣って電話するのでよかったのではないかということ。このシーンは常に重要な転換点(答え合わせ)で、結構セリフも違うから反復に拘らず変化させて良かった気がする。最もシチュエーションとの乖離を感じた。
あとは極個人的に、まいというキャラクターの示す現代性が非常に受け入れ難いという、おそらく年齢的適応問題は感じた(自賠責)。重要な役の割に何もない感。でもそこが逆に理不尽でいいというのはそうかも。

でもそんなものだ。
正直1ヶ月?で準備したとは思えないほど粗が少ない。驚くべきクオリティだと思う。めちゃめちゃ共感性高いし。チートキャラの使い方もいい感じな分量だし。特に学祭の織り込み方と最後のまとめ方にはセンスを感じた。いまがこういう時期であること以前に、青春の物語とは安直かつ前向きに終わるべきなのだ。あの余韻…!
なんなら日清の協賛を得て再演していいのでは。あ!そういえば、「注いでるのは水じゃないか疑惑」は結構気になったのだった。
演出的にはここだけだ。

【次は何ができるのか】
正直言って、旗揚げ公演でこれやられちゃうと、あとは何を…?ってなるのだけれど、BBC等ラジオドラマでお馴染みの条件分岐は絶対面白いと思う。チャットのポル投票でどっちか決めてくのは相当チャレンジングでエンタメなものができそう。がっつり作り込んで条件分岐して欲しい。

そういう遊びではない場合は中身的には安直にホラーに流れるくらいならば本格ミステリに行ってほしい!!!!!というのが極私的な意見。
アガサ・クリスティかエラリー・クィーン原作で、めっちゃ面白い密室本格2時間ものが作れると思う。
火サス的な効果音やジングルがないからこそのリアル。これやるとさらに広い(というか別の)層巻き込めるんじゃないかな。是非この脚本書いた手腕で!挑戦してみてくれたらわたしはきっとまた、美味しいお酒が飲めるように思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?