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音楽で一つになんかなれねえよ、でもお前になる事はできる

緊急事態宣言が発令され、どこかピリピリしたムードの東京にとっては1週間前のことすら隔世の感があるが、4/17~18の2日間、代々木公園ではEarth Day Tokyo 2021が開催されていた。その初日、イベント広場野外ステージで行われたライブに足を運んだ。

野外の入場フリーイベントなんていつ以来だろう。ライブも自由に観られるので、フラッと立ち寄っては都会のど真ん中の開放的なロケーションで音楽を浴びる事ができる。これはちっとも当たり前ではなくとても幸せな事だったのだな、と今ならわかる。原宿駅から代々木公園までの道すがら、既にリハーサルの音が聴こえてくる。この感じ、本当に久々だ。

どうにか曇り空のまま持ち応えてくれるかなと思ったが、ライブ直前にパラパラと小雨が降り出した。全く、つくづくもっていない。でも雨で離脱した人がいたおかげで、運良く3列目に行く事ができた。

お目当てはSCOOBIE DOだ。2002年のメジャーデビュー時からずっと聴いているバンドで、ライブは初めて行った2004年以降毎年必ずどこかしらで観ている。多感な10代の頃、僕はファンクで踊ることをスクービードゥーのライブで学んだ。

ここ数年、ポップミュージックのメインストリームにもファンクの波がやってきているが、彼らはそれをずっと続けてきたバンドだ。実際スクービーがメジャーデビューした00年代前半のシーンでは、ファンクなんて言ってもあんまり伝わらなかった。

決してトレンドを先取りしていたのではなく、スクービーらしさを貫き続けていたら結果的に時代が後からついてきたのだと思う。かと言ってそこで注目される訳ではなく、おいしいところは結局イキのいい若手バンドがもっていっている感は否めないが、スクービーのライブパフォーマンスの安定感はそんじゃそこらの若手では太刀打ちできない盤石さだ。四半世紀のキャリアはダテじゃないのである。

そんな中、新型コロナウイルスというピンチが訪れる。ライブバンドにとって、コロナ禍による打撃は計り知れない。ただ演奏する場が奪われるだけでなく、限られた有観客ライブの機会ですらこれまでのルールが通用しなくなってしまうのだ。

例えばライブ冒頭、0曲目とも言える「Introduction」ではコヤマシュウが"Hey Everybody!"と投げかければ、観客はイェー!と答えるのが恒例だ。いつものように言いかけた時、ふと我に返った。このご時世、ライブ中に声を出してはいけない。長年かけて築いてきたお約束も、コロナの前では無力なものだ。

ライブでは1曲目から定番曲「真夜中のダンスホール」を繰り出すが、"ここにはルールは一つもない"という歌詞がやけにグサッと刺さる。

ここにはルール、めちゃくちゃある。

しかし、制約の中で各々が今できる最大限の自由を探って楽しんでいる。ライブの場所を守る方が大事なのを、みんな分かっているからだ。

続く「アウェイ」も"ここはアウェイ"というフレーズが、今ロックバンドが置かれている状況を端的に表しているように思えた。でもただアウェイだと嘆くのではなく、この場所がホームに変わるまで決して諦めないという不屈の精神を歌った曲でもある。

コロナ禍を経て初めて発表した「Alive Song」でも似た境遇が歌われているが、"純粋な欲望のまま 獰猛な絶望抱え 生きることに取り憑かれていよう"というワードが優しく且つ力強く響いてきて、踊れるのに否応なく泣けてくる。"あなたは大丈夫だよ"と根拠無しに言うのではなく、しんどさを否定せず、それでいて生を肯定する。今必要な音楽だと思う。

「新しい夜明け」では終盤、コヤマと観客がラララと声を合わせるのが定番だが、やはり今回は”心の中で”となってしまった。声は出せないけれど、皆が同じ空間で同じ気持ちでライブを観ているのを感じられるだけでも、有観客の意味はあるんじゃないかと思う。

ファンクのスタンダードのカバー「TIGHTEN UP」を経て、ゲストであるフィロソフィーのダンスが登場。かつての2マンライブに行けなかった身としては、提供曲「ラブ・バリエーション」のセッションをやっと観る事ができた。普段のスクービーのライブでこの華やかさは感じられないし、フィロのスもスクービーのライブパフォーマンスには結構な影響を受けているようだ。両者にとってwin-winな関係であると思う。

長年ライブを支えてきた定番曲「Back On」では後半、ドラマー・MOBYと観客が"1・2・3"と声を合わせる場面があるが、これも今回は見送り。この日のMOBYは「お前らわかってるよな、声は出すな、でも心の中で出せ!」とでも言いたげな絶妙な顔をしていた。そして観客もそれを察知している。様々な制限の中で、演者と観客はライブを共に創っているのだと感じられた瞬間だった。それはスクービーがずっと言い続けてきた"Funky 4 Plus One More"精神そのものであった。ライブにはプラスワンモーが欠かせないのだ。

ラストの「夕焼けのメロディー」は過去幾度となくライブの〆を飾ってきた曲なので、特段驚きはない。しかし今はお約束でさえも実現できない世界なので、いつもの事がむしろ一番愛おしい。ああスクービーのライブに来た!と感じる瞬間だ。

スクービーは観客を盛り上げるのがとても上手い。比較的褒めて伸ばすタイプで、観客に対して押しつけがましくせずとも、いいグルーヴを醸し出す空間にするのが得意なバンドだ。数年前に言い放ったスクービー語録の1つ"統一感のない一体感"というやつである。

とは言え、ロックシーン全体としてはやはりライブの一体感が強いバンドが勝ち上がる傾向は根強い。コヤマも過去のライブでは、一つになろうぜ!的な煽りをしていた時期もあったと思う。

でも、いつからか考えが変わったのだろう。今回、コヤマの口からこんな言葉がこぼれ出た。

「音楽で一つになんかなれねえよ、でもお前になる事はできる」

これを聞いて、ハッとした。変な日本語だが、ある意味、自分という精度を高めるために音楽を聴いているのかも知れない、と思った。

音楽という正解のない世界で何を感じるかは自分次第だ。多感な10代の頃、多数派と違う音楽を聴いていた自分は、クラスのみんなとあんまり一つにはなれなかった。

そのせいで辛い思いもしたけれど、どんどん自分を濃くする事はできた。またそうして手に入れた揺るがない自分は、孤独に強い自分でもあった。好きなものを信じて、今日まで幾つもの夜を乗り越えてきた。

スクービーの音楽は、出会った2002年からずっと傍にある。当時と比べるとすっかりシーンは様変わりし、あの頃切磋琢磨していたバンドの多くは解散したり、メンバーが入れ替わったり、活動ペースを落としたりしている。

新人だったスクービーも中堅を超えて今やベテランの域に入っているが、彼らはずっと変わらぬ4人で活動を続け、一度の活動休止もしていない。ブレイクこそしなかったけれど、人気がガタ落ちする事もなく新規のファンも獲得し続けている。

ライブ本数も多いのでフラッと観に行く事ができるうえ、昔の曲を今でもライブで演奏してくれる。そして、ずっとこの4人でバンドをやる意志を伝えてくれている。ファンにとって、これほど嬉しい事はない。

19年も経てば自分のライフステージも変わるし、その分、曲の響き方が変わったりもした。曲を聴く頻度が下がった時期もあった。でも、生活の中でスクービーの存在はいつも意識している。彼らがずっと歩みを止めず活動を続けていること、これは自分にとってこの上ない希望だ。

昔は憧れのバンドマンだったけれど、大人になった今では、おこがましいながら同じ時代を生き闘う者として、その誠実さと己のスタイルを信じ貫き続ける姿勢を尊敬している。スクービードゥーがスクービードゥーのままであり続ける限り、その背中を追いかけて生きていきたい。

[SETLIST]
真夜中のダンスホール
アウェイ
Alive Song
新しい夜明け
TIGHTEN UP
ラブ・バリエーション with フィロソフィーのダンス
Back On
夕焼けのメロディー

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