学生生活を終えて ③8月ライブ〜年末 コロナ前のイベントが懐かしい

8月ライブでは4回の先輩方が就活を終えて帰ってきた。特に思い出深いのは駿さんのオレンジレンジとマイヘアの差。面白くてすごい人だと思った。今でもゲームやら何やらで交流があるのはありがたい事この上無い。それとあっちゃんさんは凄かった。僕のドラムの目標として存在する先輩達のうちの一人で、初心者から4年間でここまで…というのはすごく衝撃的だった。ここまでやれるようになるなら頑張ってみようかなと直に思えたのはあっちゃんさんという身近な目標があったからだった。その他にもお世話になった4回の先輩達ばかりだった。みゆきさんはまだ大学に入ったばかりの頃にカラオケに行ったしドラムもめちゃくちゃに上手だった。まおこさんは卒業した後にユニゾン好きという共通点からめちゃくちゃ良くしてもらった。「卒業するまでにユニゾンやってね!」とずっと言い続けてくれたのもめちゃくちゃモチベになったし期待してもらってるのが分かって嬉しかった。(やりましたよ!)なにより弦太さん。この人より面白い人に僕はまだ出会えていない。何なんだろう、本当に。ズルい。ギターもめちゃくちゃ上手い。他の先輩達ともいくつかエピソードはあるけど一旦こんなもんにしておく。とにかく4回の先輩達はなんだか遠い存在だった。楽器の腕はもちろん、なにか2,3回の先輩たちとも関わり方とか立ち振る舞い方がやはり違った感じがした。僕の3つ下からは僕が見てきた4回の先輩達のように見えてるのかな?まあ、見え方は何でもいいか。

合宿の話をする前にジョイコンの話、1回生の頃は特にジョイコンが多かった気がする。他サークルの人の演奏が見られるのはとても刺激になったしコロナが収まったらどこかのタイミングで復活してほしいと思ってる。外でやるバンドは良い。緊張もするけどアウェー感がいいカンフルになると思う。
合宿は全部書き出すと本当に長いと思う。個人練し放題、遊び放題でめちゃくちゃ楽しかったに尽きる。1年目、記憶に新しい。集合時間に起床するという大やらかし。鳴り響く電話、迎えにきた機材車、何も入ってないスーツケース。一曲書けそうだ。起きた瞬間、こういう時の人間は案外冷静なものでまずは落ち着いて長野県までのルートと経費を調べた。(45000円くらいだったはず)機材者で迎えにきてくれたごとりょさん、村島さん、大介さん、弦太さん本当にすみませんでした。最悪のスタートだったけどそれも行きのSAで吹っ飛んだ。いや、そこから先はインスタにまとめてるし書かなくて良い。ここに書いておきたいことははやみんさんやもえかさんとくじばんで組めたことや、治安の悪い飲み会の記憶。押すと面白い事を言うボタンは今でも引き継がれてますよ…2年目の合宿も一緒に書いておくと、遅刻はしなかった。記憶に新しいのはしばたくが意外とサッカーが上手いこと、かいてぃーんや織田さんと中学生みたいな恋バナをしたこと、銀魂バンドをやったこと。僕らの代の幹部が就任した事。その他の記憶もストーリーにあげてる通りなので一人で見返してニヤつく事にする。

10月、忘れてたけどかつてはオーディションがあった。オーディションバンドは1年目も2年目も凄まじかった。MVP制度とはまた別の、本気で凌ぎを削っている感じがヒシヒシと伝わった。見ていて全バンド鳥肌が立つほど仕上がっていたし、決まってしまう結果にやりきれない気持ちになることもあった。僕はオーディションバンドに出ることはなかった、ありがたい事にお声がけいただいたことはあったけれど辞退させてもらった。実力不足にも程があると思っていたし、自分が楽しむためだけにバンドをやっている人間がオーディションという舞台に立つことがおこがましい…とか考えてた。なによりそんなにステージに熱意が無かったので立ちたい人が立つべきと考えていた。オーディションに言及すると必ず反対意見も出るしここに書くかめちゃくちゃ迷ったけどまあ最後だし許して下さい。一意見だし、本気でオーディションに望んでいるバンドは全て圧倒されたし羨ましくもあった。ないものねだりだと思う、新宝島(本気)とか言ってオーディションバンドレベルのやつをやるぞ!とか息巻いてたしね。あれは入りを考えたりして本当に楽しかった。そんなオーディションも今は無いのが何とも言えない気持ち…それと、ハロウィンにはクヤスさんの誕生日会をやった。あれは何故か大規模に2回、結構な人が集まってくれるので楽しかった。めちゃくちゃデカい緑色のバケツプリンにモンスターゼリー、ありえない量のチャーハンとキッチンが毎年えらい事になった…楽しんでくれるなら何でもいいか!の精神で宅パを開き続けてきたが、まあ色々やった。基本的に2日に1日は誰かいたと言ったらギリギリ過言。本当にたくさんの人が遊びにきてくれて感謝しかない。入れ違いの先輩の大西さん、コバケンさんにもお世話になりました。社会人スマブラ強すぎる。宅パ一つ一つ書いてたらキリがないのでハロウィンパーティに代表して記しておく。千本中立売に幸あれ!

11月はEVE祭、3年目はコロナの煽りを受けて出店やステージはおろかライブも無かった。4年目は配信ステージ(出演者は大変な中お疲れ様でしたカッコよかったよ)と246で何とか身内でライブができた。1,2年目のEVEは本当に活気に溢れていた。鬼の3日間連続教室ライブ、先輩達はバンド数に制限がないととにかくバンドを組む人たちだったので総数がエライ事になっていた…昼も夜も朝もアンプラの誰かと過ごすとにかくしんどい、けど最高な3日間。自分が組んだバンドで特に印象深いのは同回いーあるふぁんくらぶ、SiM、放課後ティータイム、μ's、ゴールデンボンバー、金魚草。狂気の沙汰ほど面白い…!どれもまともな精神状況では無かったけどとにかく楽しかった。特にゴールデンボンバーは仮面をかぶって踊ったせいで酸素濃度が低かった。次やる時はフェイスペイント確定。何をやっても許される(許されていたと願いたい)のが祭りの良いところ。観てて思い出深いのは沢山ある。さっと思いつくのはステージバンドはもちろん、バジリスクタイムや北出のドラム、MOROHA、BiSHやエビ中や嵐などの盛大なお祭りアイドルバンド、KANA-BOONをやると見せかけたSiMも最高だった。ああいう何工夫も手を加えて観客を盛り上げようとする人達には頭が下がる。当の本人達はやりたいことやってるだけですみたいな顔してるのも個人的にはスマートだと思う。お祭りの開放感ならではのEVE祭、本当に大好きだった。それと忘れちゃならないのは手作りラーメン宮二郎、本二郎、これがなくちゃアンプラのEVE祭ではない。どの先輩達がやり出したのか知らないけど何故かめちゃくちゃ美味い、作る過程や味のクオリティ含めて笑いが出る。一子相伝の味は先輩達から後輩達へと受け継がれていき、どこまでその味は飛躍するのか、ラーメンの成長も楽しみだなぁ。(リブロは立地条件から回避できた、危ない危ない。)
年の瀬にはクリパがあった、これもコロナ前の話。高校時代から学ランだったのもあってスーツとは無縁の人生を送ってきた僕はネクタイの一つも締められない男、スーツに着られている。ぴかぎんやケンケンによく直してもらった。どの代が企画し(よく通ったなと思う)て今まで続いていたのかは分からないけど軽音とは全く無縁のイベントだった。まあ楽しいから何でもいいんだけど!一つ惜しいのはスーツじゃなくて僕も何かコスプレとかしてみたかったなぁ…1,2年目の大晦日は暇な人を集めてみんなで年を越すパーティをやったりした。

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