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柔らかな沈殿

誰にもわかってもらおうなんて思わない。
ありきたりにそう思っていた頃があった。

10代の、自意識を持て余して別人のように尖っていた、今よりうんと若かった頃。
本当は「わかるよ」って言って欲しかった。誰かひとりでいいから自分のことを理解してもらいたかった。でも、そんな人は現れなかった。
だからいろんな物語を読んではその中に同志を見つけた気持ちになったし、日記にいろんなことを書いた。
10代の頃つけていた日記は、私にとってどんなことも話せる信頼に足る友達だった。
転勤族で内向的だった私には友達が少なかったから、その辺で買ってきた一冊のノートは長いあいだとても支えになった。

あれから20年以上が経って、人との距離の取り方や自分のメンタルの扱い方にもだいぶ長けてきた。
生涯付き合いたい友達もできたし、結婚して子供も産んだ。
いろんなことが落ち着いてくるのと比例して、誰にも見せることのない日記を書くことはなくなった。
 
誰にもわかってもらおうなんて思わない。
あの頃信念のように抱えていたこの言葉を、今は違う意味で自分のなかに孕ませている。
別に秘密にするようなことでもないのだけれど、時々どこかへふらっといなくなってしまいたくなる時がる。
週末の夕方、夫と子どもたちを家に残して夕飯の買い出しにスーパーに行く。買い物を済ませて自転車を漕いでいると、ふと家に帰りたくなくなる。このままどこか知らない町へ蒸発できたらどんなにいいだろうなという衝動がじわじわこみあげてきて、つげ義春のことなんかを考えてみたりする。
絶対にそんなことをしない、出来ないという自覚があるから、ああ帰りたくないなぁと無駄にスーパーの中や公園をぐるぐる歩きながら、選ばない方の人生について思いを馳せるのだ。

どうしてだかは分からないけれど、子どもの頃からずっと失踪に対する憧れがあった。
一人で海外を旅行していて、ああこの町に今自分を知っている人は一人もいないのだと思って嬉しくて寂しくて歓喜に震えたこともあった。
そういうことは家族に言ってもきっと、芯から理解はしてもらえない。もしかしたら冷たい人間だと、軽くなじられるくらいはするかもしれない。

言わなければいいんだよ。もう一人の自分が囁く。私がわかっていればいい。誰にも分かってもらおうなんて思わなかったでしょう?
いろんなことを前向きに諦めて、憧れだったものは柔らかな沈殿になって心の底に積もっていく。そういうもので、心の土壌ができていく。

ここからいなくなってしまいたい。でも、家族を振り切ってまでどこにも行けない。
世界のどこかに自分のたどり着くべき土地があるはずなのだという浅はかなノスタルジアを飼い殺しにしながら、私は家に帰り今日もつつがなく日々を過ごしている。


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