虚無を超えて生きる
◇虚無を超えて生きる◇
今日は、久しぶりに虚無について、思うことを書いてみたいと思います。
まずは私自身のことから。
私は小学校に入る頃には、社会常識や道徳等も人が決めたことであり、本来はどうでもいいことだということがそれなりにわかっていて、すべてに意味が無いこともなんとなくわかっていました。
そして、生きることの面倒くささ、特に社会と関わっていくことの煩わしさを強く感じていました。
余談ですが、おそらく前世で小悟か大悟を既にやっていたのだろうと思います。
で、何が言いたいのかと言うと、
そりゃあ、そんな人間なら虚無感を感じしてしまうのは仕方ないよなぁ、と改めて思ったのです。
そこには、この世界に生まれてしまったこと、もっと言えば自分という存在が生じてしまったことへのやり場の無い怒りもあるよなぁ、と思ったのです。
それもこれも、仕方のないことですが。
私と似たような方は、沢山おられるのかも知れませんね。
そのような方は、何もかもどうでもよくなってしまうような大きな大きな虚無感に襲われてしまうこともあると思います。
投げやりになって自分の人生や周りをめちゃくちゃにしてしまったり、命を絶ってしまうこともあると思います。
しかしです。
すべてを諦めるには、まだ納得し切れない部分があるはずなんです。
心の中に、まだ何かやりたいことや、やり残したことが僅かでもあるはずなんです。
自暴自棄にならず、自分をごまかさず、もう一度、自らの心の中を見つめてほしいのです。
あなたのやりたいと思えることがきっと見つかります。
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