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人間関係を築くことができない社会不適合者の僕


僕は人間関係を築くことが圧倒的に下手だ。世の中には一人の時間が好きであまり交友関係を広げない人もいる。でも交友関係を広げないからといって友達がいない訳ではなく、進級してクラスが変わればその中で少人数でも友達をつくる。それが当たり前というふうだが僕にはできない。友達なんか要らねぇと思っているわけではない。確かに一人は好きではあるが僕だって友達は欲しい。けどどうにも上手くいかない。そんな僕を分析してみようかなっていう記事です。

何故友達作りができないのか

その理由はなんとなく分かっていて私が受け身の姿勢でいるからだと思う。自分から声をかけるのが本当に無理。なんで無理なのかというと、僕が声をかけたところで「なんだコイツ」「なんか声かけられたんだけど笑」「こんな陰キャと一緒にはいたくないな」「一緒にいても楽しくなさそう笑」「グループで固まってるのにわざわざ入ってくるんだ」という感じに思われるのではないかという固定観念のようなものが僕にこびり付いて離れないから。無理だなんて言わずに思い切って声かければいいじゃん、相手はそうなふうに思ってないよって分かってる。分かってるんだよ。分かってるけどいざ声をかけようと思うと足が止まる。声が喉で詰まる。頭がグルグルして目眩を起こす。だから諦める。自分には人間関係が、友達作りが向いてないのだと言い聞かせて。本当は少し談笑しながら一緒にお弁当を食べられる人がいたらちょっと楽しいだろうなと思うところがある。テスト返却されてあーだったこーだったと言える関係の人がクラスにいたら楽しいだろうなと考えることがある。一人は好きだけど孤独が好きな人なんていないんじゃないかなあと思うし。
でも無理なんだよね。身体全体で拒絶される。50回ぐらい相手はそんなこと思ってない、声かけても大丈夫と自分に言い聞かせてもやっぱり拒絶する。無理だよってね。
だから、今のクラスで話すことができるのは相手から声をかけてくれた人。相手から声をかけてくれた場合は"自分を拒絶するかもしれない"という不安が半減する。わざわざ声をかけたのにその人を拒絶するわけがないという確信ではないけどそういうものがあるから。

この考え方(?)そういうものは性格とか個性とかで済ませられる程軽いものではない気がして、普通に日常生活に支障をきたしている。
やっぱり自分は周りとは違うおかしい人間なんじゃないかと思えて調べた。自分はおかしい人間ではなく、どこかの枠に当てはまれる人間だと思いたくて。そうでないと自分という人間の価値がないような気がして……。

回避性パーソナリティ障害

この言葉をみつけた。精神科や心療内科で診断を受けたわけではないからあくまで自認になるのだけど。

回避性パーソナリティ障害とは
≫拒絶、批判、または屈辱を受けるリスクのある社会的状況や交流を回避することを特徴とします。

以下は主な症状です。(長いので気になる人だけ読んでみてください)

【症状】

○拒絶に対する恐れ

回避性パーソナリティ障害の患者は、自分が批判されたり、拒絶されたりすること、または他者に気に入られないことを恐れるために、仕事上でさえ、社会的交流を回避します。例えば、以下のことを行います:

同僚が自分を批判するのではないかと恐れて昇進を拒否する。
会議を避ける。
自分が好かれることを確信できない限り、新しい友人を作ることを避ける。
この病気の患者は、そうではないという明らかで確かな証拠が得られるまで、他者は批判的であり、不満を抱いていると考えています。このため、この障害の患者は、グループに加わり、親密な人間関係を築く前に、繰り返し支持され無批判に受け入れられることにより安心する必要があります。

回避性パーソナリティ障害の患者は、嘲られたり、屈辱を感じたりしたくないため、自分について語りたがりません。

この病気の患者は、同じ理由でリスクをとったり、新しい活動に参加したりすることに非常に後向きです。そのような状況では、患者は参加しない言い訳をするために、危険を大げさに話し、ささいな症状または他の問題を利用する傾向があります。患者は安心感と確実性を必要とするため、限定的な生活習慣を好む場合があります。

○批判に対する極度な敏感さ

回避性パーソナリティ障害の患者は、絶えず他者から批判されたり、拒絶されたりすることを考えているため、なんであれわずかな批判、否認、または嘲笑に対して極めて敏感です。彼らは自分に対する否定的反応の徴候がみられないか警戒しています。その緊張した不安そうな様子のために周囲から嘲りやからかいを受けることがあり、それにより自信の喪失を強めてしまうようです。

○その他の症状

自尊心の低さや能力が欠けているという感覚のために、患者は社会的状況、特に新しい状況で引っ込み思案になります。患者は自分が社会的に不器用で、魅力がなく、他の人に劣っていると考えているため、新しい人との交流では気後れします。自分が何か言えば、他者はそれは違うと言うと考えがちなため、患者は静かで臆病となる傾向があります。

回避性パーソナリティ障害の患者は社会的交流を望んでいますが、自分の幸福を他者の手に委ねることを恐れています。このような患者は人との付き合いを限定するため、比較的孤立し、必要な場合に患者が助けを求められる社会的ネットワークをもたない傾向があります。

MSDマニュアル家庭版より

まさしくこれだなと。自分すぎて驚いた。
上の「何故友達作りができないのか」では主に学校面での話をしたけど、これって家族にも当てはまってるんだよね。家族にすら本音で話せない。本音を話して怒られる(批判される)のが怖くて良い子ちゃんの皮をかぶっている。買い物に行って「何か欲しいものがある?」と聞かれても「なんもないよ〜」としか答えられない。あれが欲しいこれが欲しいと何の躊躇いもなく親に言える弟が羨ましかった。

ずっとずっと自分は他の人とはかけ離れた異端の存在だからこうなってしまうのだと思っていた。自分が当てはまれる枠があった。これだけで僕はだいぶ救われたような気がした。世界には僕と同じような悩みを抱えながらも生きている人がいるのだと思えただけで心が軽くなった。

一応心の病なんだね。でも自分が定義されるっていいなって。賛否両論あるだろうけど。

回避性パーソナリティ障害に限らずパーソナリティ障害全般幼少期(遅くても青年期辺り)には発症するらしくて、僕自身昔を振り返ると小3ぐらいから周りの目が気になるようになったなぁって。親の目を気にするようになったのは小1ぐらいかな。ずっと自分の性格故だと思ってて、それ自体は間違ってないんだけどいきすぎるとパーソナリティ障害になっちゃうのね。周りの目を気にしちゃうの小3からずーっと悩みだった。8年越しに解決への一歩を踏み出せたかも。

昔を思い出しては当てはまることがありすぎて笑っちゃう。なんで今まで辿り着けなかったんだろうってぐらい。でも"周りの目を気にしちゃう"って検索するとHSPやアダルトチルドレンがまずでてくるんだよね。これらの人が回避性パーソナリティ障害を併発することはあるらしい。(HSPもアダルトチルドレンも病気ではないが)

あともう一つだけ回避性パーソナリティ障害の症状だな〜っていうエピソードを書いておく。

僕は小3からスポーツやってて、小6になったとき自分はチームで2番目にうまかった。チームで1番うまかった子はもちろんエースでキャプテンで信頼してた。僕は2番目にうまかったから練習ではその子とペアを組んでやることもしばしばあった。ある日その子と一対一をすることになった。自分が勝てそうだった瞬間があった。でもその瞬間に頭の中をある言葉たちが埋め尽くした。「ここで僕が勝ったら嫌われるかもしれない」「勝ったら自分を無視するようになるかもしれない」「負けたほうが相手は嫌な気持ちにならないから最善なのでは?」というような言葉。その結果僕は負けを選択した。

これはまさしく上の引用にあった"同僚が自分を批判するのではないかと恐れて昇進を拒否する"の症状では?スポーツにおいてわざと手を抜いて戦うという行為は最悪だと言われているけど負けずにはいられなかった。

これからどうしていくべきか

回避性パーソナリティ障害は年を重ねるにつれ少しずつ改善する傾向がみられることもあるそうですがそれは単に精神的に成長したからで、基本パーソナリティ障害は治療によって改善が期待できる精神疾患。自然に治ることはまずないとされ、放っておけば悪化する可能性が高いそうです。

一度、本当に自分が回避性パーソナリティ障害なのか知りたいから精神科か心療内科の病院に行きたいなあ。でも親に話す勇気はやっぱりでないから行くなら一人が良い。そして親にバレたくはない。そうなると高校生のうちは絶対に行けない。大学生になってもひとり暮らししない限り渋いよね。

回避性パーソナリティ障害の治療方法には薬物療法や認知行動療法などがある。自力で治すことは難しいからやっぱり病院には行かないとな。とりあえず大学生になって行くことを目標にする。今行って治療を始めれば残りの高校生活を少し謳歌できるぐらいに回復してるかもしれない。(治療は基本長期のものですが)けど、親に精神科に行きたいと話すことが何よりもストレスというか拒絶反応で絶対に言えないので潔く諦める。親は僕を正常者(精神疾患を抱えている人が異常者だと言いたいわけではありません。不快にさせてしまったらすみません)だと思っているから、僕が精神的に行きたいと言えばショックを受けるだろう。
実のところ、母も弟も精神疾患を抱えている。はっきりと教えてもらったことがないからなんともいえないが、母はパニック障害とPTSD。弟は軽度の強迫性障害。辺りだと思う。その中で実は僕も精神疾患抱えてます、なんか言えないな……。これ以上親の負担は増やせないし、違うんじゃない?と否定されるのが怖い。

僕がずっと昔から持ってる"他人に迷惑をかけたくない"という気持ちは、迷惑をかけることで相手に批判、侮辱されるのが怖いということからきていたのかなと分析してみる。

まとめ

1個前の記事で自分は死にたいと思うことが多い、ということについて書いた。死にたいと思う理由の9割は人間関係でもう人間関係なんか辞めたい、どうしてこんなにも人間関係を築くのが下手なのだろうと半分諦め半分悲しさがあった。でも今回、回避性パーソナリティ障害について知れて良かったなって。自分という人間の謎がまた一つ解明されたような気がして。

回避性パーソナリティ障害はこれから何年も付き合っていくものになるから、いつかこんな時もあったねと笑い話にできたらいいなあと思ってます。

自分に悩みなどがある人は気の済むまで調べて調べ尽くしてみるといいかもしれません。その際に忘れないでほしいのが、調べ尽くしても自分の納得のいく検索結果がでないこともあるということです。僕も2、3年ぐらい他人の目が気になってしまうことについて調べていたけど回避性パーソナリティ障害に到達できませんでした。(もしかしたらどこかで目にしていたのかも)それでも自分を知るために費やした時間はきっと無駄にはならないと思います。自分と向き合った時間だけ辛いこともあるかもしれないけど、自分を好きになる理由に変わるかもしれません。パーソナリティ障害はまだそこまで知られてないものだと思うので、これから広まって同じ悩みや境遇を抱えている多くの人の自分を定義する一つになればなあと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。あんまり纏まってない文になってしまった気がします。

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