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朝5時に起きてハーブティーを飲む生活をした結果

上の子が生まれてから早10年。
一日たりとも「一人になりたい」と思わなかった日はない気がする。
夫や実母の理解や協力を得て、これまでなんだかんだ一人時間を確保して生活してきた。
他者の気配を感じることなく、ただ誰にも会わず、誰の目を気にすることもなく、誰とも喋らない時間がないと心が死ぬのだ。

今年度からフルタイムではないものの、扶養を抜けてそこそこの時間働くようになった。
夕方、仕事から帰ったらすぐに洗濯物をとりこんで夕飯を作り、合間に子どもの宿題と習い事の練習に付き合ったり、諸々の用事で送迎したりする。
やっと子どもたちが寝たと思ったら今度は夫が帰ってくる。

土日は土日で、子どもたちの習いごとの練習で半日が潰れる。
個人レッスンと合同レッスン。送迎にそれぞれ片道1時間。
「え、プロを目指してるの?」
たまに聞かれるけど、そうじゃない。ただ時間とお金をかけてやるからには中途半端なところで終わらせたくないだけだ。
この習い事を始めるときに、自分にかかる負担のことはよく考えた。腹も括った。
誰も悪くない。なにも悪くない。それでも思う。
頼むから私をひとりにしてくれと。

家族が「敵」になってしまう前になんとかして時間を作らなければと思った私は、22時すぎに寝て朝5時半に起きることにした。
暖かい掛布団が気持ちよくなってきたこの季節、起きれるかと思ったが初日から案外あっさり起きられた。
寝たい気持ちよりも、一人になりたい気持ちが圧倒的に勝ったのだ。

しんと静まり返ったリビングは何物にも代えがたい心地よさがあった。

だらだら起きつづける深夜とは違って、家族が起きてくるまでというはっきりしたタイムリミットがあるので文章を書くのも集中してはかどる。
なんだ、早起きいいことばかりじゃないか。
もっと時間が欲しくて、5時起きが定着してきた。
コーヒーは朝食の時に淹れるからお茶にしようと、エルダーフラワーティーを飲みながら私はしみじみ思った。

今まで、雑誌やSNSで朝早起きしてひとり時間を楽しんでいます。充実の毎日です♡
という朝活レポートを見ても(子育てだけでもしんどいのに意識たっか。私には無理だなぁ)と思うだけだったけれど違った。
意識の高い低いに関わらず、働く母というものはひとりで自由な時間を作ろうと思ったら早朝しかないのだ。
みんなそれぞれいろんな事情があって、この時間に流れ着くのだ。
早朝は云わば心の避難所、とすら思えてきた。

早起きのメリットは色々あるけれど、朝5時に起きてハーブティーを飲んでいる、というだけでとりあえず自己肯定感はあがった。
先回りして家事を済ませて、朝子どもたちが起きていても余裕があると、出勤間際にバタバタしなくてすむ。
なんだ、私ちゃんとできるじゃん。土日も早起き頑張って超えらい、と。

22時過ぎに寝るためには、夕方仕事から帰るといろんなことを休む間もなく片付けていかなければならない。
たまに洗濯物をたたんでいる途中に寝そべり族になってしまうこともあるけれど、明日の朝には確実にひとりになれる時間があると思えば頑張れた。

そんな生活が一週間続いて、私は大事なことに気が付いた。
朝の5時から、ハーブティー片手にホラー映画は見れない、と。

どんな映画だって細切れにすれば見れるだろう。
-でも、映画って夜みたいじゃん。
心の中で私がそう訴えた。
そうだった、特にホラーは駄目だ。あれは深夜に「怖かったな~」と思いながら考察を読み漁り消えていった人々に想いを馳せ、余韻に浸り、色々考えながら眠りにつく、というところまでがセットなのだ。

…いや、そもそも日常のストレスを打ち消すために別のストレスをぶつけようとしてホラー映画を観ている節もあるのだから、これを機会にホラーにこだわらなくてもいいのでは?
本を読んだり文章を書いたり、ノートで自分の考えを整理してみたり、他にもやることはいろいろあるのだ。
私ははっと我にかえった。

いけない。このままでは心が綺麗になってしまう。

バイキンマンのようなことを考えた末、金・土は夜更かしをしていいことにした。朝もゆっくり起きる。
今から週末の夜更かしを楽しみにしているあたり、やっぱり私に早起きは向かないのだとつくづく思う。
けれども子どもたちがもう少し大きくなって、もっと手がかからなくなるまでは、この生活を続けてみようと思う。
そう、心が綺麗にならない程度に。


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