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死んだ叔母

思いもよらぬタイミングで、コロナに感染してしまった。
そういえば前回感染したのも6月で、誕生日を迎えてしばらくしてからだった。

熱が下がってもとにかくだるくて長い時間起きていられない。そんなわけですごく久しぶりに昼間から布団を敷いた。
へんな時間に爆睡したせいか、死んだ叔母が家を訪ねてくる夢をみた。

私たち夫婦が家を買ったので、母に誘われて八王子から見に来たのだと突然やってきた。
叔母は白地に黒い大きな柄が入ったマーメイドラインのワンピースに、白い女優帽といういつもの恰好だった。ほんのすこし気まずそうに笑っていた。そうして、母に案内されながら私の家を見てまわり、「へぇ」とか「すごいわ」といちいち嬉しそうに驚いていた。

母も叔母も、やっと仲直りできて良かったな、と思った。

「これからバイトにいかなきゃいけないから、あとは好きにゆっくりしていてね。」
そういってパン屋のバイトに行く仕度をして叔母に別れを告げたところで目が覚めた。

布団の上でぼーっとしながらしばらくして「夢か。」と気付いた。パン屋でアルバイトをしていたのはもう20年近く前のことだ。そうだ、叔母だって何年も前に死んだじゃないか。

お葬式にもお墓参りにも行っていないから、死んだという実感がなくて今でもどこかで生きているような気がするけれど。

妹である母も、姉である千葉の叔母も、長女だった八王子の叔母が死んだことを知ったのは亡くなって半年以上してから。3姉妹が疎遠になって数年後のことだった。

八王子の叔母の旦那さん、つまり私の叔父は、がんで亡くなった。

「〇〇さん、ちょっと痩せすぎじゃない?どこか悪いんじゃないの?一度病院で見てもらったほうがいいわよ。」
私の母が、八王子の叔母にそう伝えたのは、父の葬儀の席だった。
私の父も末期の大腸がんから遠隔地転移してみるみる痩せていったので、この痩せ方は癌に違いないと母は思ったらしい。

私たちが叔母と叔父を見たのは、それが最後だった。


「R子があんなことを言うから、〇〇さんは死んでしまった。」
母が癌だなんて言わなければ死ななかったに違いない。そういうようなことを、八王子の叔母は言っていたらしい。
友達がほとんどいなくて旦那さんにべったりだった叔母は、叔父が末期のがんだと言う事実を受け容れられなかったのだろう。

「インターホンにR子の姿が映っていた。勝手に来て私のことを馬鹿にしてるのよ。」
次女である千葉の叔母にそう電話で話していたので、そのころには認知症の傾向があったのかもしれない。
そのうち、千葉の叔母が電話をしても攻撃的な口調で文句を言われるだけになってしまったと聞いた。

晩年の叔母がどう暮らしていたのか、たぶん一人でひっそりと生きていたのだろう。時々ヘルパーさんが来ているみたい、と千葉の叔母が言っていたけど。

彼女の一人息子は、寡黙にもほどがありすぎるくらいの無口で、私たちのことをなんと聞いていたのかは分からない。
でも、危篤や訃報の連絡は一切入らなかった。

八王子の叔母が亡くなったのを知ったのは、ある年明け、別の親戚経由でだった。
年賀状を出したけれど宛先不明で戻ってきてしまった。心配だからそちらからも連絡してみて欲しい。
そう頼まれた千葉の叔母が、一人息子に連絡したらあっさりと
「なくなりました。もう納骨も済ませてあるので。」
とだけ返されたという。

「呆れて物も言えないとはあのことよ。一言連絡をくれたら良かったのに。」
マンションももう売りに出したそうだと、千葉の叔母は諦めるようにお茶を飲んだ。

一人息子は私の従弟にあたるわけだけど、6歳くらい離れているので一緒に遊んだ記憶はほとんどない。
それでも「うちには女の子がいないから」と叔母と叔父にはずいぶん可愛がってもらった。
社会人になって、八王子で研修があった時には泊めてもらったし、娘を出産した時には、かわいいベビー食器を贈ってもらった。その娘も、叔母には会えないままだったけれど。

カメラが趣味のおだやかな叔父と、いつもおしゃれで歳を重ねてもロングヘアをキープし続けていた叔母。
おしどり夫婦とはああいう人達のことを言うのだろう。
どこへ出かけるにもいつも一緒で、よく美術館のお土産のポストカードやクリアファイルをもらった。今でもそれは、大事に使っている。

夢の中でも、私の思い上がりでも、最後に叔母にあえて良かった。
葬儀に参列できずにずっと引けないでいた線を、ようやくきちんと引けた気がした。

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