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正義とは

この記事は↓の記事からインスパイアされて書いた記事です。先に読んでいただけるとスムーズです。

私は正義とは何かについて考えてみようと思います。また、これは個人の所感です。間違っていることも沢山あると思います。

正義の意味を考えてみる

先の記事の引用ですが、正義とは辞書では『人が行うべき正しいすじみち。正しい道理。』と書いてあるそうです。

では、正しいって何でしょうか。これもまた辞書で調べます。

1.形や向きがきちんと整っているさま。
2.道徳・法律・儀礼などにかなっているさま。規範や規準からはずれていない。「礼儀正しい人」
3.真理・事実・実情などに合致しているさま。真である。「状況を正しく把握する」
4.血筋などがはっきりたどれるさま。正統である。
5.《「正しくは」の形で》通称(略称)や通説などを前に示し、それに正式な名称や真説を添える場合に使う。きちんと言えば。「馬券、正しくは勝馬投票券」

ここでは2の意味が正義の意味に使われてる正しいの意味と合致しそうです。かなったはここでは適ったという漢字で書かれ、意味は「条件・基準などによくあてはまる。ぴったり合う。適合する。」(辞書より引用)という意味でしょう。

正義の意味に正しいの意味を付け足すとこうなりそうです。

『人が行うべき道徳・法律・儀礼に合ったすじみち』

これを踏まえて色々考えていきましょう。

正義は何故対立するのか

道徳・法律・儀礼は多くの人の思っている「普通」の価値観から出来ている物だと私は思います。全員が共通で思っている価値観があればいいと思いますが、価値観は人それぞれ違うものですから、全員が共通の価値観にはなりません。しかし、多くの人の思っている「普通」は漠然としていて掴みどころがなく、電子雲のようにぼやけています。また、その人の属する集団によって「普通」は大きく変わり、よって道徳・法律・儀礼も共に異なります。つまり、正義も集団によって変わってくるのです。
「普通」がすれ違った時に正義は対立してしまうのかな、と私は思います。

所感

正義についてとか大人になってから真剣に考えると、何となくだけど恥ずかしくなるのなんでだろうね。何事も真剣に考えるっていうのは良いことなはずなのにね。
このnoteのネタから普通とはなんぞやということも考えられそう。

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