ぼくがぼくのことをぼくと呼ぶ理由

体は女性、性自認はわからない。
そんなぼくがなぜぼくという一人称を使うのかというお話です。

初めに言うと、積極的な理由はありません。
消極的な理由によって、ぼくの一人称はぼくです。

ぼくは三人姉弟の長女で、2歳年下の妹と9歳年下の弟がいます。
父親はずっと男の子が欲しかったようで、弟が生まれるまでぼくは男の子のように接されてきました。
毎日男の子のような服装をさせられる中で、「これは男の子の方が良かったんだな」と悟った小学生のぼくは髪を短く整え、自分のことをぼくと呼ぶようになりました。それがぼくが家庭の中で「うまくやっていく」ための方法でした。

振り返ると、ぼくの性自認が曖昧なのは先天的な理由もあれば今述べたような後天的な理由もあってのことなのかなと思います。
先天的な理由の中には、自閉スペクトラム症の人で身体的性別に違和感を覚える人が多いという話も含みます(ぼくは広汎性発達障害で、自閉症スペクトラムの要素が強いです)。
感覚鈍麻や自他の境界の感覚が弱いといった自閉スペクトラム症の特性から、身体性が薄いことで性自認がはっきりしないというのは有り得る話だという気がします。

それはさておき、「ぼくっ子」というジャンルがありますね。
どうやら世間では女の子がぼくという一人称を使い続けることは「イタイ」と捉えられることも多いようです。
そうか、イタイのか。それは困ったな。
それに、「ぼくっ子」というジャンルに括られた瞬間、ぼくはコンテンツとして消費されるのではないかという不安があります(ここでいうコンテンツは、それから娯楽的な価値を受け手に提供し得るものという意味)。
それは、なんだか嫌だ。
ぼくは「ぼくっ子」というジャンルには全然明るくないので不用意にこんなこと言うもんじゃないのかもしれないけれど、知らないからこそ漠然とこんなふうに思ってしまうのかもしれません。
そんなふうに「ぼくっ子」というものに対して何となくコンプレックスを持って一人称を私に直そうとした時期もありました。

でも、幸いにも今まで直接的にぼくという一人称を使うことについて非難されたり消費されたりという体感を持ったことはありません。
以上のような感じで、ふわふわと悩みながらも一人称を変えるほどの強い動機づけもなく、今となってはぼくという一人称に慣れすぎてしまい、性自認がわからないことも手伝って結局ぼくという一人称を使い続けています。
いつかなにかのきっかけで一人称を改めることがあるかもしれないけれど、それまできっとぼくはぼくなんだと思います。

曖昧でぼんやりとした話になってしまったけれど、以上がぼくの一人称がぼくの理由です。
今日のお話はここまでにします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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