お金の正体について

こんなタイトルをつけられたら、さぞかし何か新しいことがわかると思って開くだろう。なぜなら正体とはそういうものだからだ。しかし、断言するがお金に正体と呼ばれるものは存在しない。お金は概念でありもっというと嘘だである。あのペラペラの暗号が書かれた紙は、みんながお金と認識しているからお金として使えるだけであって、物質的に言うとただの紙でしかない。逆に言うと正体とはミツマタ、アバカという植物ということになる。

私は、お金があまり好きではない。ねぜなら、手に入れないと生活できないし、ただ手に入れるには自分に労働を強いることになる。労働はつまらない。なぜなら選べないからだ。いや選べるじゃんと思うかもしれないが職業選択の自由のことを言ってるわけではない。入ってからが問題である。選んで入った仕事が自分に100%あっているていうことはまずないだろう。選べてもみえてない部分がたくさんあるからだ。かといって終身雇用というような制度や続けることが美徳という文化が入ってから重石のようにのしかかる。そして本来続けるかもしれない人さえ絶望するのだ。あと40年かと。
ただ現状に嘆いていてもしょうがない。どうにかする方法は実際いくらでもある。一つは自分を変えるという方法がある。向いていなくても、楽しく仕事ができるように工夫する。哲学、考え方、もっというと宗教を信じこむことで、今の状況を正当化する。

てか書いてて飽きた。
今、私は警備員のバイトをしている。フリーターで20歳だ。普通ならお先真っ暗と絶望しかないだろう。しかし今は人生で一番幸せだ。友達も少ない。彼女もできたことない。ローンを含めた借金100万以上。今自分で書いてて不思議に思うくらい不思議なことだ。これらはひとえに幸せとは客観的なところにあるのではなく、まさしく主体的な部分にあるということを示しているであろう。わかりやすいところでは私はマイナスしかない。だが、ここに至るまで自分の宝物のようなたくさんの経験や自分の生きたい方向に行くためにしている自分なりの努力がそこにあり、それらが自分にとって成長と感じている。 
あと変な考え方を信じ込んでいることも一つ要因だろう。「朝起きれたらスペシャル、朝起きれなかったらムラッシュ」などの加藤純一哲学や、「私たちの人生は、私たちの思考が作りあげるものでしかない。 空中に投げられた石にとって、落ちるのが悪いことではないし、昇っていくのが良いことでもない。 それは不運ではない。むしろ、それに気高く耐えることが幸運である。」のマルクスの言葉、そしてアドラー心理学の「人生とは連続する刹那である。そしてそして高校生の時に出会った俺の根底にある言葉原点にして原点「馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ。」by甲本ヒロト

これらを胸に明日も誰にも気づかれない変な挑戦を、密かに続けようと思う。それがまさしく楽しい人生なのである。おやすみ。

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