学生生活を終えて ④年の瀬〜2月ライブ 二郎と龍門

評判が良い。

適当に大学4年間の備忘録として書いてるだけなのに特によく関わってくれた方々から感想をもらえたり、褒めてもらえたりしてありがたい限りです。そう言ってもらえると書く甲斐がある…けど人目を気にしすぎるとそれはそれで意味が違ったものになりそうなのであくまで適当にね…
ここからは別日に書いた物です。先日同様、子供と奥さんが寝静まった夜に、すかせた小腹を埋めるように指を動かしてます。目の前には湯を入れたカップ焼きそばがあるけど。

ここからは年末年始の話、大学から一人暮らしを始めた僕にとって年末年始とは、家族で過ごして、ガキ使を見て、行く年来る年に切り替えて蕎麦を啜り、CDTVから爆笑ヒットパレードから親族の集まりでお年玉を回収して寿司を食べるというイベントだった。(ロクな大人にならん)つまり血を分けた人間以外と過ごしたことがなかった。とはいえせっかくの下宿生活、わざわざ実家へ帰省するくらいなら金もかかるし同じ状況の友人を呼んじゃえと思い、今出川下宿で帰省する予定のない人を中心に鍋を囲って年末のテレビを見たり、ゲームをしたりした。やってる事はいつもと変わらないのに年末年始ってだけで特別感が出るからありがたい。面白かったのが年末特番何を見るか問題。1年目は8人くらい集まってくれたと思うけど紅白かガキ使かでまず揉めた。結局交互に見る事になったけどケンケンがガキ使で全然笑ってなかったのを思い出す。出演者より笑ってなかった。紅白が嫌いな人は居なかったので狙ったアーティストの時に観るとかで折り合いをつけた気がする。X JAPANの時にSUGIZOが一瞬映った時は沸いた。SUGIZO TUBE観てたなぁ…天下一品本店はコロッケ定食が美味い。そしていよいよ年越しの瞬間、ここでも何を見るか揉めに揉めた。ゆく年くる年派、ジャニーズライブ派、謎の地元チャンネルを推す派。結局年越しの瞬間までチャンネルを取り合う騒々しい年越しだった。後にも先にもあんな事はあの日だけだなぁ…
歳を越した後、千本中立売からは北野天満宮が近いのでそこに初詣へ行くのが恒例だった。けれど0時を回った瞬間の北野なんてとても人が多すぎて行けたもんじゃない。いつも4,5時を狙って初日の出とセットで詣でた。出店こそ少なくなるけど甘酒とかくじ引きとかたこ焼き、みたらし団子とかがあって十分楽しめる。2年目の時は射的でケンケンがココアシガレットを落としたり、ぴかぎんが当たり枠のすみっコぐらし人形を狙ってクジを引き、見事当たり番号をブチ抜くも店主から謎キャラの被り物を渡されて悲しい顔をしたりしていた。上げて落とされる一年が確定したね。
1,2年目はそんな風に下宿生で寄って年の瀬を過ごした。またそういうことができる世の中になるよう北野へ詣でに行ってみようかな。

写真を見返してたら1,2年目ともに正月明けてすぐ地球規模で考えろソラへ行っている。大学で教えられたことの一つに二郎系ラーメンがある。簡単に言えばデカくてつらいラーメン。長蛇の列に並んで期待を高めて威勢の良いマシマシ注文から一口啜ればそこが頂点。後はどんどん落ちるだけのジェットコースター。決まって二度と食わねぇと言いつつも何故かまた食べたくなる。千本中立売にはYumewokatare kyotoがあったので一人でもよく行った、明らかに来たばかりの時より出ていく間際の方がおいしかった。良ければぜひ。その店舗に1回生なりたてくらいの時に織田さんとぴかぎんに連れて行かれたのが全ての始まりだった。僕は脂っこい物がダメな体質だったので絶対食べられないだろうと思って断ってた気がする。もちろん話を聞かないのがこの2人、脂抜けるから!と連れてこられた。んで、脂抜きで…と恐る恐る注文したら中空店長から「あ、脂抜きですか…?」と言われた。今思えば邪道も邪道、なら来るなと言われた気さえした。実際無理と言われる店もあるらしい。(ケンケンは別店舗で野菜抜き出来ないんですよ〜と言われたらしく「抜けないわけないだろ!」とキレてた)しかし、中空店長は優しいのでその時は油が全く入ってない醤油バキバキラーメンが出てきた。それでも麺300gは食べ慣れてないと完食は難しいので横にいた織田さんに100gほど押しつけた。
そんな経験があるのに、誘われたらひょいひょい着いて行っては後悔する日々を過ごしていたらなんなく食べられるようになり一人で行くようにもなっていた。楽器も二郎も慣れだね。
話を戻して地球規模について。地球規模で考えろは伏見本店もソラも美味い。この店の汁なしなら400gを食べた後でも牛丼が食える。(個人差アリ)西院にあるソラにはよく行った。その時のメンツは決まって大介さん、織田さん、ぴかぎん、本庄のうちの誰か。別にそう決めてた訳じゃないんだけど(まあ二郎食うのはこの人達くらいだからか)、ソラで麺を啜る時は決まって誰かが悩みを抱えていた。というより聞いて欲しい悩みがある人がソラへ行くことを提案していた。ソラの前には大きめの公園があり、そこでコーヒーを啜り、時には31アイスを食べながら下らない話や下らなくない真剣な話を随分した。高校生に戻ったかのような友情というか、青春を感じるのはあの公園でいつにない話をした時だった。何かあればまずは腹一杯食え、話はそれからだというのは短絡的だけどそれが良い。何かあればまたソラに行こう、僕は本店が近い宇治でずっと待っている。

ご飯の話をもう少しだけ、アンプラとは切っても切れない四川中華料理屋、東山三条は「龍門」がある。そもそも龍門の発端は僕達よりもずっと前の7か8?期生の方達が見つけたと聞いた。それが今までサークルの行きつけとして残ってるんだから面白い。そういうサブ文化的な物が縦に残っているのもこのサークルの好きな所、後輩達は良ければ伝えてやってください。龍門についてざっくり記すなら本店なのに「本店の味!」と推してくる景観に配慮してない電光掲示板、数年前からずっと新メニューのネギ油そば、常に喧嘩してる中国人店員、お冷やより先に出てくるチャーハンなどと枚挙にいとまがない。けれどその味は改めて説明する必要がない程美味しい。そして中華料理屋にしてはお手頃。サカナクションや04 Limited Sazabysが打ち上げに訪れるほどのスペックがある。信じられない量の花椒が入ったナスのピリ辛炒めや醤油炒め、赤と黄色の対比が素晴らしい麻婆天津飯、中華丼に海鮮焼きそばも美味しい。
十人十色の推しメニューも存在するほどお世話になってる龍門だけど、その情熱が人一倍あった先輩が居た。それが僕が1回生の時の4回生だったレンさん。前の記事で他の4回の先輩達と並べて言及しなかったのは龍門とセットでなければ載せるのは失礼だと判断したから。それほどこの中華料理屋に並々ならぬ熱を持っていた先輩だった。(もちろんギターもめちゃくちゃにうまい、ほんとに初心者からやったんですか?)レンさんと初めて会ったのは大阪での楽器屋巡り、みんなが楽器を買い終えてサイゼリヤに入ろうとなった時に就活スーツ姿で突如現れた。その後たまたま向かいの席になった僕とレンさんは何を話したかイマイチ覚えてないけど話しやすくて面白い人だなぁと思った。4回生の先輩達を少し遠い存在(悪い意味ではない)と表記したけれど、レンさんはそうじゃなかった。(悪い意味ではない)アンプランチにはその辺の13期生より居た気がするし、ウチに最初に遊びに来てくれた時のメンツにも居た気がする。お元気してますでしょうか、龍門は優秀な後輩達が今も通ってくれています。
食事というのは記憶と強烈に結びつくと思っている。どんなご飯一つとっても風景や人が必ず付いてくる。いろんなご飯をいろんな人に教えてもらって、いろんな人と食べた。自分たちで作った物も、一人だと絶対食べなかったようなものも。一緒に食事をする機会はかなり減るだろうけれど、またアンプラの人達と一緒にご飯を食べたい…

2月の思い出は割とある。誕生日は本当に多くの人に祝ってもらえてつくづく幸せ者だと毎年思っていた。0時になった瞬間、北出からラインが来たのを覚えている。萌乃よりも早かった。プレゼントを送ってくれた人もありがたい事にたくさん居た。特に印象に残っているのはクヤスさんからの「炎上弁護士(唐澤貴洋著)」北出からの「マスキングモデルスティック」ちかちゃんからの「ギャルと恐竜」そして織田さんひとはさんからの「ファしか鳴らないひょうたん笛」最後以外は書いてないものも全部大事に取ってある。貰ったものは一部除いて捨てられない性格。物じゃなくて気持ちというのは本当にその通りで、誕生日を楽しみな日にしてもらい、ありがとうございました!

2月ライブの話。2月ライブは3年目以外は開催された。自分の中で2月ライブというのは振り返ってみると毎年大きく伸びたライブだったなと思う。1年目はBLUE ENCOUNT(ブルエン無礼講というバンド名、元ネタはsugizo tube)あゆたろさん、クヤスさん、弦太さんと組ませて頂いた。初めて「上手く叩けた」と感じた演奏だった、大きな譜面ミスなく、簡略化はしたものの一年も経ってない割には中々頑張ったと思う。実際自分で見返して恥ずかしくないのはコレより後になる(一部除く)。当時ニコニコで流行っていた鉄血のオルフェンズネタで観客が踊っていたのが記憶に新しい、またやりたいなSurvivor。
2年目は凄かった。[Alekubondros]に知覚と快楽の螺旋、ロキと盛り沢山。全部苦労した覚えがある。ロキはボカロならではの正確さと鬱陶しさに苦戦したし、知覚と快楽の螺旋はジャズのドラムに目が回った。なんならめちゃくちゃ簡略化してるけどとても出来が良く感じるのは完全に周りの劇強メンツのおかげだと思う。フロントが頼もしすぎた、後にも先にもあれ程引っ張られたバンドはない。北出、さとみさん、ケンケン、クヤスさんありがとうございました。そして、[Alekubondros]加入、それまではいろんなドラマーが担当していた(わせとさん、さりさんだったかな?)所にいよいよドロスをやるぞと息巻いて挑戦した。コレをやるために頑張ったと言い切れる目標バンド、気合も入りまくってめちゃくちゃ練習したおかげもあってかMVP1位を取った時にごとりょさんにクヤスさんと抱きついた記憶がある。そうさんとながつーのメロディー部隊も頼もしかった。ドロスはつくづく思い入れのあるバンドだなぁと思う。離れる時もたまにあるけどふとした時に背中を押してくれるバンド、コピーした時の経験も重なって心に染みる。この時から自分の卒ライでこの人達を呼び戻してもう一回やろうと決めていた。(そうさんは叶わなかったが…)
3年目飛んで4年目。らっせー、ほってぃー、萌乃とTHE ORAL CIGARETTESをやった。相変わらずドラムが難しかったけど、この時までにオーラルはいくつかこのメンツでやっていたのでやり易かった。このライブで萌乃が最後だったので派手に送り出そうという気持ちでドラムを叩いた。上手く行ったかは分からないけれど楽しかったし、なにより最後というのが悲しくもあったなぁ。それとらっせーのベースタッピングが上手かった。オーラルも思い出深いバンドになった。
2月は28日までしかないけれど4年に一度のうるう年、29日があったのが2年目だった。その日にクヤスさんの友人が主催する外ライブにofficial髭男dismのコピーで出た。コロナが始まって本当に最初でギリギリだったけど強行開催していた。2月ライブが終わってすぐ、5曲のコピーを弦太さん、クヤスさん、北出、ばっさーさんと忙しなく行い、なんとか人前に出せるレベルにした。(同時にレンさん、ぴかぎん、あきなちゃんも時雨で出演していたなぁ…)初めての外ライブはとてもいい刺激になった。上手い人がゴロゴロいたし、アウェーならではの緊張感、そして地下のライブハウスでやってるのが個人的にワクワクした。PAにバスを褒められたのが嬉しかった。自信にもなったし、同時にまだまだ改善点が見つかったライブでもあった。誘ってくれてありがとうございました。北出と弦太さんのコーラスが今でも忘れられない。

今回で2018卒ライまで行く予定だったけどご飯(の話)が進んじゃって押してしまった。2018卒ライはゆっくり書きたいのでまた今度にします。大きな影響を受けたライブでした…
卒ライってやっぱいいよね、ライブは感情だな!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?