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神様と私。

2023年7月9日。
渋谷公会堂での安藤裕子の20周年ライブに行った。
小雨もちらつく湿度の高い空の下、気が滅入る日曜日の渋谷を潜り抜けて。

渋谷公会堂は、中学2年の時、初めて行った安藤裕子のライブ以来だった。

私は楽しみなライブほど当日になると行きたくなくなるという癖があり、到着したのは開演5分前。ギリギリだった。

でも開演時間になっても、まだ出てこない。
この焦らされる感じ、昔からだ、と思い出す。
でも昔はそこに期待感しか感じなかったはずが、
社会人7年目になった私は時間が守られないことに苛立っていたりした。

そしてやっと、やっと演奏が始まって、
前奏で一瞬で「輝かしき日々だ。」と分かった。
しばらく聴いてなかったけど、染み付いている。
前奏とともに出てきた安藤裕子を見て、
自然に、本当に自然に涙が出ていた。

一瞬で引き戻された。
私にとって彼女は、神様だった。





安藤裕子と私。


2005年。小学5年生。CMでのうぜんかつらを聴いた。
2005年は大好きな野ブタ。をプロデュースがやっていて、
その時間のCMだったように思う。

なんだこれ好きだと思った。
わからないままにパソコンで検索し、
名前を辿って他の曲も聴いた。

全部が好きだった。
いつも聴く流行りのJ-POPとは違うと思った。

当時学校で周りが誰が好き、この曲が好きという中
自分はどれに対しても好き、と思えず、
自分の好みというのがわからなかった。

そんな中見つけた「安藤裕子が好き」は、私の大事な大事なアイデンティティだった。

YouTubeでMVを片っ端からみた。
中でもTEXASが好きで好きで、
毎日リピートして聴いていた
(あのファッションも可愛くてものすごく好きだった)

ドラマチックレコードのMVで、上総鶴舞駅に憧れて、
家からの往復の電車賃を計算した。


親に好きなものを言うのも恥ずかしかった。
でもお小遣いでアルバムを買った。

「chronicle」が発売と同時に買えた初めてのアルバムで
今もジャケット写真を見るだけであの頃のことを全部思い出す。
メロディーも歌詞もジャケットデザインも衣装もMVの世界観もブログで語られる言葉もイラストも
全部全部好きで毎日聴いた。

安藤裕子が当時連載していたJILLEという雑誌があり、
もちろん中学生が読むようなファッション誌ではなかったけど、
その見開きページの連載のために毎月買っていた。
お気に入りの写真を切り取って、
日記の表紙に貼り付けていた。

女優時代の安藤裕子が見たくて、
池袋ウエストゲートパークを見た。
(これは余談ですがここでキング窪塚に鬼ハマりして、
  高校に入るまで好きなタイプは窪塚というだるめな中学生になった)

曲だけじゃなくて、全てが私の理想だった。
崇拝していた。全部を知りたかった。

親に頼んでライブのチケットをとってもらい、
そして初めて一人で行ったライブがC.C.Lemonホールでの公演、
「Encyclopedia」だった。

2階席だった。
何を着てこうか。何がいるのか。何時についてるべきなのか。
何も分からなくて不安だったが、ただ好き、という気持ちだけでそこにいた。

出てきた安藤裕子は照明で少し白飛びしていて、
でも確かにそこにいて、
生で聴く歌声の力を感じて、
MCでぽつぽつ話す彼女の言葉の全部を噛み締めていた。

みんなを舞台にあげてこの景色を見せてあげたいよ。
そこにいたらそこの人だけど、
ここに立ったらここの人なんだよ。と話しいてたのを覚えている。
ねえやん、と叫んで呼ぶ観客の声に
インターネットで文字でしか見たことがなかった「ねえやん」が目の前にいること、
そして学校では見つからなかったけど、ここに来ているたくさんの人はみんな私と同じで安藤裕子が好きなんだということ、に感動していた。

好きな人を、見たいと思ったら、本物を見られるんだ、と思った。

この公演はのちに初のライブDVDとして発売されて、
私の宝物になった。


高校生になっても、
やっぱり一番好きなアーティストは安藤裕子だった。

入学してすぐくらいに「問うてる」が炭酸水のCMに起用されていて、
初めての部活の日に買って行ったのを覚えている。
味のしない炭酸水なんて初めて買った。美味しくはなかった。

アルバム「JAPANESE POP」が発売した時がちょうど学校行事の時期で、
(通っていた高校は1週間で合唱祭文化祭体育祭を全部やるという鬼のようなスケジュールだった)

毎日夜まで練習をして帰宅してから、部屋のCDコンポで聴いていた。

でもベッドに座りながら聴いていると毎日最後まで聴く前に寝落ちしていて、親に止めてもらっていた。
きちんと最後まで聴いたのは行事が終わった後だったと思う。

アルバム「勘違い」が発売された頃、
安藤裕子が途中で歌えなくなり、終わってしまったライブがあった。
アルバムのラスト曲、「鬼」が聴けるのをすごく楽しみにしていて、
でも結果聴くことができず、
すごくショックだったのと心配だったのと、
高校生のなけなしの6000円が不完全燃焼という形で終わってしまった虚しさとを抱えて帰った気がする。

大学受験で通っていた塾の帰りはいつも安藤裕子を聴きながら帰っていた。


大学時代、少し安藤裕子からは離れる。
でも当時ダンスサークルで踊る曲を決めるときに、
サイハテを提案したことがあったのを覚えているので、
一応聞き続けてはいるような状態だった、と思う。


社会人。
入社した4月は丸々、地方の研修センターで研修で、
土日だけ実家に帰れるような状態だった。

そんな中、スカイツリー内のプラネタリウムで開催された
「live in the dark」に行く。

プラネタリウムを見ながら安藤裕子。良いに決まってるだろ。

その一月前くらいに祖父が亡くなっていて、
突然のことで、その時泣けなかった自分が、
のうぜんかつらを聴いたときに初めて素直に泣けた。

大学終わりの頃にくるりを聴きまくっていて、
中でも「ハイウェイ」が好きで、

そんな中ラストに「僕らが旅に出る理由」を聴いて、
安藤裕子ばかりを聴いていた中学、高校時代に比べたら、
私の好きなものの幅はその頃かなり広がっていたけど、
なんだか私の好きなもの、全てうまく繋がっているんだろうな。
これからも繋がっているといいな、と思えた。


社会人2年目。

安藤裕子15周年ライブ
「15th Anniversary Live ~長くなるでしょうからお夕飯はお早めに~」

安藤裕子を聴くことも減っていたが、
周年ライブは行きたい!とチケットをとっていた。

でも行けなかった。
休み希望を出していたが通らず、
夜の公演に行けなくはなかったが体力的にどうやったって無理で、
睡眠の為に自ら諦めた形だった。

社会人になって
こういった形でとったチケットを無駄にすることは少なくなくて、
もともと向いていなかった仕事でもあったし、
こうしてどんどん心が死んでいったような気がする。

気がついたらあんなにこだわって握りしめていたアイデンティティが
自分でわからなくなっていた。
好きなものの繋がりは途絶えていて、先が見えなくなった。

拒絶するほど特別嫌いなものもないけど、特別好きなものもない。

このままだとまずいな、と感じた頃に、会社を辞めた。


無職期間。

とにかく自分について考えていた。
通っていた海外の社会人学校で「人間は身体的、精神的、文化的、社会的に健全な状態で成り立っているから、このバランスが崩れるとダメになる」みたいなことを習って、
社会人はそういうものだ、という気持ちでチケットを無駄にしたりした経験が、私の「文化的」な部分を殺していたんだな、と思った。

そして日本に戻ったら、好きなものは好きなだけ追いかけよう。
何かの為にそれを犠牲にするのはもうやめようと誓った。


そして、今回のライブだった。

中学2年の時と同じ場所。
でも建て替えられたLINE CUBE SHIBUYAで。

今回は1階の比較的前の方の席で。

開演時間のルーズさに苛立ってしまったり、
歌詞間違いがひっかかったり、
もう初めて出会った頃のように、ただただ素直に、
何をしていても全部肯定してしまうような、崇拝という形ではなくても。

必死に握りしめなくても私にはちゃんと、
どこにもいかないアイデンティティはあると思える今現在の私でも。

今回のライブに行って本当に良かった、と思う。


安藤裕子の曲が、私のこれまでに深く関わっていること。
前奏を聴いただけで曲名も歌詞も全部頭に浮かんでくること。
曲を初めて聴いた当時のことが鮮明に蘇ってくること。


やっぱり彼女は私にとって特別で、大事な根っこを作ってくれた人だということ。

思い出せて良かった。



もう神様じゃないけど、大好きです。



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