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偽ツインレイと自己愛

偽ツインレイと出会って、気付かされたことは沢山ありますが

その中で最も感謝すべきことは、闇を解放するための鏡としての役割を果たしてくれたことでしょうか。

わたしが出会った偽ツインさんは、人と人間関係を築くことが難しい性質を持っていたため、信頼や絆を深めようとしても、駆け引きすることによって、信頼や絆を壊し続けました。

見捨てられ不安の強い人は、繰り返し捨てられる行動をとり続けてしまうという特徴があります。そして、ほら、やっぱり見捨てられた。という方が本人は不安を抱え続けるより、安心するのです。

ですから、彼を想っている間は、安心感がありませんでした。

とにかく執着が強くて不安が強かったこと。

それは相手だけではなく、わたし自身も同じでした。

自分の中にある不安や恐れと対峙するためにかなりの時間を費やしました。

それまでの恋愛でそれほど大きな不安が出るということはありませんでした。そこまで精神的に不安定な人と出会ったことがなかったということもあるかもしれません。

彼に出会うまでは、どちらかというと人間に対する執着は薄い方だと思っていました。

しかし、偽ツインレイに出会った当初のわたしは、彼を失うことをとても恐れていて、執着や嫉妬もそれまでに味わったことのないほど強い感情を味わいました。

なぜそんなに執着をして、何をそれほど恐れていたのだろう?と今になれば不思議にさえ思うのですが、感情の渦の中にいる時は、その自分自身を客観視することは出来ません。

まるで密閉された空間の中に迷い込み、比重の重い別空間にいるような、ずっと監視されているような感覚、火薬の混ざる粒子の荒い(火の気の多い)エネルギーの中にいるような感覚をずっと味わっていました。

おそらくあの頃は”そうしたエネルギーの層”の中にいたのだろうと思います。わたしはそこへ呼び込まれたのかもしれません。潜在意識に眠った傷を癒すために。

当時、都合よく真実を歪めて、自分にとって都合の悪いことは否定していました。

もしあの頃、「あなたが出会っている人は偽ツインレイですよ。」と言われたとして、わたしがそれを受け入れることが出来ただろうか?というと、おそらく全力で抵抗したことでしょう。

とにかく必死で、なんとか叶えようとしていました。(これは後で解除をしています。)

あの人が偽ツインレイなはずはない。そう信じたい気持ちとは裏腹に現実はズレていきます。

わたしの波動が上がれば上がるほど、執着が薄れ、会いに行く気力がなくなっていきました。

エゴが強い時には気づけなかった、いわゆる”強引にこじつけていた部分”にも気づいてしまうようにもなります。

いくら無条件の愛の分かち合いとはいえ、
偽ツインレイは、わたしが欲しいものを与えようとはせず、
(おそらく、相手を満たすことには興味がない。)

自分が欲しいものを与えられないと腹いせをしてきました。

わたしが欲しいものは、わざと他の人に与えてしまう。愛を出し惜しみすることでそれを餌にして引き寄せようとする。それはわたしのエネルギーをフックで掴んで奪うような行為で、何度も繰り返されるうちに深い傷となっていきました。

自分からは、怖くて近づきたくても近づけない。そのためにわたしを操作するための裏工作。彼の言動のほとんどが、思わせぶりな行動と駆け引きでした。

わたしは、その状態を観るたびに、とてもやるせない気持ちになりました。

愛の分かち合いなどではなく、やることなすこと、何もかもがエゴだったからです。そんなことを続ければどんどん波動が落ちていくことはわかりきっています。


自分の不安を補うために平気で相手を傷つける身勝手さ。

やめてもらおうとすると、構ってもらえたと思ってますますエスカレートする。

わたしが不快感を示すことが、彼にとっては、”相手に影響を与えられている”というバロメーターであり、自分が優位に立っているという錯覚をもたらすものでもあったのでしょう。

当時のわたしには、不快感を示してもやめようとしない理由がわかりませんでした。

自分の好きな人が嫌だと言ったらやめるのが普通だと思っていたからです。

どうしてなのか?

そうした行動が全く理解できず、なんとか改めさせようとしていました。

しかし、それは大きな間違いでした。


自己愛の人は、行動を改めるように言われたからといってそれを聞き入れることはありませんし、反省することもありません。

むしろ、嫌がらせはエスカレートします。

自己愛の人にとって大事なのは、自分自身を満たしてもらうことであり、賛美してもらうことであり、人より優位に立っているという錯覚であり、傷つきやすい自我を刺激するような、本当のことをいう人や自分を馬鹿にする人は天敵のようなものです。

彼の母親の過剰干渉と過保護は、彼の成長を阻み、母親から決して離れない子どもに育てあげました。

強い見捨てられ不安のある母親は、子供の自立を阻むことがあります。彼女は暖かい家庭に憧れ、子どもたちに愛される母親を夢みていたのかもしれません。

彼は周囲の人に保護されなければ生きていけないと思い込んでいる節がありました。


自分が手のかかるダメな子になることで母の愛を独り占めすることができ、それを母に支えられているとして、美化していたのです。

わたしに対しても、パートナーというよりは、母親のような愛を与えてもらうことを求めているようでした。

愛し合うのではなく、あくまでも自分を保護してくれる存在として。

彼のいう愛は、自分にとって都合の良い甘やかしを与えてくれること。成人男性というよりは、まるで赤ちゃんのように甲斐甲斐しく世話を焼いてもらい、褒めてもらい、優しく接してくれることのようでした。

わたしはその状態を見るにつけ、まるで母親に去勢されたようだと感じていました。

彼の予定などを母親が勝手に決めてしまう。どこにでも母がついてくる。母親が息子の交友関係を把握しており、友達のブログやSNSまでもチェックしている。飲み会にまでついてくる。そして本人は主体性がなく、自分で決めることができず、何もかも女性アイドルの真似をして、自分が自分でないばかりか、男ですらないような状態でした。

強い自己否定と劣等感。

自己愛ゆえの傷つきやすさのため、正論を言われて自分の都合が悪くなると途端に不機嫌になり、癇癪を起こすかのように感情的になる。

自己愛性には、男根期自己愛性という、母親による去勢不安が強い分類があるようで、それを見つけたとき、それまで釈然としなかった心のモヤがすっきり晴れるような感覚を受けました。

このタイプの男性は幼少期から母親に溺愛されて育っていて、通常であれば男性は、エディプスコンプレックスとして、父親に去勢されるのではないかという不安を抱くのですが、男根期自己愛性の男性は、ペニスを持った母親と自分を同一視(自分の一部のように感じること)していて、母親に去勢される不安を持っているというのです。

父親不在なのでしょう。

通常、家族には、母親と父親がいるものですが、彼の中には父親はいない。母を裏切り傷つけた父親(男性)になってしまうと自分も愛されないという不安もあり、男になれないのだということを感じていました。

著書には、〜このペニスを持った母親像はとても恐ろしく、冷たくて、強いというイメージを持っており、さんざん可愛がっておいて自分を見捨てたように、母親に自分がされたことを女性に対して行い、女性と付き合っても相手の気持ちを引きつけて置いて捨ててしまう。自分がかつて味わった自己愛の傷つきの体験を相手に味わせようとする〜ということが書かれていました。

彼の母親は、さんざん甘やかしておいて、自分に歯向かったり、自立しようという行動を見せると子どもを拒絶をしたり、比較をして、自分を追いかけるように操作していたのかもしれません。


行動パターンとしては、

気を引きたいときは、まるで自分が成長したかのように見せたり(ポジティブ発言)、大切に思っているようなふりをします。

そして、釣れる(反応する)と、他の女性とご飯を食べに行ったとか、ハグをしたり、くっついて写真をUPしたり、他の女性を褒めたり、女性がらみの見せつけを行う(この落差で傷つけようとする)具体的にどういう関係かは分かりません。

(自己愛の人の中には、浮気をしまくる人もいます。悪びれません。相手が少し、異性と話していただけでも妬くくらいやきもちやきなのに、自分は平気で浮気をします。)

無視されると、今度は脅すような、怒っているという雰囲気を出したり、こちらが悪いと行った批判的、攻撃的な態度をとります。

これも無視されると、今度は、かわいそうな被害者を装って、気を引こうとします。弱ってる感を出してくる。

それでも無視されると、突然ラインライブ的なことをして、多くの女性たちにちやほやされて自分を慰めようとします。

行動のほとんどがパフォーマンスです。(嘘を平気でついたり、被害妄想や誇大妄想もありますが、本人に自覚はないことが多いです。)

ですから、この可哀想アピールの時に騙されないようにしないと、反省していると見せかけても、少し経つとまた元のように戻ってしまい、ずるずると共依存関係の継続になります。

他人には色々要求する割に、自分自身は、己の内面に向き合って成長していくという努力をするのが苦手です。

ちなみに向き合っているパフォーマンスは、褒めて欲しい時に行います。

なぜ彼のようなタイプに出会うことになったのか。

自己愛タイプの人に出会うと自分自身を責めてしまうかもしれません。

しかし、こうした出会いは、自分の中の隠れた怒りや悲しみを解放するための出会いなので、自分が悪いんだと責めないようにしてください。

自分を責めやすい人がターゲットにされやすいのです。

ちなみにわたしの場合は、自分の父が典型的な自己愛性タイプでした。

父は身内から搾取しまくり(自分の経営している会社に兄弟を勤めさせてピンハネしたり)母を暴力で支配し、自分は好き勝手に遊んでいました。

家族らしい団欒もなければ、誰かの誕生日を祝ったり、旅行に出かけたりということもありませんでした。暴力を振るわれていることを母から聞いていたわたしは、ずっと父への強い怒りを抱いており、それが男性に対する怒りにもなっていました。

父が女の子より、男の子を欲しがっていたというのもあるかもしれません。

父は継母に虐待を受けていたので母に暴力を振るっていたのでしょう。

わたしは男性を軽蔑し、同時に恐れを抱いていました。

自分でそのことに気づいても、実際に怒りを解放するのは容易ではありませんでした。

人は、隠れた怒りや悲しみをクリアするために、自分と似たような課題をもつ人物を引き寄せます。

わたしが男性に怒りを抱いていたように、男根期自己愛性の男性は、女性に対して、強い怒りを抱いています。

わたしは早くに成長し、大人にならなければいけなかったのとは反対に、
彼は母の寵愛を失うことの恐怖から、子供であり続けることを選択したのです。

愛は自由を許しますが、エゴは自由であることを許せません。

パーソナリティ障害という分類に属する心理状態に陥る人の潜在意識下には、人一倍、”失うことの恐れ”があります。

それは安定した幼少期を過ごしていないためです。

自分自身のトラウマが母親によるものだと認めることができれば、解放できるのですが、中には、自分の親が毒親であったことを認めることが出来ない人たちもいます。

それを認めれば、自分が親に愛されていなかったことになり、また、母親の願望である、”わたしは良い母親”を否定することになってしまうため、「悪いのはダメな子の自分であって、母はダメな自分を支えてくれたのだ」と思わなければ、母に愛されていなかっただけではなく、親不孝者の罪悪感までも背負うことになります。

(逆パターンでなんでも親のせいにしてしまうタイプもいます)

母は優しい、素晴らしい人でなければならず、自分の感情を偽った怒りがターゲットの女性に向けられます。

好きだけど、嫌い。

母親に対する思いも、ターゲットの女性に向けられる思いも愛と憎しみという相反する思いがセットです。

ちなみにターゲットにされやすい人の特徴は、罪悪感を抱きやすい人です。自己肯定感が低く、他者の要求に応えられないと罪悪感を抱きやすい人がターゲットにされやすいのです。

わたし自身も、波動を高めるうちに(内観を重ねて)他者の欲求に応えようとする傾向に気づき、改めましたが、もし、そのままであったら、いつまでたっても、相手の要求に引きずられていたかもしれません。

しかし、皮肉にも、彼と出会うことで、わたしは父に愛されていたことに気づくきっかけを与えられました。

彼は何度も駆け引きをして、期待を持たせては、わざと悲しませるということを繰り返していて、その繰り返しにほとほと飽き飽きし、悲しい気持ちになっていたある日、ふと。もし、この状況を父が見ていたらなんというだろうと想像しました。

父はおそらく、自分が母に行なっていたことは棚に上げて、ボソリと

「悪いことは言わない。そんな男はやめておけ。もっと他にいい男はいくらでもいるだろう?みすみす不幸になるような相手を選ぶな。ちゃんと大切にしてくれる男を選んで、普通の家庭を築いて、お前は、しあわせになれ」

本当にそんな声が聞こえてきそうで、涙がボロボロ溢れてきました。

そういえば、あれでもお父さんは、わたしのしあわせを願っていたな・・

父親らしいことは何もしてもらっていないし、父自身も、父親らしいことは何も出来なかったと負い目を感じている節がありました。

わたしはずっとずっと意地を張って、父の愛を受け入れようとはしていませんでした。

父が末期のガンであることを知った時も、わたしはお見舞いには行きませんでした。

ずっと受け取れなかった父の愛に気づいて涙を流すうちに、硬い意固地という塊が流れていくようでした。

彼の母親に対する憎悪が、わたしの中にある父親に対する憎悪を砕いたのです。

自己愛は本人が自分でそのことに気づくまで、パターンを繰り返し続けます。復讐心や怒り、嫉妬心、疑いが強いのが特徴です。ですから、波動もなかなか上がっていきません。

そこに縛られてしまうからです。

彼は自分が傷つかないと思っている距離で、ターゲットに駆け引き(ハラスメント)を続けながら、口先だけ大切な人と言い続け、謝ることもなければ、成長することもなく、自己愛性のカプセルの中で、相手に母親像を投影し、己で自分自身を洗脳して、愛憎のドラマを生きていくのでしょう。

かつてわたしは、彼の母がわたしたちの関係を阻んでいるように感じていました。

しかし、そうではありませんでした。

あの人は檻の扉が開いていてもそこから出ようとはしなかったでしょう。

あの人にとってのしあわせは母親が望む子供でいること。

窮屈な服を着て、窮屈な靴を履いて、ずっと母親のそばから離れない子供でいることです。


今となれば、わたしに直接近づくことを阻んだ対人恐怖症さえも、愛であったのかなと思えます。

わたしに近づくことが出来なかったため、直接会話はほとんどなく、互いに罵り合ったりするようなことはありませんでしたし、離れる時の離れ難さを感じることも少なくて済みます。

どうして?なぜ?を自問自答するうちに、あの当時のわたしには、それでも彼の存在が必要だったのだなと感じました。


傷ついたり、悲しい思いを沢山したけど、あの人は、わたしに何も与えないことで、逆説的に、わたしが欲しいもの、必要なものを教えてくれました。

ちなみに自己愛性パーソナリティ障害は、全体の約8%〜9%くらいと言われています。1割弱です。

傾向としては、経営者、政治家、有名人、医者、弁護士など権威ある職業、役職についている、もしくは容姿が良いなど、
条件や外見的には魅力的な人が多いため、精神的に病んでいると思えない人がほとんどでしょう。

取り巻きがいて、ちやほやされている人も多いかもしれません。

自己愛タイプは、自覚なく条件反射で嘘をついたり、妄想的で支配的です。
現実的には辻褄の合わないことを言います。(少し演技がかってる)

暴力を振るう、暴言をはく、威圧的な態度を取るというのが一般的ですが、
他の人を操作していじめを行なったり、陰口を言って評判を落とすということを行う人もいます。

俺様体質、自分がちやほやされていないと機嫌が悪くなる人、常にマウントを取ろうとする人、やたら他人の真似をする人などもいます(自分が持っていないものを持っている人が妬ましい。)

被害妄想が強く、うつ病になりやすかったり、パニックになりやすい傾向もあります。

ですから、本人が自分が自己愛であることを気づくきっかけがあるとしたら、鬱などの別の精神疾患を患った時でしょう。

基本的には治療薬というものはありませんが、状態によっては精神薬を服用しつつ、認知の歪みを直していきます。

しかし、これはあくまでも本人が自己愛であることを自覚し、なおしていこうと決心した時です。自然になおっていくということはありません。

脅迫的な恐れが根底にあるからです。

通常であれば、話し合いをすればなんとかなるのですが、自己愛の人は話し合いにはなりません。自分の都合が悪くなるとキレ始めたり、被害者意識を持ち出してこちら側を悪者にしようとするために、折り合いをつけるのが難しくなります。

自己愛の人にやられたことが理不尽すぎて、謝らせたいとか、変えたいと思うとトラップにはまるので注意してください。

共感性の欠如があるので、相手の気持ちになって考えるということも難しいという特徴があります。


なぜ、自己愛について書こうと思ったかというと、

セッションをしていると、パートナーが自己愛傾向があるのではないかと感じることがあり、ツインレイがらみでも偽ツインが自己愛だったというパターンがあるのではないかと感じたからです。

自己愛の人は「自分は特別だ」と感じることが好きなので、自分は特別な出会いをしているというシチュエーションが好きです。しかし、相手を大事にはしません。あくまでも自分がロマンティックなシチュエーションに酔うための道具でしかありません。女性は「君は運命の人」と言われるとのぼせてしまって、離れる決心がつきにくくなります。

こうした精神疾患は本人も辛いのですが、ターゲットにされている人はかなりの苦痛を味わいます。

エネルギーレベルも低下しやすいのでさらに自分が悪いのではないかと責めやすいのです。でも、そこで自分を責めるのではなく、自分を責めやすいから出会ったのだということに気づいてください。

自己愛性パーソナリティ障害というのは、いわゆる、アイデンティティの形成に失敗した人です。

これがとても意味の深いことだとも感じられます。


自分が何者であるか?

自己存在。

これは、自分自身のエゴを超越し、高めていくためのテーマでもあります。

(エゴが完全になくなることはりませんが)

その傷に関与するということ。

わたし自身が、自分自身の価値に気づいていなかったからこそ、出会ったのだということ。

ですから、自分自身を大切にして、過去の傷を癒すということを行なっていくと自然に離れることを選択するようになります。


誰が正しいとか間違っているとかではなく、

自分自身がどうありたいか。

何を求めているのか。

そして、わたしは愛されるにふさわしい存在なのだ。

ということを教えてくれるために出会ったのだろうなと・・

偽ツインレイに出会い、傷つけられてしまった心の傷が癒えないという人は

傷つけた側にもやむを得ない理由(自分でも如何しようも無い)があるのだとして、手放し心の傷を癒して飛び立ちましょう。

あなたを待っている人がいます。

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Suiren.Echo


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