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『お姉さま、和歌はなぜ五七に綴るのですか?』

花杵は    五七に綴るを

姉に問ふ   姉は答へて

天地の節   また問う祓い

三十二なり  今三十一とぞ

はなきねは ヰなにつづるを

あねにとふ あねはこたへて

あわのふし またとふはらい

みそふなり いまみそひとわ

ある時のこと、弟の花杵(ソサノヲ)が姉のワカ姫に尋ねました。「お姉様、和歌はどうして五七に綴られるのですか。」

 姉は簡潔に「天地の節に擬えてのことですよ。」と答えました。

ソサノヲ尊は幼いころに母イザナミを亡くし、姉を母のように慕っておりましたので、そっけなく答えられたことへの不満もあり、再び姉に問います。

「でもお姉さま、祓いの時は三十二文字で詠みますよ。今、和歌が五七五七七の三十一文字であるのはどうしてですか?」

その答へ    天の巡りの

三百六十五余  四つ三つ分けて

三十一なり   月は遅れて

三十足らず   まこと三十一ぞ

しかれども   後先かかり

三十二醸    ある間窺う

汚穢ものを   祓ふは歌の

声余る

そのこたへ あめのめくりの

みむそヰえ よつみつわけて

みそひなり つきはおくれて

みそたらず まことみそひぞ

しかれども あとさきかかり

みそふかも あるまうかがう

おえものを はらふはうたの

こえあまる

ワカ姫は弟ソサノヲの興味を喚起するため、故意にそっけなく答えたことが功を奏し、弟は興味津々で教えを受ける準備ができています。

「よくぞ聴きました。それに答え、これから大切な教えを説きましょう。和歌は通常、五七五七七の三十一文字で綴られます。これは地球が太陽を巡る天の巡りに準えてのことです。一年の日数、三百六十五日を四つの季節に分けて、さらに季節を三つに分けます。すると、おおよそ三十一になります。

 一方で月は、地球が太陽を回る周期よりも少し遅れて周るので、月の周期は三十日に満ちません。通常は、太陽の巡りに合わせた三十一文字が正統な和歌です。しかし、月と太陽の周期には毎年ズレが生じています。ズレとは、地球が太陽を一周する三百六十五日目に月は地球を回る周期の途中にあるということです。月の周期は、後にも先にも中途半端にかかってしまいます。ですから、太陽と月の周期のずれを調整する閏月の年の日数、三百八十四日を十二で割った三十二日を魔を祓う数としています。

 魔と呼ばれるものは、あらゆるものの隙間をうかがって忍び込むものです。魔が忍び込む隙間を埋めるためには、太陽と月の周期を調和させなければなりません。そのため祓いの和歌は、字余りの三十二文字で詠まれるのです。」

敷島の上に     人生まれ

三十一日にかす   陰は三十二

歌の数もて     地に応ふ

これ敷島の     和歌の道かな

しきしまのゑに  ひとうまれ

みそひかにかす  めはみそふ

うたのかずもて  わにこたふ

これしきしまの  わかのみちかな

「大和敷島の上に生を受けた者は、通常の年は太陽の周期に揃えて生後三十一日目に、閏月にあたる陰の年は三十二日目にお宮に詣でますね。このように歌の言葉の数をもって、地上で天の恵みに応えていくこと、これこそが敷波寄する大和の島を鎮め守るために詠まれる和歌の道奥なのです。」 

【解説】
ワカ姫の説く和歌の道奥、いかがでしたか。古代縄文以前の大和の和歌の哲学は、紀貫之の仮名序にいう和歌の定義と比較にならないほど深く、スケールの大きいものです。

しかしながら、祓いの和歌が三十二文字であることは現代のわれわれに伝わっていません。

でも、思い出してみてください。

きみがよは  ちよにやちよに

さざれいしの いわおとなりて

こけのむすまで

国家君が代が、祓の三十二文字で詠まれているのは偶然ではありません。新古今和歌集に詠み人知らずで収録される君が代ですが、この祓の大歌は、鹿児島の大宮神社の神楽に詠まれる祝詞として歌い継がれているからです。

ホツマ一紋巻末

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