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狩野一信の五百羅漢図展

昨秋、増上寺で開催中の展覧会の内覧会に行って参りました。一部にはなりますが無料で実物を観ることが出来ました。

実は本作品群は昨日、森美術館にて盛況のうちに終了した「村上隆の五百羅漢図展」の下敷きとなった作品なのです。二百人の美大生を集め、二十四時間体制で四千枚のシルクスクリーンを重ねた全長百メートルの作品を生み出す原点が増上寺にあったわけです。

狩野一信作の五百羅漢図の存在は知っていましたが、数年前に江戸博で展示をしたことも知っていましたが、実は未見でして今回ようやく一部(第21幅から第40幅)を増上寺で、また第19幅、第20幅、第49幅、第50幅を森美術館で開催された「村上隆の五百羅漢図展」にて鑑賞する運びとなりました。

狩野一信は現在では余り名前を知られていない絵師ですが、法橋(後に法眼)に叙せられ、江戸のまちの大寺院の仕事をかなり精力的にこなしていることからも当時は知名度のある絵師だったのでは、と推察されています。

そして、この五百羅漢図は何と百幅あるのですが、誰に頼まれたわけではなく、自発的に行った仕事だったようです。総制作費は一億円と言われています。

増上寺に五百羅漢図が伝わった経緯ですが、一信の妻である逸見やす(妙安尼)が一信の死後、増上寺に五百羅漢図と共に展示する為の施設である羅漢堂を寄進したことに端を発しています。ギャラリートークでは伊藤若冲の相国寺に対するエピソードと比較されていました(判りやすい表現ですね)。

狩野派に所属した絵師なのは確かですが、逸見一信が本名ではないかと思いますよね。これは夫の亡き後、やすが「私の夫は狩野一信です」と唱えたことでその意を汲んでそのままになっています。面白いですね。

やすとの馴れ初めですが、彼女の父は逸見舎人という辻占い師で、一信の人相を見て、「私の娘と結婚しなさい」と勧めました。夫妻には子供はいませんが、一番弟子(五百羅漢図の制作にも関わっています)を養子にし、その血統が現在も続いて居ると言います。

羅漢信仰は江戸時代にはかなり盛んでして、都内だけでも各所に今も羅漢像が残っています。目黒の五百羅漢寺が有名ですね。

一信の生涯の大事業だった羅漢さんを今更ですが勉強したくなりました。

増上寺の展示施設は昨春オープンしたばかりで、穴場だと思います。ゆっくりと鑑賞出来るのではないでしょうか。興味を持たれた方は是非行ってみて下さい。

初投稿:2015.11.21
FBに投稿したものを加筆修正したものです。
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