【家族ゲーム】ママの誕生日に捧ぐ。
ママの誕生日に。
今日(2月12日)はママの誕生日だった。
先日、mixi を10年以上ぶりに開いて
BLOGとはまったく別の日記を
発掘して驚いた。
mixi の入り口には、こう書いている。
ここは公開する人を限定的に極めて
私的なことを紹介しております。
家族や、知人、仕事先への
連絡網も兼ねていますので、
公開は、原則的に面識のある方
オンリーにしています。
と限定した人にだけオープンにしていた。
でも、16年ぶりにこちらに貼り付ける。
もうこういうことを書き残すことが
恥ずかしくない年齢になった。
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2005年9月30日
二日の休みを帰郷。
このところ頻繁。
と思うのも、芸人をはじめてほぼ10年は
親から逃げ回り音信不通だったのだから……。
いまだに母の会話の端々に、
「アンタは、どうせヤクザものだから……」
「しょせんは、はみだしものの放蕩息子だから……」
とのニュアンスがあるのも仕方の無いことだ。
しかし、ここ数年の帰郷は
毎度センチメンタル・ジャーニー。
4年前に脳溢血で倒れた父。
そして、その寝たきりの病床を介護する
周囲の様子を、日常では何もしていない
俺が目の当たりにするわけだ。
老齢の父は、その後も癌が何度も併発、
そのたびに検査だ、手術だ、と日程に追われ、
その様子を見るのは忍びない。
体を切り刻まれ、疲弊しつつも生きている。
言葉を絶たれ自分の意思も伝えられない、
車椅子の上で何を考えているのだろう?
と想いを馳せる。
人生の落日──。
父の最後の“生”の鈍い耀きが
見守る家族を照らし、
それぞれの心模様の微妙な差異まで
グラデーションに染めあげている。
合間に子供を母にあずけ、
ママと二人きりで吉備路を歩く。
史跡の観光地ながら
夕刻を過ぎると人影もまばら。
夕焼けに照らされた備中国分寺の
五重塔に続くコスモス畑とススキに囲まれた
鄙びた田圃の畦道を行く。
足元は倉敷に帰郷するたびに
ママにプレゼントするスニーカー。
二人ともまるで中学生に舞い戻ったような
ジーンズとTシャツとスニーカー姿。
あの頃の俺と違うのは隣にはかけがいのない人──。
その多幸感たるや
人生に他にいったい何が必要だろうか?
~とヤクザものの俺が考える。
思春期に、この格好で二人で手を繋ぎ、
この道を歩いたらどんな思いがしただろう?
その拘りは永遠に消えない。
遥か先の落陽を見つめながら
夕焼けに照らされた自分の“生”の道を行く。
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16年後──。
ボクも病に倒れ大変な日々をここ数年は過ごした。
でも今は元気。もう大きな声で言える。
ママ、誕生日。おめでとう!!
3人も子供の中学受験を
無私の精神でずっと寄り添ってくれてありがとう!!
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