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僕の細道(本編)18 湯殿山

出羽三山、芭蕉が最後に詣でたのが湯殿山である。

ここでは珍しくご本尊を直接見る事また触ることも出来る

だが、ここで見聞きしたことは今も昔も

「問うな」「語るな」 他言禁止なり。

当然、撮影禁止。

ウィキペディアでさえ、あえて「不明」としております。

っで、芭蕉の句も

『語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな』

となっている。

神罰を恐れるオイラは多くを語りませんが

なんせ口が軽い

ちょっとだけ、、、

下の駐車場からは徒歩または専用バス以外は立禁

深い緑の山道を分け入り小さな渓流を渡る

ここで全員お祓いを受けた後は山道を裸足で参拝です。

ご神体はまこと珍しきものなりそしてちょっとヒワイ?

だから㊙にしたのかも、、、

とても大きくナマ暖かくてヌルヌルした不思議なものでしたよ

オイラ触りました。

これ以上は言えません(笑)

ソソるでしょう。。。

あとはご自分で参拝してオイラの話が嘘でなかったことを確認して下さい。

そしてこのあと芭蕉一行は奥羽山脈を越えて日本海側に下り後半戦へと入っていく。

それにしても驚くのは芭蕉は何たる健脚であろうか!

当時としてはもう初老で2500kmを5か月かけて旅したわけですが

平地だけではない。

ここいら一帯は登山といっても差し支えないくらいの山道である

しかも当時はほとんど整備もされていなかったであろうし

LEDのヘッドランプもないしワラジ履きですよ!

凄いの一言です。

忍者説がまことしやかに囁かれるのもわかる。

何が彼をそうされたのでしょう?

オイラに知る由もないありませんが

冒頭に『古人も多く旅に死せるあり』と記しており

陸奥の旅を終えた3年後に亡くなった彼の辞世の句は

『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』である。

彼は旅に死する覚悟はもちろん

また、そうなりたいという願望すら感じます。

敬愛する西行が桜の下で死にたいと言って、そうなったように

辞世の句には、もっと旅をしたかったとの思いも滲むが

でもそこには後悔の気持ちは微塵も感じ取れない

爽やかささえ感じます。

死せる覚悟はビビリのオイラにはありませんが

かくありたし。

徹頭徹尾、好きなことをしおうせる心意気がうれしい

オイラも面倒臭い、疲れる、何の為に?と思いながも

つい旅に出てしまう。

芭蕉翁とは違いただの放浪癖ですが。。。

でも若き時、ネバダ砂漠のですれ違った老ライダーの言葉が今でも背中を押します。

「なぜ旅をするのかって?、、、お前も歳をとればわかる。 good luck ! 」パクリ

。。。オイラにはまだわからない。

無精


⚠️この日記は10年前に書いたモノです。

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