きょうだい児を考える

きょうだい児という言葉をご存知でしょうか。

きょうだい児とは、病気や障害をもつ当事者のきょうだいのこと。

ぼくは解離性障害と発達障害の当事者です。
ぼくには2歳下の妹と年の離れた弟がいます。

きょうだい児としてのぼく

診断がある訳ではありませんが、ぼくの妹はかなり不注意優勢のADHDの傾向が強いです。
また、なんらかのパーソナリティー障害の傾向も見られます。

子供の頃の妹の言動で1番困ったことといえば、盗みです。
何か必要だとだまって家族のものを盗る。学校で忘れ物をして自分に都合が悪いと人のものを盗って誤魔化す。
妹はすぐバレる嘘だとわかっていながら嘘を重ねて自分を弁護しようとするようなところのある子供でした。
ぼくはあまりものやお金に執着がなかったので自分のものを取られても怒ることはなかったけれど、学校など外で妹がやってしまったことを家族全員で頭を下げに行くのはバツが悪かったなぁと記憶しています。

そして妹が悪いことをすると妹と同じくらいかそれ以上に、「お姉さんなのに何で(面倒を)見てやらないんだ!」と父親から叱り飛ばされて、なぜだかぼくはその度にぼくが悪いんだと信じ込んでひたすら罪悪感でいっぱいでした。
母親が「妹は障害があるんだと思う。」とぼそぼそこぼしているのを知っていたので、妹を諭して教え導いてあげられない自分が悪いんだとことあるごとに思っていました。

その当時は、障害という言葉を無意識のうちに免罪符のように感じていました。障害だからできなくても仕方ないんだ。責めたらかわいそうだ。
せめて悪いことしたら妹が相手に謝れるように教えてあげなきゃいけない。
そんなふうに思って父親から妹を庇うことに必死でした。

もちろん妹のこれらの言動は許されることではないけれど、今でも家庭環境を鑑みると仕方なかったのかなと思います(だからといって反省せず済むとは思っていませんが)。妹の名誉のために書くと、これらの言動は小学生のころで収まっていて、現在まで続くものではありません。

今にして思えば、ぼくは母親が妹についてぼそっと漏らした「障害があるんだから」という評価に巻き込まれていました。
本当なら妹の心配は両親が主立ってすべきもので、ぼくが幼心に抱え込むべきものではなかったはずです。
当時は妹の尻拭いをしている感覚はなかったけれど、田舎の学校という狭い社会の中で妹の悪事を噂されながら生活していくプレッシャーは実はかなり堪えていたような気がします。
でもそんな気持ちを「障害があるから」という言葉は全部ひっくるめて押さえ込んでしまう。
「普通じゃないんだ」という意識は考えることを放棄させてしまうのですね。
だから、ぼくは妹が本当はどんな人間なのかよく知りません。
これから新しく妹と知り合ってみたい気がします。できるかわからないけれど、自分が当事者と言われる立場になって、障害というラベルで考えることを放棄されるのって寂しいんだなと知りました。
妹のことを知るにつれてもしかしたらいい子だなと思うのかもしれないし、こんな最低なやつだったのかと思うかもしれないけれど、知ることを放棄したくないなと思います。

当事者としてのぼくからみたきょうだい児

ぼくが本格的におかしくなったのは大学生になって家を出てからだったけど、高校3年生のころから学校に行かなくなったから、弟妹はそんな「普通じゃない」お姉ちゃんを見てきたんですね。
(本当は小学生のころから症状があったけど、うちの家庭は特殊らしくてあまり家の中で家族に出会わないので、時たま顔を合わせても「普通の」お姉ちゃんだったと思います。渦中を抜けたら一気に症状が酷くなったというエピソードはまた別のnoteで。)

高校三年生の当時は「今家を出なかったら死ぬ」と思っていたから必死に大学進学しようとしていたし、その反面身体が解離してまるで動けず(解離性昏迷のような状態が続いていました。これについては以下のnoteを参照ください。https://note.com/suimituto_00/n/n37037ab69e97)、そのことや一日中家にいることで父親からの虐待がエスカレートしていたので、かなり混乱した時期を過ごしていました。
なるべく弟妹に虐待されている姿は見せまいとしてきたつもりですが、それでもどこかしらで弟妹はぼくが虐待されている様子を知っていたようです。
繰り返される虐待にだんだんおかしくなっていくぼくを弟妹はどう受け止めていたのでしょうか。あまり詳しいことは知らないのですが、どうやら妹はぼくの障害について母親から話を聞いているようです。
子供時代は妹よりなんでもよく出来て優しくて優等生だったお姉ちゃんが(自分で言うなですね。)今こんな状態になって、弟妹はどう思っているんだろう、と思います。

ぼくは弟妹が好きです。あまり弟妹としゃべったことはないのですが(どのくらいしゃべったことがないかというと、40人のクラスで1年間で1番しゃべったことのない人と同じくらい)、機能不全家族で共に生き抜いた同士という感じがします。
自分のこと(記事の前半)を棚に上げてこんなことを言うもんじゃないのですが、ぼくが1番寂しいのは「障害」という言葉を聞いてお姉ちゃんについて考えることを放棄されてしまうことです。
弟妹と一緒に過ごしていた頃のお姉ちゃんじゃなくなったら、ぼくは彼らにとってお姉ちゃんじゃなくなってしまうんだろうかと思うと、寂しい気がします。
今は事情があって弟妹と連絡が取れないのですが、いつか落ち着いたら話してみたいです。
それから、ぼくが弟妹について1番心配しているのは、ぼくが障害を持つことになったのは自分が虐待を止められなかったからだと自分を責めたり、そうでなくても何かしらの後ろめたさを感じたりしてしまうことです。
いじめでいう傍観者は主犯と一緒だという話は(主犯と当事者、傍観者には親と子という圧倒的な力の差があるから)ここには当てはまらないのに、自分のことを共犯だと思ってしまう後ろめたさを弟妹が持っているんだとしたら早く解放されてほしいと願います。

ぼくと弟妹のこれから

今は事情もあり弟妹と距離が離れている訳ですが、これから関わるようになった時、ぼくはどんなふうに振る舞えばいいんだろうかと思います。
障害を受容してもらえるんだろうか、とかヘーキな顔が出来なくなってしまったお姉ちゃんともしゃべってくれるんだろうか、とか不安は尽きません。
ぼくがこうやって悩むのと同じように弟妹だって悩んでいるのかもしれません。
妹は(医療ネグレクトのために診断を受けられなかったから)大人になってこれから診断がつくのかもしれません。当事者という立場をどうぼくにカミングアウトするのか、それともしないのか、悩むのかもしれません。
弟はまだ小学生ですが、これから大きくなるにつれて障害のあるお姉ちゃんという存在をコンプレックスに思うことだってあるかもしれません。
お互いにギクシャクした時間を過ごす時期もあるんだろうと思いますが、いつか率直にそんな不安や悩みを抱えていたんだと言えるような関係になれたらうれしいなと思います。

今日はここまでにします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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