なぜ僕らは働くのかを読んで〝身の丈の暮らし〟が理解できた気がする
働くということは
自分が誰かの役に立っているということで
暮らすということは
誰かが働いた結晶の上で成り立つ
………ということを先日「なぜ僕らは働くのか/監修:池上彰」で読んだ。
社会は、みんなの働きの上で成り立っていると知識では分かっていたけど、実感としてはほとんどなかったように思う。
自分はどれだけ世の中の役に立ってるんだ?と振り返るようになり、普通に贅沢しすぎだな〜〜〜と思いはじめた(今更)
今まではこの尺度が全くなく、行ける飲み会には全部行ったし、ライブも外食も多かった。
自分のしたいことを叶える = 支出
がなかなか結び付かず、支出がどれくらいかを考えるより先に、叶えることを考えてしまう、みたいな。
欲しい服はとりあえず買っちゃう、みたいな。
ただ
自分が役に立った=収入
誰かが働いた結果をいただく=支出
が頭の中で描けたときに、はじめて「私はこんなに贅沢できるのか?」という疑問が湧いた。
「もっと節約しなきゃ!」というネガティブな思いではなく「普通に生活できているだけでめちゃめちゃ贅沢してるんでは?」という疑問に近い。
自分が暮らせていることが当たり前じゃないと気付けたことも大きいと思う。←これもこの本でやっと気付けた。社会人全員読んで。
今住んでいる部屋は誰かが作ってくれたもので
電気や水道がつくのは誰かが整備してくれているからで
洗いたいときに洗濯ができて
食べたいときに料理ができて
眠りたいときに安全な場所で寝られる
家で過ごしてるだけで
めちゃめちゃ恩恵もらっとるやんけ!!!!
と今更ながら気づいたのである
そして、ただ過ごしているだけで
誰かが働いた結晶をいただいている = 支出
が発生していると気づいたのである。
こうなるとわざわざ外で金使わなくてもいいやと思えてきてしまう(このニュアンス伝わるかな?私もなぜこうなるのか未だに分かっていない←???)
こうなると、家の中で過ごしているだけで「ありがとう」というかまあまあ充分でした、という気持ちになってくる。
このおかげで、前は滅多になかったNMD(=ノーマネーデー。お金を使わなかった日のこと。)も増えたし、休日に家から出なくても満足感がある。
休みの日にでかけないなんてもったいないと思っていた頃と比べると、かなりコスパよくなったと思う。
よく節約系のアカウントで「まずは支出を把握しよう!」「使ったお金を書き出そう!」とアドバイスがあるけど、書き出してもよく分からなくて支出を抑えられないっていう人、いるんじゃないかな(私です)。
なんか分かんないけどお金使っちゃう人は、〝自分の収入〟でははく〝自分の働き〟とか〝自分の貢献度〟とその出費が見合っているのか?という視点で考えると〝身の丈〟の意味がわかるのかも。
(こう言うと〝私の貢献度は低いんだ〟と思ってしまう人がいそうなので、あまり参考にせず「なぜ僕たちは働くのか/監修:池上彰」を読んでほしい)
おわり
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