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21/4/28 義太夫語り……。

悪童日記 2021年4月28日(水曜日)

アサヤンVol.6ゲスト「ゴメス」って誰?

6時起床。
新しい朝が来た。
起棒の朝だ。

寝不足を心配されるが、
5時間は眠っている。

昨日の日記を書く。
タイトルは「ストラップシューズ」だ。

次回、「アサヤン」ゲストに決定した
ゴメスさんの歌のタイトル。

「ゴメスさんって誰?」
と言われるが、
5月1日の「アサヤン」のライブで全貌を紹介する。
またのしみに。
あ、お楽しみに。だ。

そして「義太夫語り」とは。

辞典では、

義太夫節を語るのを職業としている人。太夫 (たゆう) 。

そして、義太夫さんとは。

wikipediaより引用。

プロフィール

大学時代、音楽系サークルで
ドラマーとして活動しているうちに、
プロミュージシャンを目指すようになる。
バンド『雷神』を組み、
アマチュアとして活動していた。

『ビートたけしのオールナイトニッポン』
のリスナーであった義太夫は、
ビートたけしのファンとなり弟子志願をするが、
その際ドラムが特技であることを披瀝し、
当時のたけしのバックバンド
『シークレット・ポリス』
に加入することになった。
しかし実際には先にレギュラーメンバーの
ドラマーがいたため、
パーカッションとして参加。
その後たけし軍団が8人編成から
10人編成へ移行する際、
井手らっきょとともにたけし軍団に正式加入。
ただし特徴のあるキャラクターからか、
実際には10人編成の時期より以前に、
『オレたちひょうきん族』や
一連のバラエティ黄金期の番組に
既に出演していた。

名前の由来は、
当時プロレスで“毒霧”を吹く
謎のレスラーザ・グレート・カブキを揶揄して、
風貌が太った体型でだらりとした長髪であったことも
共通していたため、
“歌舞伎”を“義太夫”と洒落て命名された。

『シークレット・ポリス』時代は、
楽曲『浅草キッド』の制作時に
たけしにアドバイザーとして関わり、
またライブアルバム
『野戦病院〜ビートたけし&たけし軍団ライブ』
(1985年7月5日発売)
収録の楽曲『バラード』の作詞作曲を行っており、
陰のたけしの音楽ブレーンとしての存在面があった。

ただしこれらの印税は太田プロサイドの判断で
本人には振り込まれていない。

その後たけしらとともに雑誌社
フライデー襲撃事件にも参加した。
その際、消火器を持って大暴れし、
「たけし軍団の弁慶」とネタにされた。

若い頃は力士と見紛う程の大兵肥満であり、
力士お断りを標榜する食べ放題の焼肉店で、
帽子を被った姿を変装した力士と主人に間違われて
追い返されそうになったことがある。

一時期、顔が麻原彰晃に似ていたため
「麻原彰晃の弟ではないか」
と都市伝説になったこともある。

無類の猫好きである。
元 小結の國登國生は叔父にあたる。

ミュージシャン活動としては
1992年にたけしと宮沢りえが共演した
エースコック・スーパーカップのCMソングの
作詞、作曲を担当した。
その他にも
細川ふみえ『ポチにやつあたり』、
中條かな子『ことばさがして』、
日髙のり子『十年後の私』などを作曲した。
また北野ファンクラブの人気コーナー
『亀有ブラザーズ』ではギター演奏を担当した。

近年は蜷川幸雄演出作品の常連。
コメディ・リリーフとして重宝されている。
2006年、『タイタス・アンドロニカス』の再演では、
イギリスのロイヤル・シェイクスピア・シアター
での公演も経験。
道化役を演じ、観客の爆笑を取っていた。

事務所の後輩
マキタスポーツのバンド『マキタ学級』
のサポートギタリストでもあり、
そのブルージーなギターサウンドはファンも多い。
アルバム『金もうけ』では、
スケジュールの関係で
レコーディングにあまり参加出来ず、
コーラスと『NEWS』
という曲のギターのみとなっている。

2009年6月、自らの糖尿病生活を綴ったエッセイ
「糖尿だよ、おっ母さん!」を発表。

現在は週3回の人工透析が欠かせない状態であるが、
舞台出演のほか、落語、ギター漫談にも取り組んでおり、
現在はボーイズバラエティ協会に入会し、
同協会の浅草東洋館での定席にも上がっている。

たけしが大会最高顧問を担当する
「THE MANZAI2014」では、オープニングで、
ドラム演奏を披露している。

仕事部屋で作業に集中。

朝7時。食卓へ。

牛乳&コーヒー飲みで。

本日は散歩会も参加者が集まらず。
仕事部屋で作業に集中。

ひたすらに5月1日の「アサヤン」
ライブに向けて知恵を絞る。

ゲストのゴメスさんの
YouTubeの演奏を何度も聴きながら。

考えていくうちに
「アサヤン6」でも
トークより
「たけし&たけし軍団の
演奏、歌を長くやって欲しい!」に傾く。

同時に、4・26の「アサヤン」
映像記録を知人に配布作業。

どうやら、
「アサヤン5・昆虫大戦争」が、
YouTubeではじかれたようだ。
その復旧作業も。

5月以降のゲストキャスティングも。


10時を過ぎても歩かないのは、
仕事の時間が増えることだ。

noteに『藝人春秋Diary』、

「古舘伊知郎 人生の予告編」を寄稿。

『藝人春秋Diary』も、noteで再連載して、
5ヶ月、残りは最終章のみだ。

そして、下書きの原稿がフィニッシュしたら、
「スモール出版」で単行本の編集作業に入る。
8・18、
59歳の誕生日が最終入稿。
順調に進んでいる。

ママと一緒に
昨日の第93回アカデミー賞のハイライトを見る。
町山智浩さんがアメリカからオンラインで解説。

ソダーバーグ演出で
主演男優賞が最後の発表となる異例の段取り。
ホアキン・フェニックスが会場に不在の
アンソニー・ホプキンスを発表し、
あっけない幕切れ。

文春・新潮はGW対応で一日早めに出ている。
コンビニで購入。

昼、whimsicalで購入した、
カレールーを試す。
『ベンガリー マトンカレー』
マトン肉がゴロゴロとして、
文句なく美味いのだが……。

やはり、白米の方が味がわかるな。

原稿発掘と同時に古い写真発掘。

『藝人春秋Diary』の原稿にも書いた、
古舘伊知郎さんと高田先生とご一緒の夜。

何時も、我々とターザン山本との絡みを
老人虐待だと言われるが、
ターザンとの抗争の原点は、
我々が新宿伊勢丹前で
タイガー・ジェット・シンまがいの
正体不明の大男に突如、襲われたことからだ。

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故・林由美香さんのイメクラに
ボクが訪れた時のポラロイドの一枚。
我ながら「残しているんだなー。」

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「アサヤン」ディレクターチームの総帥、
高須信行さんと電話でお話。

殿の歌の想い出だけで十分、
ライブトークになることを確認。

湯山玲子さんと電話でおはなし。
珈琲企画が立ち上がる。

散歩をしないと体が鈍るので歩いて
「小杉湯となり」へ。
道中、道祖神へ挨拶。

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鯉のぼりがはためく様子を見ながら、
きんたま画伯の隣で全集中。

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画伯が小杉湯となりの隣に居るので、
いろいろとパソコン操作のいろはを教えていただく。
「ヘイ、Siri!」のもっと進化した形で。

画伯と小杉湯へ。

まるでコントの如く、
メガネを紛失したりの数々の失態。
自分でも老化を痛感。

馬力を振り絞って帰宅。

21時から、5月1日に向けてのZOOM会議。

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想い出話の軍団一の名人・義太夫がたりで、
次々とボクも昔話が引き出されて止まらない。

5月1日は素晴らしいライブになる、
と確信。

結局12時頃まで。就寝。

>> アサヤンのアーカイブはこちら
ー ノーカット版 視聴期限 ー
‪■ Vol.3 前田日明回 4/29まで
‪■ Vol.4 地上波ではできない新人オーディション 5/10まで
‪■ Vol.5 井上咲楽回 昆虫大戦争(昆虫食)5/10まで


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