学生生活を終えて ②大学入学〜6月ライブと面白い人達

大学には京都で過ごすという浅い理由だけで来たもんだからやりたい事も特になく。歴史には歩けば触れられるし、授業でもやる。それ以外に何か…と思った時に中学生の頃から大好きだったバンドがやってみたいと思った。中学生の時KANA-BOON、ワンオク、バンプに後輩の勧めでハマり、高校に入る前はドロスにハマった。(ギターを買って何もできずに挫折したのはこのころ)んで、安易に「同志社 軽音 初心者」とTwitterやGoogleにかけてみるといくつかのサークルが出てきた。迷ってても仕方ないので一番上に出てきたとこのブースに行ってみようと適当に選んだのがThe Ampluggedだった。ここまで来ると本当に神の悪戯的なものを考えたくもなる、マジで適当だった。マジで。翌日早速冊子を頼りにブースへ、その時は西門の近く彰栄館の前にあったと思う、とりあえずブースに座って説明を受けながら好きなバンドを聞かれたので「カナブンとドロスです」と答えたらブースの奥に座ってた全身黒ずくめのクヤスさんが凄い勢いで走り込んできて「是非ウチのサークルへ」と言われた。その横では織田さんがF-ZEROのテーマソングをコピーするようなサークルだと言いながら僕のオレンジジュースを勝手に飲んでいた。よく分からないけど面白そうな人が多いなぁと思ったので新歓花見イベントの説明を受けて他のブースには行かずにここに入ろうと即決してその日は帰った。織田さんにも言われたけどこんな経緯でよく入ったなと思う。その時点で肌には合ってたのかも知れん。後日花見の日、良心館の前に集合とあったので行ってみると5,6人の新入生であろう人が居た。その中に大学生活の中で一番交流があると言い切れる小野寺が居た。趣味はルービックキューブと言ってたのが今でも記憶に新しい。確かその時に先輩に「ケンケン」と言われていたのが僕が今でもそう呼ぶ始まりだったと思う、みんな呼ばなくなってったけど。けど、その時はあまり喋らなかったのかな?どんな話をしたとかの記憶はあまりなくて花見はとにかく先輩と喋ってた。よしこさんの金髪を見て怯えたり、中江さん、ひとはさんを始め同郷の先輩が居て安心したり。特に思い出深いのは横に居たわせとさんから楽器で迷っているのならドラムをやってみたらと勧められた事。そして学部の先輩でもあった萌乃と会った事。この二人と喋ることができたのも人生の大きな分岐点だったと思う。僕の人生の核に直結する出会いだった(みんな本当にそうだけど)。BBQで覚えているのはスピーカーで流れてたkilling meがきっかけで大介さんと少し話した事。本当に少しだったけど、少しなのが今思えば大介さんらしい。新歓ライブは学部のイベントと被って行けてない、唯一後悔している点。何やってんだ自分、学部のイベントよりライブだろ。が、のちに聞くところによると新入生がなにやらコマのように回転してたらしい。そのコマが後の欠かせない友人とも知らずに…全ての新歓イベントを終えてやっと入会かと思ってたらなんと抽選、しかも対象はドラムだったと聞いて冷や汗が出た。この抽選に通ったのは本当に運命だと思う。落ちてたらマジでどうなってたんだろう、考えたくもない…まあ通ったんで良かった、当時のアンプラには総会飲みがあって総会が終わった後に四条に行き飲み会があった。僕は体質的にお酒がダメだったし法的にもダメなのでジュースを飲んでたらベロベロに酔った先輩たちが次々と隣の席に来てくれた。めちゃくちゃ記憶に残ってるのはクヤスさん。今思えば珍しい事この上無いけど酒を飲んでいて、おひつにはいったご飯をそのままかきこんだり店を出て織田さんと肩を組んで二人とも足元がフラフラで鴨川に突き落としあっていた。全く変わらない。懐かしの文化、一本締めで飲み会が終わる…と思ったらニット帽を被った少しヤンチャそうなお兄さんに「君、カラオケ好きか?」と声をかけられた。それがたいちさん、カラオケは好きだったから嬉しくてひょいひょい着いて行ったらそこに居たのがばっさーさん、ユッコさん(覚えている限り)という歌が上手い人の巣窟で軽音サークルってこんな人らばっかなのか…とビビったのを覚えている。でも楽しくてそのまま朝までカラオケにいた、そういうのもこの日が初めてだった。そのままバスに乗って一旦家に戻り楽器講習会へ…寝ずに行ったのは偉いと思う、2年目だったら絶対行ってない。
四条大宮の嵐電の駅前集合だったけど当時はバスの路線なんて何も知らなかったから千本三条で間違えて降りてしまいそこからダッシュした。徹夜で。5分遅刻くらいで済んだけど確かその時ドラム担当だったわせとさんはめちゃくちゃ遅刻してた。ので、りなさんに譜面の読み方やスティックの持ち方、セッティングなどを教えてもらった。だいきが一緒のスタジオだったのを覚えている。かいてぃーんは別のスタジオだったかな?いずれにせよ初めて触ったドラムは本当にめちゃくちゃ難しい。自分の体がこんなにも思ったように動かないもんか、4つも8つも手が動かない、足が動かない。でも、何故か本当に楽しかった。音が出ればなんでも良かったのかもしれない、どうだった?って聞かれてめちゃくちゃ楽しいです!って言ったのを覚えている。その後わせとさんに4時間も個人練を一緒にやってもらった、本当に基礎的なことしかやらないのに大阪からわざわざ…それがあって後輩には頼まれたら必ず一緒にスタジオに入るようにした。YUIのagainをくじばんで披露する予定だったので譜面を簡略化してもらいながらとにかく個人練に入りまくった。その時は楽しいよりも追われてた気がする。初心者の自分が、しかもドラムがバンドの足を引っ張る訳にゃいかんとそればかりだったなぁ…初心者あるあるだと思う。くじばんでは中江さんにもお世話になった。
6月ライブまでにも出会いは色々あった。当時はアンプランチがあったので今出川のいろんな先輩や同期とはほとんどそこで仲良くしせてもらった。ケンケンや織田さんクヤスさんはもちろん萌乃も、その他の方々もほとんどそこで仲を深めた気がする。(今は無いのが本当に惜しい)アンプランチはたまに食堂前や芝生ではなく会議室を借りてやる時があった。そこで出会った記憶が強烈に残ってるのが、まずはぴかぎん。コマのように回ってた奴だ。初めて会った時から緑色のキャップ、モンスターエナジー、丸メガネ、ワシという一人称。本能がコイツは危険だと警告する。しかし、先輩たちとは結構普通に喋ってるし、ドラムの腕が立つとはその時から言われてたので色んな意味で距離を保ちながら一目置いていた。まさかこれほど仲良くなるとは本当に思ってなかった。それと、アンプランチで印象深いのはあきなちゃんとグッチぃ。あきなちゃんとはアンプランチで顔を合わせた事はあるけど8月手前くらいまでほとんど交流がなかったと思う。お互い距離を測ってたのかもしれない。なんとなく文哲組と仲が良かったので彼らを挟んで交流してたくらいか…グッチいはめちゃくちゃ年上だし、なにか過激な事を言ってたのでシンプルに怖かった。上の3人は今は気兼ねなく交流できると思ってるけども出会った当初は恐る恐る…だったので印象深い。今でこそアホらしいけど。とにかく6月までの間に今出川の人たちとはある程度交流できたと思う。アンプランチマジで復活しないかな。
6月ライブはめちゃくちゃ緊張した。今でも覚えているくじばんの順番は2番目、その前にやってたのがくじばんのくせに「東京事変」ぴかぎん、ちえりちゃんを中心に何故か経験者多数で組まれたインチキバンド(偏見)である。流石に上手い、ビビる、焦る。控室でぴかぎんにお疲れ様〜と言った。うぃ〜すといいながら彼は自前のペダルを手に持って出てきた(当然)が、それを自前と知らないし246に常設のペダルがあるとも知らない僕はぴかぎんがペダル泥棒だと思った。行ったらあったので安心したのは笑える思い出。なんやかんやでやったagainはまあ酷いもんだったけど、ステージに立つのが楽しいと思えたのは大きかった。それと、その後に先輩たちがめちゃくちゃ褒めてくれたのも。それがなかったら僕は今までドラムを続けられてなかったかもしれない。褒められる事がとんでもないモチベになるのは周知の事実だと思うけれどその力は凄まじかった。褒められるためにやる訳ではないけど事実支えられた。特に覚えているのは織田さんとたいちさんがそう言ってくれた事。今に繋がっている。自分も後輩には必ず声をかけようと思ったのもこの時があったからかもしれない。もちろんそれがお世辞じゃないと思ってもらえるための下地、関係作りもなるべく頑張ろうと思えた。実りある6月ライブだったと思う。その後のライブは自分がやりたいものを先輩たちに無茶言ってやり続けた。褒められながら、やりたい曲をやりながら充実した楽器生活を送ったと思う。まだまだ下手くそなのに良く組んでくれたなと思うし、「この曲がやりたいだと?身の程を知れ!」と言わないのもある意味懐の深い先輩たちだったなと思う。実際叩けてなかったのに。そういえば6月ライブのあと少しして萌乃とお付き合いを始めた。翌日には自分から仲良い人に家で伝えたのが懐かしい、あの時のみんなの反応は今でも思い出し笑いする。なんやかんやで結婚まで行ったのは周りの理解もあってだと思う。

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