ひとねむりと海の神様

空では行き場を失ったクジラがひと啼き、ゆるりと尾びれをひとひねりして
やがて焼けゆく西の雲間へと消えていった。
本当はいまごろ陸(おか)で暮らしているはずが、なぜだかひろい海洋なんかに定着してしまい、いつまでたっても光を見ることのできない胎児のような不安を抱えてとうとう泡になったしまった、哀れな哺乳類のなれの果てだった。


海で暮らしていた遠い昔のことなどすっかり忘れた人間だけが母なる海と謳い、そんな人間があふれかえっている陸にもはやクジラの居場所はないと悟って空へ上っていったのは正しい判断だったのだろう。
還るところを間違えたら、クジラもイルカも打ち上げられた砂浜で生臭い肉の塊になるしかない。

鳥とフナ虫と野良犬にたかられるか、貧しい地域であるならば、出刃包丁とボウルを抱えた住民に細かく切り刻まれて食われてしまう。
衛生上の理由でそうした行為は自粛するようにとの町内放送が時折風にのって流れてくるがそれもあまり意味のないことだった。
こうして誰もしらないところでひとつのありふれた旅がひっそりと終わった。

こんな日の夕暮れはいちだんと、寂しい。

最期のしぶきが空に放たれたのは午後四時すぎ、人々が午睡からかえってくるころ。
そしらぬ顔で太陽があくびを始めるころのことだった。

本当は自分だって陸で暮らしているはずだった。なにも眠っている時まで泳ぎ続けるなんて真似をせずにすんだのに。
そんな怒りやあきらめが、かなしみのなかでいつまでも溶けきれずに澱のように舞っていた。
そのかなしみが、どれだけ深いものだったかは名残の花だけが知っている。
けれども、その花も梅雨を待たずに散ってしまうだろう。

クジラの涙は明日のほうき星になって、運がよければ彼の願いどおり地表にたどり着くだろう、というのがうみのかみさまの見立てるところだった。

「どうして涙が石つぶになるのさ。ほうき星ってのは、この地面みたいに土とか石でできているんだろう。」
傍らでひとねむりが反論しても、うみのかみさまはそれを拾いあげることもせずにただ黙って好きにさせておいた。
星についてそれ以上詳しい知識や思い入れがあるわけではないひとねむりもじきに黙って、ふたりは静かにクジラの消えた方角を眺めるのだった。


彼らははじまりをもたなかった。
いつのまにかここにいた。先にいたのはうみのかみさまだった。
海側の街にでるまで車で4時間もかかるような大きくも小さくもない北東の町の隅に、その祠はあった。

まだ鉄道もないような時代。やっかいな伝染病が流行って村が傾きかけた時に建てられた祠に棲みはじめた頃、うみのかみさまはかみさまではなかった。
村のなかで見えないものが見える老婆が、ここにおるんはうみのかみさまじゃと言い出したので、かみさまのふりをした。そうして長い時間をかけて、なんとなくかみさまになった。
祠はもうずっと川沿いの道の途中にあって、アスファルトで舗装されたサイクリング・ロードになって自転車が走るようになる頃にはすっかり古くなって、すっかり景色の一部になった。
ことさら大切にも粗末にもされず、いつの世も同じようにふたりは並んでいるのだった。

川沿いのこの祠に落ちつく前のことを、うみのかみさまはよく覚えていなかった。
形もないのに意識だけはある、という意味で自分は祠に棲む資格が少しはあるのだろうと思っていた。
もちろん、この祠に見合ったものが現れればすぐに居場所をゆずるつもりであったけれど、そんなものが出てきたことは一度もなかった。

河にも町にも所属できなかったから、自分の棲み処は境界線に似た役割を果たしているのだろうと思うと、ここを離れてはいけないような気もしたし、別段ほかに行きたい場所もなかった。
一方、ひとねむりはこれはもういつでもじっとしていられない性分で、天気の好い日にはたいていコルク栓をすり抜けて、ちぎれる寸前のうすいもやになってあたりを気持ちよさそうに漂っていた。

彼がどんな効用を果たしていたのか。
硝子の小瓶に貼られたラベルが色あせ日に灼けた今となっては読み取ることができない。
うみのかみさまには誰かの、ある特定の記憶に関するもののような気がしたが、それも確かではないのでとりあえずの名前でひとねむりとつけた。
今新しいラベルを貼りなおすなら、それは「ノスタルジア」がいいだろうと昔かみさまは口にしたことがあった。

「ノスタルジアってのは、はじまりを失くしたひとが迷子札のかわりに作りだした便利な道具みたいなものかしら。」
「そうかもしれないね、一概にくくることのできないものだね。」
「なんだい。それじゃあかみさまにだってわかりっこないんじゃないかい。」

ひとねむりよ、とかみさまは微笑んだ。
「ノスタルジアというものは、ありもしない場所を、それと分かっていながら探さずにはいられない性分か、そうでなければなにかを決定的に失くしてしまった人だけがかかる、治る見込みのない病のようなものではないかな。」

一体ひとねむりがなにを失くしたのか、そんなことはどうでもよかった。
なにかとても大切なものを失くしたということが肝心なのだ。
その事実だけで成り立っているようなものだろう、とうみのかみさまは考えていた。
「そんなインチキみたいな言葉が自分の表書きになるなんて、僕は嫌だな。」
珍しく大人びた声は、つづら折りに重なっていくしろい雨音の隙間にひとつひとつたたみこまれて、消えた。

「…ねえかみさま、ノスタルジアっていうのはほんとうに病気かしら。」
「さてねぇ。病でなければ、宿命か。そうでなければ恋煩いか、そんなものかもしれないね。」

いくぶんあたたかみのある湿気にそっとくるまれてまどろんでいくひとねむりの隣でうみのかみさまは生涯一度の恋とでも呼ぶべき、忘れられない夕焼けのことを想っていた。
それは、このよなぬき河の岸辺にたどり着く前の、数少ない記憶の大半を占めていた。
思い出すことにちょっとした覚悟がいるほど美しい、遠く離れた海沿いの炭鉱の町で見た夕焼けだった。
強烈な思慕を燃やして燃やして、燃やし尽くしてできたような落陽であった。
太陽の完全な退場を見届けるまえに、自分は溶けて崩れていく太陽の美しさにもう自分は生きていられないだろうと目を閉じた。

けれど、それからも世界は規則正しい呼吸で幾度も幾度も展開と収束を繰り返して、二度と忘れることのできない夕景から放り出されて、かみさまは
次の日とその次の日に続く日々を生きてきた。
美しい一瞬の連なり、ひとつのとどまらない景色との邂逅。
確かにあの夕焼けを見た日に、自分は世界とともに死んだのかもしれない。

そのことに気づかず、今は別の世界に生きている―考えてみれば、そういう記憶の閉じ方もできたが、運命の恋人にやっとで会えた傍らから今生の別れをかわさなければいけない恋に、胸を焼かれるような切ない気持ちになった。
一瞬が永遠に、永遠が一瞬になった日のことを、今日のようにクジラが空へ消えていくときにふと思い出すのだった。

「恋と病気と運命は似ているのかしら。」
ひとねむりはもう半分も夢心地で、これが寝言なのかかみさまには判別つきかねた。
それでも、自分に言い聞かせるようにかみさまは呟いた。
「いつかひとねむりにも全部をもっていかれるような時がくるよ。」
そんなものを彼が知れば、小瓶の中身はからっぽになってしまうのだろう。
「それまでここにいるといい。」
静かな雨に誘われてやがて夜のとばりが下りてきた。
クジラの涙がほうき星になったかどうかはふたりの知るところではなかったが
雨音に混じってかすかに届く雲の流れていく音は
いつもとかわりなく穏やかなものだった。

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